改めまして、2018年もどうぞよろしくお願いいたします。
毎年冒頭に、「日本ボートのゆくえ」と題し、日本のボートについての現状とめざすべき方向性とをテーマにした記事を掲載しております。今年は連載記事が重なり私自身年頭は余裕がなかったために2月現在の記事掲載となりました。



「日本ボート」という大きなクルー、大きな艇は、いったいどこへ向かうのか?
私は舵取りでありコーチでしたから、「全体をまとめる」「一人一人の意識とパワーを高める」という課題と向き合うことがいつも必要でした。漕手にもマネージャーにもOBOGや支援者にもみなボートに関わる上でそれぞれの目的や望みがあり、ともすれば漕ぎ方や関わり方の方向性があちこちバラバラになりやすいことを知っていますが、「目標」という目印・針路を明確にすることによってまとまらなくては、バランスも艇速も悪くなってしまうのです。また声掛けとコミュニケーションによって方向性を一つにし、勝利をめざし、あるいはボートに関わる上での幸福をみながめざすようにリードしなくてはならないのです。そうしないと、世界とのレースでともにライバルとしてボート仲間として良い競争や経験ができないばかりか、競技という舞台に立てず衰退し人と資金が不足し休部や廃部に追い込まれてしまう結果にもなるのです。
そこでは、実力と説得力に欠けたリーダーが頭ごなしにまとめようとするのでなく、みなを励まし自信を持たせ、一人一人をポジティブに鼓舞し主体的にパワーを出してもらうほうが良いということを学んできました。
しっかりと自主自立した素晴らしい青年が自信と信頼にあふれたクルーを組み、艇に乗らないチームメンバーや応援者もみなでその艇を後押しし、世界の尊敬できるボート仲間をライバルとして優勝をめざし同じ艇速でレースできている状態が、一流ボート国であり目指す姿だと思います。いっぽうでこうした代表クルーを誇りにしながら、自らも代表や世界という高みをめざしつつみながボートを楽しみボートで交流している状態。

競技というのは、まず第一に競い合い勝利をめざすところに成長と活力が生まれ価値が創出されます。
友好や教育や平和は、まさに競い合いの中で自分を認め相手を認めお互いを尊重することから生まれてくるものではないだろうかと思います。競わずリスクを負わず自信が持てず人を信じず夢や目標をあきらめるところに馴れ合いと依存の自己中心的な意識の中で、友好と教育と平和の目的は果たせないのではと個人的に考えています。人は目標がなければ怠惰になりやすいですがいざ目標が明確になれば勤勉になります。自分が認められる環境では大いに能力と資質を発揮し伸ばします。この目的を、自分の虚栄のためでなく、友好や教育や平和に生かすのです。敵対と無知と暴力に向かうのは、いつだって自分が認められていない幼い頃からの不満や野心からでしょう。
自分を認め、他人から認められるには、世間一般のスタンダードをクリアしていることと、自らが常に卓越を繰り返している状態にあることです。卓越とはexcellence、つまり、成長できていると実感したり、記録を伸ばしたり、勝利したり、常にチャレンジしたり、昨日の自分を超えて自分に勝つこととよりよく変わることです。

オリンピック憲章はいいます。
「オリンピズムは、肉体と意志と知性の資質を高揚させ、均衡のとれた全人のなかにこれを結合させることを目ざす人生哲学である。オリンピズムが求めるのは、文化や教育とスポーツを一体にし、努力のうちに見出されるよろこび、よい手本となる教育的価値、普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重などをもとにした生き方の創造である。」
「オリンピズムの目標は、あらゆる場でスポーツを人間の調和のとれた発育に役立てることにある。またその目的は、人間の尊厳を保つことに重きを置く平和な社会の確立を奨励することにある。この趣意において、オリンピック・ムーブメントは単独または他組織の協力により、その行使し得る手段の範囲内で平和を推進する活動に従事する。」

平和とは戦争がないことかといえば、恒久平和は人間の歴史にはなかったことで、今後もそのような理想の未来は訪れないだろうと思われます。人の性質を知ればそうでしょう。自分を顧みて、周りを見て、歴史を知れば見通せるでしょう。
平板でまったく競争と独自性のない穏やかな世の中の実現を歓迎しない人も一定数存在します。結局は、平和とはバランスを保った均衡であり、武力や腕力の差、身分や尊厳の差、経済の差、これらを個人および組織的な努力でできるだけ均衡させたところに平和というバランスが成り立つといえるからです。ここに著しい格差があっても、法によって保障していく世の中になってはきましたが、しかし武力と尊厳と経済力はしばしば法を無視することがあります。強大な側が弱い側を侵し支配し脅かす。不公平や不満による人間関係の軋轢も必ず起こります。完全に善なる人も完全に悪しき人も世の中存在しません。エキセントリックな人もいますが大抵は自分が正しいと思えばこその振る舞いや狂気です。しかし、人は欲望の生き物ですが、それを律しコントロールできる社会動物でもあります。
戦争に代わって、スポーツという競い合いができ人間はより平和的で尊厳をみなが保てる「競技」を選択することができるようになりました。しかも生きる上での哲学から科学、文学まで教え教わる文化的な営みです。

まだまだ、政治も教育もそしてスポーツも、みなが心技体を高め文武両道を実現するにはこれから進歩していかなければいけないと思います。
スポーツは本質的には競争や闘争であり、それ自体が格差を生み出しかねない営みですが、同時に多くの人を巻き込み意識や哲学を高め均衡させる努力によって素晴らしく社会に貢献できる役割を果たすことができます。人間の歴史から学ぶことで、よりよく、友好と教育と平和に役立てる可能性に満ちています。我々の意識と志、そして努力と工夫次第です。



今回、東京五輪に向けての進捗について疑問を投げかけたり個人的意見を述べようかとも思いましたが、それはまだまだ小さなことで、もう少し大きな「日本ボートのゆくえ」を語ってみました。
社会に役立つから競技も存在意義と存在価値が限りなく高まるわけで、ボート競技は志の高い競技をめざしていかなくては生き残りも発展もないと思っています。
競技人口の増加や競技力アップ、強化と普及は重要課題ではありますが、もっと根源の競技としての未来には、関わる人みなで考えていく必要があるのだと思っています。
他競技の課題や不祥事、自競技の問題点や弱いところにもしっかり目を向けつつ、一人ひとりが自覚と責任をもちそして何よりボートとボートの交流を楽しんで、未来に向けて直進性を高めていきたいですね。波と風を乗り越えながら、レースを楽しみながら。
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