さあ、長かった全国高校ボート部紹介シリーズもラストです。いよいよ九州・沖縄の8県です。
なぜか西に行くにつれて紹介文が長くなっていった今回の連載、情報が色々あることはいいことでしょう!多すぎるのがこのブログの特徴か、もっと短い文でまとめたいところでもありますが・・・。九州もボートどころがたくさんですので情報満載であります。短くするのはなかなか難しいですね!(笑)
九州も強豪県、揃ってます!九州のボートマンが増えていくことで九州各県がよりレベルアップして、野球やサッカーなどのようにすべての県が強くなって切磋琢磨する状況をめざしてほしいですね。特に熊本県と大分県でしょうか、この2県を筆頭に九州ボート、各県が全県一丸で強くなりましょう!

※2/1の書きかけの記事に宮崎県、鹿児島県、沖縄県を追加して新しく更新しました!






高校ブレード 福岡県
福岡県

東筑(とうちく)
北九州市八幡西区東筑一丁目にある共学の県立高校。スーパーサイエンスハイスクール(SSH)及びふくおかスーパーハイスクール (FSH)指定校。レベルの高い福岡県で少なくとも五本の指に入る進学校。福岡市の御三家と呼ばれる修猷館、福岡、筑紫丘。そして北九州市の東筑、久留米市の明善がいずれ劣らぬトップ校。他にも多くの進学校が存在する。
東筑は1898年東筑尋常中学校として開校、1949年折尾高校と八幡市立八幡(やはた)商業とを統合し県立東筑高校となる。校歌は民俗学者であり国文学者の折口信夫(おりくち・しのぶ)による作詞。難関国立大学への現役合格志向が強く、情報交換の場として東筑、熊本、鶴丸、宮崎西、佐賀西のトップ校同士で連絡協議会を行っていて、主要国立大への現役合格率は全国トップクラス。

このように高い大学進学実績を持ちながらも部活動には8割の生徒が参加しているといい、文武両道だ。特に野球部は2017年夏の甲子園に21年ぶり出場し話題となったが、東筑はこれまで夏に6回、春に2回と甲子園出場を果たしている。ちなみにこの21年前の甲子園は春の選抜で、今治西に敗れてしまい、2017年も済美に敗れ愛媛県に何とか勝ちたいところだろう。しかし野球とボートは春の全国選抜と夏の全国選手権、スケジュールに共通点が少しありますよね。

北九州市は関門海峡をはさんで下関市と向かい合い、福岡県の北部であり九州の最北端に位置する。日本有数の工業都市で、1963年に門司、戸畑、八幡、小倉、若松の5市が合併し人口100万人規模で日本では京都、大阪、神戸、名古屋、横浜に続き6番目の政令指定都市となった。福岡市よりも9年早い。現在北九州市の人口は95万人、福岡市の145万人に次ぐが九州2位の大都市だ。北九州市と福岡市は同じ福岡県でも70km近くも離れており文化も違うと言われ、北九州はどちらかといえば本州の影響が強いという。北九州の市内でも、旧国名で豊前と筑前に分かれている。八幡西区は東筑の名が示す通り筑前に属する。

東筑高校は西に遠賀川(おんががわ)、東に金山川(きんざんがわ)が流れ深く入り込んだ洞海湾に囲まれた折尾地区にある。さらに学校から1、2kmの距離にある瀬板(せいた)の森公園内に瀬板貯水池がありボートの練習ができる環境となっている。東筑ボート部は2017年度現在部員56名とかなりの大所帯、2012年インハイでM4X+決勝4位、W2X6位と男女とも活躍し、女子ダブルの2人はそれぞれ熊本大、早稲田大でも活躍。2014年もインハイW2X6位。近年は大学でも続け活躍する選手が増えている印象。〇TTのS々野選手、代表選手も輩出している。「Don't Stop Believing!」をスローガンに日本一を目指して毎日練習に取り組んでおり、スクールカラーであるエンジ色のユニフォームが映える北九州の東筑クルーに注目だ。
2009年東筑高ボート部PV


八幡工業(やはた・こうぎょう)
北九州市八幡西区別所町にある県立高校。通称は「八工(はちこう)」。福岡県立八幡高校(はちこう)と混同されやすいためか、「やんこう」と通称されるようにもなったが、現在では秋田犬ハチ公をモデルとしたハチ公シャツを作るなど、八工(はちこう)に回帰しようとしている。
1933年八幡市立花尾職業学校として開校し、1935年県立八幡工業となった。ちなみにボートの強豪では以前見たように滋賀県立八幡商業(はちまんしょうぎょう)があり、ボート部はないが八幡工業(はちまんこうぎょう)もある。北九州市のほうは福岡県立八幡工業(やはたこうぎょう)なのでお間違えなく。八幡製鉄所のやはたである。八幡工業ボート部は東筑とともに瀬板貯水池で切磋琢磨し毎年インハイに出場、2016年時点で部員16名だ。

八幡製鐵所は1901年の明治34年、官営製鉄所として発足、岩手県の釜石鉱山製鉄所に次いで日本で2番目の製鉄所であり、明治から昭和期にかけ近代日本の富国強兵および製鉄・製鋼の産業を支えた。第2次大戦前には日本の鉄鋼生産量の過半がここ八幡製鉄所で製造された随一の製鉄所だった。その後民間となり八幡製鐵、新日本製鐵を経て2012年には住友金属工業と合併し現在は新日鐵住金となっている。
新日鐵住金といえば茨城県潮来に住友金属からのボート部を持っているが、この福岡県八幡にも1966年創部の八幡製鐵所ボート部がある。「八幡製鐵所の従業員3万5000人の健全な社会生活を築き上げる一助にしたい。それには究極の団体スポーツとしてのボート競技が一番」との思いで15年かけてボート部を創設したという。すぐ近くの企業、三菱化学黒崎とも親交が深く、この北九州市ボートは社会人ボートから発展したといえる。
八幡製鉄所ボート部が練習する河内貯水池は八幡製鐵の工業用水の水源であり、東筑、八幡工業のボート部も練習する瀬板は三菱化学黒崎(現・三菱ケミカル)の用水貯水池であるため、水域としても企業が管理する貯水池として社会人ボートの関わりあってこその北九州ボートの歴史だといえる。
新日鐵住金 八幡製鐵所ボート部創部50周年記念式典


遠賀(おんが)
遠賀郡遠賀町上別府にある県立高校。
1911年に開校した遠賀郡立遠賀農学校を前身とし、1949年県立遠賀高校となる。1955年遠賀農芸高校に改称するが、20年後再び遠賀高校に戻る。
遠賀町(おんがちょう)は遠賀川(おんががわ)をはさんで北九州市に隣接し、東筑、八幡工業とも距離は近い。遠賀高校ボート部は、1990年福岡国体と2013年インターハイで会場になった遠賀川漕艇場で練習をしている。2017年時点で部員は9名。ブレードは白地、先端に紺での校章か遠賀町町章の「オ」らしきデザインが入っている。校章のほうではなく遠賀町の町章だと思うので、とりあえずそのようにさせていただきますがボート部サイトの写真が小さいので定かではありません。お分かりの方情報願います。
福岡の高校ボートは北九州地区の3校のみ。大学には九大や久留米大医学部などがあるので、できれば福岡市や久留米市の高校にもボート部がもっとできると良いですね。






高校ブレード 佐賀県
佐賀県

唐津東(からつひがし)
唐津市鏡新開(かがみしんかい)に所在する県立中学校・高等学校で併設型中高一貫校。
略称は「東高」。「鶴城(かくじょう)」の別名で呼ばれることもある。なぜ高校の通称が鶴城か。唐津市内を流れる松浦川が松浦湾に注ぐ河口の西側には、唐津藩の居城だった唐津城があり海に面した満島山(みつしまやま)の上に建っている。河口東側は虹の松原という景勝地もあるが、唐津城は上から見ると本丸を中心に鶴が翼を広げたように見えることから舞鶴城とも呼ばれており、この翼に当たる二の丸の跡地に長年、唐津東の校舎があったことから「鶴城」の愛称があるのだという。しかし中高一貫校となり敷地が手狭になったため2007年に松浦川東側の鏡新開へ新築移転、ところ変われど同窓会の名や文化祭の名に「鶴城」の愛称が使われ続けている。
この唐津城二の丸の唐津東校舎跡地には現在、2010年新たに開校した早稲田佐賀中・高が入っている。唐津東OBとしては若干、複雑な気持ちもあるのだという。卒業生の母校への思い、かくのごとしである。たとえば校名が変わっても当時の校名に誇りや愛着を感じいつまでも使いたいものだし、以前住んでいた部屋が今は別の人の所有になっていると知っても当時の思い出も大切にしたいだろう。新しい人は何も気にすることはないが、歴史とは常に新しく塗り替えられつつも積み重なった地層も知って大切に保管しその足跡を次へ生かすことがいつも大事なのだと思う。
唐津城 唐津観光協会
唐津市観光協会サイトより画像転載
日本のモンサンミッシェルとも呼ばれる水上に浮かぶ城、唐津城。しかしこのフレーズは長崎県壱岐島など色々なスポットに使われている。

さて、そんな伝統校の唐津東は1823年設立した唐津藩の藩校志道館の流れを汲み、旧制唐津中学を経て1899年開校した佐賀県立第三中学校を創立年とする。1949年周辺高校を統合し唐津高校が新設、1956年に唐津高校が唐津東と唐津西に分離、県立唐津東高校となる。この年第1回鶴城祭も開催。唐津東は佐賀県立トップ校の佐賀西、そして致遠館と並ぶ3本の指に入る進学校。

唐津東ボート部は多くの名選手を輩出し、個人的には2002年全日本新人W4X+決勝で大学勢を破って優勝した唐津東女子クォド(おそらく唐津東・西・商業の混成)が印象に強く、当時私も目の前で見ていたが高校生クルーの元気な喜び方が印象的だった。予選タイムで23秒も離されていた日体大に対し、決勝では顧問先生の「合わせようとしすぎていて、みんな、強く漕ぐことを忘れているよ」のアドバイス一言で一変し唐津東クルーは強く大きな漕ぎで日体や鹿屋体大に競り勝ったのだった。4人乗り以上の種目で高校生が大学生に勝つことは珍しく、当時話題になった。近年では2015年ジュニア代表に選ばれたY田選手が、進学した佐賀大医学部でもボートを続けており、医大女学生のボートマンは文武両道を続けている。



唐津西(からつにし)
唐津市町田に所在する県立高校。通称は「西高」、「ニシ」。
1907年に唐津町立実科高等女学校として開校。1920年佐賀県立唐津高等女学校と改称、1949年第一高校と統合し佐賀県立唐津高校となるが、1956年分割され、県立唐津東高校と分かれて 県立唐津西高校となる。
佐賀県唐津市は人口12万人、佐賀県北西部に位置し面積487㎢で佐賀県の20%を占めかなり広い。日本海の玄海灘に面しており、佐賀県東端の鳥栖市なども加え全体でおよそ350万人という福岡都市圏に含まれることが多い。中心市街地は唐津藩の城下町が前身。唐津神社の秋季例大祭である「唐津くんち」や特別名勝の「虹の松原」、日本三大朝市のひとつ「呼子朝市(よぶこあさいち)」などが有名で、広大な面積に多数の観光資源を有する。唐(から=中国や韓国)へ渡る津(港)という由来のとおり、最短の海上路線をもつ唐津は古来中国大陸への玄関口として栄え、魏志倭人伝でも「まつら国」として登場しているという。佐賀ボートの中心水域、松浦川。「まつらがわ」と呼ぶこともあるようだが、正式には「まつうらがわ」で良いようだ。
松浦川では唐津東、唐津西、唐津商業、早稲田佐賀の4校が学校の垣根を越えて合同で練習をし、さらに中学、大学、社会人も活動し佐賀ボート一体となって強化・普及のためのホームを形成している。中学生から指導する唐津ジュニアローイングクラブのコーチも唐津西の先生だ。2016年時点は部員減少、唐津東1名、唐津西5名、唐津商業3名、早稲田佐賀16名と少ないが一丸で部員を多く増やしてほしい。ここ唐津の松浦川が、世界へ渡る国際前線基地となれ!


唐津商業(からつ・しょうぎょう)
唐津市元石町(もといしまち)に所在する県立高校。「唐商」(とうしょう)もしくは「商業」の通称で呼ばれる。
1917年開校の私立唐津商業補習学校を前身とする。数回の移管・改称を経て、1962年に現校名の県立唐津商業高校となった。ボート部では何といってもロンドン五輪LW2X代表のF本選手を輩出した。2006年滋賀県琵琶湖のインハイW1Xで佐賀県初となる優勝を果たした唐津商業のF本選手は、明治安田生命に進み、2012年ロンドンでは4度目の五輪となるI本選手と女子ダブルを組み12位。現在ではトヨタ自動車を牽引するエースとして今なお活躍している。トヨタ自動車、五輪代表やオープン女子のスターで構成される黄金の女子クォドが全日本を制する日も近いか?


早稲田佐賀(わせださが)
唐津市東城内に所在する併設型の私立中高一貫校。通称は「早稲田佐賀」、「早稲佐(わせさ)」。
早稲田大学の創立125周年事業として、大隈重信の出身地である佐賀県に早稲田の中高一貫校を設立しようとOBや関係者が計画、2010年に早稲田中学校・高等学校として開校した新しい学校。早稲田佐賀は早稲田大学の系属校であり、学校指定の基準を満たせば50%の生徒が早稲田大に推薦入学できる。前述のとおり、唐津東の跡地である唐津城に建設された。

早稲田大学の創設者である大隈重信は佐賀藩士であり、藩校の弘道館に学び、さらに枝吉神陽に国学を、佐賀藩主鍋島直正にオランダ憲法などを学び蘭学に通じ、自身も弘道館教授として蘭学を講じる立場になったという。肥前における国際交流や国学蘭学を学べる地域環境が、大隈自身の国政への思いと「日本一の学府を建て多くの若者を育てたい」という教育熱につながったのかもしれない。肥前の志士には副島種臣、江藤新平らがおり、「薩長土肥」の一つに数えられる多くの志士、明治の元勲を生んだ雄藩の背景には常に教育、学校があったのだ。大隈重信は明治維新期においても活躍するが、薩長勢との意見の対立から一旦政府の職を辞し、立憲改進党を結成しつつ、「学問の独立」「学問の活用」「模範国民の造就」を謳って東京専門学校(現早稲田大学)を当時東京郊外とされた早稲田の地に開設した。また、若き日の素養によるものか大隈は外交手腕を伊藤博文に高く評価され、明治21年外務大臣に就任し再び国政に戻され、明治31年60歳の時には板垣退助との憲政党により薩長出身者以外で初めての内閣総理大臣に選ばれ、これが日本初の政党内閣となる。党内対立や外交面での強硬姿勢などで国内外に対立を抱え短命内閣に終わったが、その後は早稲田大学総長への就任や文化事業に尽くした。(76歳で再び総理大臣に任命される)

大隈重信は、早稲田大学と大リーグ選抜チームとの試合に始球式を行い、これが記録上最古の始球式とされる。このときストライクゾーンから大きく逸れる球を投げてしまい早稲田の1番打者が元総理、総長、大先生の大隈の投球をボールにしてはいけないとわざと空振りをした。これ以降、1番打者は投手役に敬意を表すために始球式の投球を絶好球でもボール球でも空振りをすることが慣例となった。
大隈は明治5年、日本の暦を現在のグレゴリオ暦(太陽暦)に変えた。
同志社大の創始者新島襄とは深い親交があったといい、また日本女子大の創始者成瀬仁蔵とも親しく、両校とは学生間交流が現在も続いている。
また、慶應大との関係である。政治家嫌いの福澤諭吉とは度々雑誌での論戦に明け暮れ、福澤は大隈を「生意気な政治家」と、大隈は福澤を「お高くとまっている学者」と言ってお互い会うことを避けていた。そんな二人を周囲は犬猿の仲だと言っていた。ある日、雑誌の編集部が大隈と福沢を会わせてみようと本人達に内緒で酒宴の席を設けた。いったいどうなるかと周囲は面白がっていたが、直接相対した両者は酒が通ると意気投合し、大隈が「福澤先生はうらやましいですね。未来ある若者に囲まれておいでだ」と言うと、福澤が「あなたも学校をおやりになったらどうです?」と持ちかけられて、早稲田大学を作ったという。当時金策に奔走していた慶應義塾の福澤諭吉から大隈重信大蔵大臣宛てに借用願いを提出していた事情があるということだが、早慶の創始者の間柄は、犬猿の仲から始まるよきライバルであり親友となったのだった。早慶戦は親睦と交流が一義にありそこからのよき切磋琢磨なのだろう。すべて社会に貢献し還元する目的は一致しなくてはならない。

そんな近代日本を代表する大人物の大隈重信だが、出身は佐賀城の近くで現在の佐賀市であり、早稲田佐賀中・高の設置を唐津市に決定したのは、海に面した自然環境、福岡までの交通の便、アジアとの交流玄関口、といった環境面も背景にあるとのこと。
早稲田佐賀ボート部は開校3年目の2012年に創部とこれからのチームだが、もうすでに部員も佐賀県内で最多となり4年連続インハイ出場を決めている。早稲田大出身のK谷先生が日々指導をしているとのこと。東京の早稲田だけでなく、佐賀の早稲田も全国を大いに沸かせるか?
「早稲田佐賀・テニス、ボート」
「SAGAハイスクールナビ」
早稲田佐賀ではボート部を大いにアピールしています!


厳木(きゅうらぎ)
唐津市厳木町厳木(きゅうらぎまち・きゅうらぎ)に所在する県立高校。通称は「厳木」、「ラギ」、「ラギ高」。
1951年唐津高校の厳木分校として開校し、1961年定時制の県立厳木高校として独立、翌1962年全日制普通科高校となる。以前ボート部があったということだが、2018年現在はボート部の登録がなく、ボート部があるのはかつての厳木も含めいずれも唐津市内の高校だが唐津東、唐津西、唐津商業、早稲田佐賀の現在4校。






高校ブレード 長崎県
長崎県

大村(おおむら)
大村市久原(くばら)にある県立高校。通称は「大高」(だいこう)。
1670年、大村藩4代目藩主・大村純長が玖島城内(くしまじょうない)桜馬場に九州で初めての藩校として開学した「集義館」を前身とする。1884年、私立大村中学校(旧制中学校、4年制)が創立されこの年を創立年度とする。その後多くの改称・改編を経て、1948年3校が統合し県立大村高校となる。
東に佐賀県と隣接する長崎県は、対馬や壱岐、五島列島など島嶼(とうしょ、大小さまざまな島のこと)が971あり、その数は日本一。複雑に入り組んだ海岸線の長さは4137kmであり、北海道に次いで国内2位(北方領土を除いた場合には1位となる)。面積が北海道の約20分の1である長崎県の海岸線がこれほど長大であるのは、島嶼が非常に多いことに加え、リアス式海岸で海岸線が複雑に入り組んでいるためである。この地形的特徴により、長崎県全域に83箇所の港湾が点在しており、その数は国内の7%に及ぶ。なお、長崎県内には海岸線からの距離が15km以上の地点はない。つまり、海と島、船と港の県だといえる。

大村市は西に大村湾を臨む長崎県中央部に位置する。キリシタン大名で知られる大村純忠などこの地方の大名である大村家は南蛮貿易などで栄え長崎の多くを所領としていた。その後大村藩として玖島城(大村城)を藩庁とし城下町として、そして昭和期は海軍航空隊が置かれたため軍都としても発展した。現在は長崎空港があり玄関口にもなっているほか、陸海空の交通アクセスが良い。
大村湾は佐世保湾とつながるが、ディズニーリゾート級のテーマパークのハウステンボスがあることで知られる針尾島(はりおじま)によって塞がれる閉鎖的な海域で、内海としてぽっかりと長崎県中央部を占める。大村湾は穏やかな波が海岸に打ち寄せる様から「琴の湖」(ことのうみ)の別名があり、これは江戸期の漢学者・頼山陽が呼び始めたものと伝えられる。とはいえボート環境としては波風の強い水域が多いようだ。
長崎県 高校・水域地図 Mapfanより 700×600
長崎県の水域。Mapfanサイトを使用して作成させていただきました。スマホの方はやはり画像を指タップすれば拡大ができるようになります。
長崎の内海にしてボート環境の大村湾を囲む水域マップ。時計回りに紹介

東浦(ひがしうら)漕艇場・・・大村と大村城南が練習。東浦漁港に併設され、風が強く波が高い。
子々川(ししがわ)・・・長崎大医学部が練習。時津町(とぎつまち)にあり、比較的波風は穏やか
村松湾西海川(むらまつわん・にしうみがわ)・・・長崎明誠が練習。琴海南部公園の一角で、ゴルフ場と小学校が隣接しトイレも完備。隣の西海市は「さいかいし」と読む。
形上湾ボートコース(かたかみ、かたがみとも読むようだ)・・・2003年インターハイと2014年長崎国体が行われたコース。
日宇川(ひうがわ)・・・佐世保市にあり、佐世保湾に注ぐ。佐世保高専が練習。
本明川(ほんみょうがわ)漕艇場・・・干拓で知られる諫早市(いさはやし)、有明海の諫早干拓地に注ぐ本明川に新しくできたボート水域で直線3kmがとれる。社会人チーム・チョープロが練習。
長崎県諫早市に実業団チョープロの艇庫が竣工

大村高校ボート部は2016年時点で部員27名、保護者会のSNSなども盛り上がっているようで、多くの有力選手を輩出する長崎ボートの強豪だ。


大村城南(おおむら・じょうなん)
長崎県大村市久原にある県立高校で、大村高校の近くにある。
1941年大村市竹松実業学校として開校し、1948年県立大村農業高校に改称。その後1955年に長崎大学教養学部跡(現在地)に移転し県立大村園芸高校となる。しばらくこの大村園芸として続いていくが、1998年に県立大村城南高校に改称し、園芸と農業だけでなく、総合学科と環境デザイン科を設置する。スポーツは強く、体操、ラグビー、弓道が全国レベル。そしてボート部も強豪であり1969年地元長崎国体では女子KFで優勝するなど輝かしい歴史があるが、最近でも部員39名とかなり多数だ。長崎ボートはいま熱く、2016年時点で大村(27名)、大村城南(39名)、長崎明誠(39名)、佐世保高専(17名)と、部員獲得に比較的成功している県だといえる。


長崎明誠(ながさき・めいせい)
長崎市西海町(にしうみまち)にある県立高校。
1949年に開校した長崎県立大村高等学校農業部村松分校を前身とする。数回の改編・移管・改称を経て、1974年琴海高校として独立。1998年に総合学科を設置し、現校名の県立長崎明誠高校となった。
長崎明誠の校歌「夢ありてこそ」は作曲・作詞ともに長崎県(長崎市)出身のさだまさし。スクールカラーはライトブルー。明るく青く澄み切った、大空と海のような心を持った青年に育って欲しいという願いが込められているという。また、1996年から男女ともに森英恵デザインによる制服が採用されている。誇りをもって着たくなるような魅力的な制服にしたかったとのことで、なかなか斬新で個性を尊重する校風だが、風紀にも厳しく、厳正な容儀指導も行われるという。
ボート部は2013年インハイW2Xが優勝、このほかにも多くの名選手を出しており全国上位の強豪となっている。


佐世保高専(させぼ・こうせん)
佐世保市沖新町にある国立高等専門学校で、1962年に設置された。略称は佐世保高専。
長崎県では唯一の高等専門学校であり、その伝統と実績から多大なる評価を受けている。高専生は「生徒」ではなく「学生」であり、学校側としては高校とはちがった自覚を求めている。近年では高校を卒業をした者の4年次編入や、専攻科の設立などひと昔前までの高専のイメージとは異なる部分も増えてきている。また、近年女子学生の割合も増えており、特に物質工学科では半数程を女子が占める。佐世保高専校長は、慣例的に九州大学で教授職を退いた人物が務めている。
佐世保市は、かつて旧海軍四軍港(横須賀・呉・佐世保・舞鶴)の一つとして鎮守府が置かれ、現代でも自衛隊や在日米軍の基地として伝統を受け継ぐ、造船および国防の町として知られている。日米の軍艦や空母が出入りし国連指定港湾にもなっており、ご当地グルメの佐世保バーガーは1950年頃米海軍関係者から教わったハンバーガーレシピが始まりとされている。また、西海国立公園に指定されている九十九島や日本最大級のテーマパークであるハウステンボスに代表される観光都市でもある。長崎市とは離れているため、経済圏は異なる。長崎県北部の中心都市で、長崎県では長崎市についで2番目、九州では9番目に多い25万人の人口を擁する。こうした大きな工業都市でもある点から、佐世保高専の存在意義という部分においてたいへん高い価値があるのだろう。
佐世保高専ボート部はやはり強く、2011年インハイにおいてM1X準優勝を果たし、佐世保高専史上初のインハイメダルに輝いている。クォドなどでも全国に出場しており、2016年全日本M1X出漕するなど(2016全日本特集でも紹介させていただきました)高専ボート部として高いレベルで競技活動を続けている。
2014インターハイ河口湖・佐世保高専4X+






高校ブレード 大分県
大分県

日田(ひた)
大分県日田市田島にある県立高校。通称は「日田高(ひたこう)」。
1912年日田郡立工芸学校女子部として設立、1920年大分県立日田中学校と改称、1948年日田第一高等学校となるが1953年に現在の校名である大分県立日田高等学校と改称する。以前から文武両道として知られるが、2011年スーパーサイエンスハイスクールにも指定され、進学面でのいっそうの成長が期待されている。ムツゴロウの愛称と動物王国で知られる作家の畑正憲さんは日田高校から東大に進んだという卒業生だ。

日田は全国に名を轟かせるボートどころだ。日田市は大分県の西端にあり旧豊後国の区分だが、熊本県の阿蘇市・菊池市や、福岡県とも隣接し、特に筑後川水系にあたるため歴史的に筑後・筑前地方(福岡県)とのつながりが強い。ちなみに大分市は愛媛県と豊後水道をはさんだ北側、瀬戸内海の別府湾に面し、豊後国の国府が置かれ大友氏の本拠として発展しており現在も47万人と大分県の人口のうちおよそ4割が集中している。この大分市と日田市はやや離れている。
筑後川(ちくごがわ)は坂東太郎(利根川)、四国三郎(吉野川)と並び称される筑紫次郎(つくしじろう)と呼ばれる日本三大暴れ川であり九州最大の河川。阿蘇山を水源に日田市で玖珠川(くすがわ)を合わせ、福岡県に入り筑紫平野を貫流、有明海に注ぐ。筑後川は日田市内での玖珠川との合流地点から福岡県境付近にある夜明ダムまでを三隈川(みくまがわ)と呼ばれる。言い伝えによると大昔の日田盆地は湖だったが、東からやってきた大鷹が湖で羽をひたして飛び去り、その後大地が鳴動し雷が落ち湖の水があふれ出すと大きな川と3つの丘が現れたという。この川が三隈川であり、「日隈」「月隈」「星隈」という名の3つの丘とともに日田市のシンボルとされた。
日田は日田杉など豊富な木材の産地だったため三隈川は下流都市への水運として栄え、下流域の筑後川でも久留米、柳川、鳥栖、佐賀といった町は筑後川の恩恵を受け大いに発展した。しかしたびたび水害も起こしており、一夜にして豊饒な流域全体を洪水に飲み込んでしまうという伝承から「一夜川(いちやがわ)」の別名もある筑後川だが、1954年九州電力によって発電用の夜明(よあけ)ダムが建設され、その他の水域にもダムが増えて水害は減少しつつある。洪水の恐怖の夜が明けたかに見える現代(それでも大規模な水害は起こるが)だが、夜明ダムの命名が一夜川の言い伝えと人々の洪水がなくなってほしい願いに由来しているかどうかは分かりませんでした。

この夜明ダムと三隈川の水域で、日田、日田三隈、日田林工の日田市の公立高校3校すべてにあるボート部は練習しており、暴れ川におけるハードトレーニングで全国屈指の大分ボートの強さを発揮している。日田高ボート部は日大出身のS田先生が90年代だろうか、顧問に就任しゼロからのスタートで水域の整備や部の運営に苦労しながら大分ボートを育てたと聞く。1999年にジュニア代表にもなった国体M1X優勝のK橋選手を出すと、2000年には日田林工のH選手が全国選抜M1X制覇、日田三隈W2Xも全国選抜優勝と大分ボートが開花する。その後大分勢は全国優勝を何度も成し遂げ、日田高だけでもインハイW1X優勝1回(2002)、インハイW2X優勝2回(2001、2008)、インハイW4X+優勝1回(2005)、全国選抜でも様々な種目で5回の優勝がある。大分といえば最近では大分選抜が国体W4X+2連覇(2015、2016)を果たしたのが印象的だろう。
2016年時点で部員36名。現在もS田先生の教え子が日田高ボート部の顧問として日々強豪クルーを育てており、水の豊かな日田を全国へアピールしつつ、多くのボートマンとボート文化を育ててほしいと思います。


日田三隈(ひたみくま)
日田市友田に所在する県立高校。通称は「三隈」。
1964年県立日田三隈商業高校として開校し、1983年普通科を増設し県立日田三隈高校と校名を変更。この三隈は前述のとおり、日田市のシンボルである三隈川と3つの丘に由来するものと思われる。
こちらも日田高と全く同じく、チーム大分として夜明ダムで切磋琢磨しており、全国選抜W2Xで2回の優勝があり(2000、2004)、全国選抜W2Xは2000~2008年の間に大分勢が5回優勝ということで得意種目にした。もちろん、男子やその他の種目も強いクルーを全国に出している。2016年時点で部員21名。
三隈高校ボート部練習の紹介


日田林工(ひた・りんこう)
日田市吹上町に位置する県立高校。月隈山麓にあり、通称は林工(りんこう)。
1901年、林科、蚕業科を併設した大分県立農林学校として創立。さまざまな改編を経て、1948年日田第二高校となるが、1952年日田月隈高等学校と改称し、さらに1953年に大分県立日田林工高校と現校名に改称。現在は林業科、機械科、電気科、建築土木科の4つの学科がある。
スポーツは盛んで、特に野球部は甲子園出場6回を誇る県内の強豪校。そしてボートだが、もともと日田高や日田三隈と比べると部員はごく少数のようす。1999年H選手を出したがこれも元々は友人のK橋選手に誘われ日田林工に通いながら日田ボート部で練習するようになった越境入部だという。2年の3月で全国選抜M1X優勝、3年夏でインハイM1X優勝を果たした。このH選手はD輔選手であり日田市役所でもボートを続け、弟さんのJ哉選手(日田~早稲田大)、妹さんのM奈美選手(日田~デンソー)とともにH3兄弟として有名になった。3人とも高校でインハイや国体などの全国優勝をしているというすごい3選手だ。その長兄であるD輔選手は後輩指導にも意欲的だったということで、大分ボートを選手として背中で引っ張ってきた。こういう存在は本当に重要だと思う。
近年ではメダルポテンシャルアスリートのD門選手が出たことでも知られる。日田市の第3のボート部日田林工から出てくる世界的な選手をこれからも見てみたい。
2004年記事Viento~おおいたの風~


海洋科学(かいようかがく)
2017年4月に新しく開校した、大分県臼杵市諏訪(うすきし・すわ)にある県立高校。2017年3月まで津久見高校海洋科学高校(つくみこうこう・かいようかがくこうこう)という名称で津久見の分校という形になっていたが、漁業従事者や船員の不足などを踏まえてこの分校は閉校し、独立して海洋科学高校となった。校舎は臼杵市のまま名前や内容が変わっているだけになる。
海洋科学校がある臼杵市も、津久見高校のある津久見市も、豊後水道を臨む太平洋に面しており、海の向こうには四国・愛媛の宇和島市や西予市がある。
ボート部はしっかり活動しており、2016年時点で部員7名、日田の強豪3校の一角を崩し全国出場をたびたび果たしている。臼杵湾で海のクルーは川のクルーと常に対決して力を高めている。
このようなブログ記事もありました。海洋科学高校の紹介






高校ブレード 熊本県
熊本県

熊本(くまもと)
熊本市中央区新大江にある県立高校。略称は「熊高」(正式にはクマコウ、一般には熊工との区別のためクマタカと呼ばれる)。そして熊本県では私立を抑え堂々のトップ進学校。
1900年に熊本縣中學濟濟黌(くまもとけんちゅうがく・せいせいこう)より分離開校した熊本縣中學第二濟濟黌を前身として創立。済々黌高校と元は一緒である。1901年熊本県立熊本中学校とし、1948年県立熊本高校(男子校)と改称する。翌年男女共学化。
「士君子」たるの修養を目標とし、徳性、智能、体力ともにすぐれた人物の養成を図る。「士君子」とは、熊中末期の戦時中には、“士=さむらい”と解されていたが、現在の熊高では、「国際社会にリーダーシップを発揮する能力と異質な文化に対する柔軟な心を備え、いついかなる時も品位ある態度を堅持することのできる人間」のことを指す。

熊本市内の高校・大学・クラブはすべて熊本市内にある江津湖(えづこ)がホーム水域となっている。熊本高校からは3~4kmの距離で、熊本市電など電車で通う形のようで、熊学こと熊本学園大付属も熊本高校のすぐ近く。済々黌などがやや遠いがいずれも江津湖に集い日々トレーニングしている。江津湖は熊本中心地から南東に約5km。長さ2.5km、上江津湖と下江津湖に分かれており下江津湖がボート部の活動拠点となっていて、艇庫と1000m4レーンの常設ボートコースがある。そして江津湖におけるボートの歴史は明治29年(1896年)と古く、熊本五高(現・熊本大)の端艇部長を務めたことで知られる夏目漱石の時代に遡るという。

福岡市・北九州市に次ぐ九州第3の人口74万人の大都市・熊本で市街地にこれだけの湖があるのは珍しく、この江津湖は74万市民の水道水の100%を地下水でまかなう「日本一の地下水都市・熊本市」のシンボル的存在。
その特徴はまず地形にあり、かつて27万年から9万年前にかけての阿蘇山の大噴火により火砕流でできた熊本の大地は地層にすきまが多く、水が浸透しやすいために地下水を豊富で良質な水が蓄えられやすい性質を持っている。
また、熊本城を築き熊本市を築いた祖といえる肥後熊本藩初代藩主・加藤清正は、大規模な土木工事、水田開発、そして治水工事を行い、治水の神様とも呼ばれた。それまで「隈本(くまもと)」と書かれていた地名を「熊本」のほうが勇ましいという理由で改め、また城下周辺を流れる白川・坪井川を現在の流路に変更、その他熊本県の多くの大規模な河川工事を手掛け、広大な穀倉地帯を誕生させた。水が浸透しやすい土地に水田を開いていったため、ますます地下水が豊富となり、熊本市周辺の地下にはプールのように水が蓄えられ遠方のダムから水を引かなくともじゅうぶん市民の水源がすぐ足元にある状態を作り上げたのである。この地下水が江津湖から1日40万トンという湧水量として湧き出でており、江津湖は地下水都市を象徴する熊本の泉といえる水域なのだ。
江津湖も加藤清正が湧水を堰き止めて築いた湖であり、多くの自然環境と「森の都」「水の都」といわれる熊本市の重要水域として市民に愛され大切にされている。「肥後は火の国」とよく言われるが、熊本は「火の国」でもあると同時に「水の国」でもあるのだ。

熊本高校ボート部はインハイにはたびたび出場を果たしているが部員3名とやや減少しており、ここで一気に強く大きくなってほしい。
熊本高校PV


済々黌(せいせいこう)
熊本市中央区黒髪(くろかみ)にある県立高校。
学校名は、「詩経」の一節「濟濟たる多士、文王以て寧(やす)んず」から採られている(「黌」は「学校」を意味する)。すぐれた人材が多く集まっている、多士済々の語源でもありますね。そのため卒業生を「多士」と呼び、現在でも「校長」を「黌長」、「校門」を「黌門」などと表記する伝統がある。「済済黌」、「濟々黌」とも表記する。ちなみに黌長印には「熊本県立済済黌高等学校長」とある。
建学の精神である「徳・体・知」の三育併進に努め、逞しい気力と体力を養い、真の文武両道の実現に努める。など、教育方針はいくつか制定されている。スクールカラーは黄色で、学帽、学生服、本館には黄色(実際は山吹色に近い)の線がデザインされている。このため熊本では「黄線」(キナセン)といえば済々黌の代名詞ともなっており、ブレードもまさに黄線だ。
熊本県内でもっとも古い1879年創立の高等学校。1900年第一済々黌となり第二済々黌(のちの熊本高)と二分。そのほか改編を経て、1948年県立済々黌高校(男子校)となり、翌年男女共学化。学力面では熊本に次ぐと見られるがそれでも熊本トップ校といってよい劣らぬ進学校。文武両道を掲げ野球の名門でもあり、1958年全国選抜優勝。打撃の神様にして巨人V9の監督川上哲治や広島カープを史上初の日本一に導き黄金期を築いた監督古葉竹識などをはじめ多くの著名な卒業生がいる。
済々黌ボート部は意外にも歴史は明治などではなく、「昭和41年(1966年)に産声を上げた」と記録にある。当時熊本のボート部は熊本ボート発祥の熊本大と、熊本大医学部、そして熊本商科大附属(現在の熊学)の3チームしかなかったという。済々黌は2016年時点で部員7名だが、1994年インハイW2X優勝、1995年には全国選抜とインハイのM4+で優勝の二冠、90年代半ばに黄線ブレードがまぶしく光り輝いた。ぜひ名門復活を希望したい。
熊本県ボート協会資料
先述のとおり熊本ボートの歴史は古く、九州にボート競技を根付かせたのは夏目漱石をはじめ多くの先人たちのボートへの熱い思いがあってこそだろう。現在、JOCジュニアオリンピックカップ(全日本ジュニア選手権)2000mレースが菊池市の班蛇口湖で開催されているが、熊本の地で毎年全国大会が行われているというのも、こうした熊本ボートの情熱があってこそではないだろうか。


熊学(くまがく)
熊本学園大学付属中学校・高等学校は、熊本市中央区大江二丁目にある併設型の私立中高一貫校。熊本学園大学の付属校である。地元では一般に学園大付属や学付(がくふ)、校内の教職員の間では付属高校と呼ばれており、特にボート部は自らを「付属クルー」と呼ぶが、ボート界的には「熊学(くまがく)」の通称で通っているようだ。
1958年、熊本商科大学付属高等学校として開校、1994年「熊本商科大学」が「熊本学園大学」に改称されたのに伴い、高校も「熊本学園大学付属高等学校」と改称。2011年熊本学園大学付属中学校が新設され、中高一貫教育を開始。
熊学は熊本を代表する、いや九州を代表するチャンピオンチームといってもいい強豪校。江津湖を本拠に、江津湖から湧き出す豊かな地下水のように多くのボート人を創り上げ、毎年全国上位を争うクルーを送り出している。

熊学ボートは、B場先生とN藤先生の2人を抜きに語れない。
B場先生は1990年以降の記録を調べただけでも全国選抜W1X優勝3回(1992、1999、2003)、全国選抜W2X優勝2回(1991、1998)、全国選抜W4X+優勝2回(2003、2004の連覇)。インハイではW2X優勝2回(1991、2003)と全国優勝は9回を数える。
そのB場先生の教え子だった熊本商大附属高出身のN藤先生は、2004年に母校である熊学の顧問に就任すると2005年インハイM4X+優勝、2013インハイM2X優勝、2011と2012インハイW4X+連覇と、師弟ともに日本一連覇リレーの快挙を果たした。このほか熊学は全国大会の常連として高校ボートで知らない人はいない存在感を示している。N藤先生ご自身も熊本商大附属のときに全国選抜M2X準優勝をしており、ボートに情熱を傾け尊敬できるB場先生に出会っていなかったら今の自分はないという。そしてD大に進みボートを続け、この学生時代を過ごした思い出の琵琶湖の地で就任後はじめてのM4X+インハイ優勝を経験できたのだというから運命的だ。
そして熊学ボート部出身者は大学でもボートを続ける選手は数多く、たくさんの名選手が日本ボートを引っ張っている。名将は名将を生む、よき例を熊学ボート部が証明している。部員は2016年時点で70名と、まさに九州一のチーム。白く輝くブレードの熊学クルーは、今年も全国の舞台で生き生きと躍動してくれるだろう。
むらかみさえさんtwitter 熊学ボート部円陣
ネットのTwitter画像より転載させていただきました。すみません。
大事なレース前にチーム一丸となる、熊学ボート部伝統の円陣。熊学の流儀が他チームにも広がる。


尚絅(しょうけい)
熊本市中央区九品寺(くほんじ)に所在し、中高一貫教育を提供する私立女子中学校・高等学校(併設型中高一貫校)。学校法人尚絅学園が運営し、その他の機関に尚絅大学・尚絅大学短期大学部がある。宮城県仙台市にある尚絅学院との関連はない。
尚絅とは中国の古典『中庸』に引かれた詩経の一節「衣錦尚絅((錦を衣て絅を尚ふ・にしきをきて、けいをくわふ)」に基づく言葉で、「華麗な着物をまとっても、うすぎぬを掛けて、外にあらわさない」という意味。 転じて、深い教養や学問を身につけていても、それを見せびらかさない奥ゆかしい女性であれとの建学の精神を表している。
1888年、私立済々黌(現熊本県立済々黌高等学校)より済々黌附属女学校として設立。1891年済々黌から独立して尚絅女学校と改称、1948年学制改革により尚絅高等学校となる。ボート部情報は少なく、現在は休部のようす。


菊池(きくち)
菊池市隈府(わいふ)にある県立高校。通称は「菊高(きくこう)」。
1908年隈府町外十一カ村組合立菊池女学校として開校、1920年菊池高等女学校に改称し、1948年県立菊池高等学校となり男女共学化。その後普通科に養蚕科、農業科も加わり菊池総合高校と称するが学科が独立、1953年再び菊池高校に戻る。
菊池市は熊本市より15kmほど北に位置し、熊本北部の市であり大分県の日田市とも隣接する。大宰府府官の流れをくむ菊池氏の本拠地・隈府(わいふ)を中心に市街地が形成されている。東部は阿蘇外輪山の天然生広葉樹で覆われ、野鳥の宝庫。その間を縫う清冽な菊池川の源流が大小の瀬と渕と滝をつくり菊池渓谷をなしている。菊池渓谷は日本名水百選にも選ばれている。
そして、毎年6月に全日本ジュニアが行われる班蛇口湖(はんじゃくこ)ボートコースがある。国内最大級の竜門ダムを利用し、1999年熊本国体を契機に作られた西日本唯一の公認2000m常設コース。ボート関係者からは「風なし、波なし、流れなし」と絶賛、理想のコースとされる。そんなコースがあるのか!まさに高校生のトップスカラーが集い日本一のスカル王者を決めジュニア代表を選出するコースにふさわしい。こうした水域環境が全国大会会場に選ばれる理由でもあっただろう。
菊池高校ボート部はインハイ出場を何度もしているが部員6名、多くの選手を出しているが全日本チャンピオンを決める地元チームとしてさらなる躍進を期待。
平成28年度熊本県菊池高校ボート部PV


菊池女子(きくちじょし)
菊池市隈府(わいふ)にある私立高校。通称は「菊女(きくじょ)」。
1925年隈府女子技芸学校として創立、1952年隈府女子専門学校へ改称し、1964年現校名の菊池女子高等学校となる。
菊池女子は全国選抜や国体への出場歴はあるが、ボート部情報は少なく部員は5名とのこと。


八代(やつしろ)
熊本県立八代中学校・高等学校は、八代市永碇町(やつしろし・ながいかりまち)にある併設型の県立中高一貫校。略称は「八高」(はちこう)。
1896年に開校した「熊本県尋常中学済々黌八代分黌」(後の熊本県立八代中学校(旧制中学校))と1902年に開校した「八代高等女学校」を前身としている。この2校が戦後の1949年に統合され現校名の県立八代高校となった。2009年に中学校を新設し、中高一貫教育を開始している。ほとんどの生徒が国立大をはじめ進学をめざしている。
八代高校ボート部は情報がなく、休部らしいとのこと。


八代清流(やつしろ・せいりゅう)
八代市渡町松上にある県立高校。八代南高校と氷川高校が統合して2012年に開校した。県内初の進学重視型単位制普通科の高校である。地元八代市出身の歌手八代亜紀が校歌を作詞作曲している。
八代南高校は1979年開校、ボート部は熊本県の強豪として活躍したびたびインハイにも出ている。氷川高校にはボート部はなかったようで、この八代南ボート部の精神を引き継ぎ八代清流ボート部として新たに歴史を刻んでいる。
八代市(やつしろし)は熊本県南の中心的な市で、県下第2の人口を有する田園工業都市。最上川・富士川と並び日本三大急流の一つで熊本県最大の川である球磨川(くまがわ)が分流して、八代海、別名・不知火海(しらぬいかい)に注ぐ三角州地帯の北岸に市街地がある。江戸時代には、熊本藩主細川氏の筆頭家老松井氏の城下町として栄えた。
この急流・球磨川で練習をしているのが八代清流ボート部。熊本県立高校艇庫から艇を出し球磨川まで徒歩5~10分程度台車に乗せ、途中たくさんの行き交う人に挨拶しながら出艇するのが日課。部員は9名、球磨川のように急流の勢いで全国へチャレンジ!


秀岳館(しゅうがくかん)
八代市興国町(こうこくまち)にある私立高校。学校法人八商学園が運営している。地元の人間からは、「八商(やっしょう)」、「がっかん(岳館)」等とも呼ばれている。
1923年八代町立代陽実業補習学校として開校、1952年八代商業学校と校名変更する。1954年学校法人八商学園と組織変更し1956年私立八代商業高等学校となる。1963年八代第一高校と改称、そして2001年秀岳館高等学校と現校名に変更する。以前から野球の強豪校であり、甲子園には何度も出場している。三冠王を獲った松中信彦選手らを輩出している(当時校名は八代第一)。
ボート部の情報は少ないが、女子部員3名がいるようだ。






高校ブレード 宮崎県
宮崎県

宮崎商業(みやざき・しょうぎょう)
宮崎市和知川原(わちがわら)に所在する県立高校。「宮商」(みやしょう)の通称で呼ばれている。
1919年創立の宮崎町立商業学校(実業学校)を前身とする。1948年の学制改革により、宮崎県立宮崎大宮高等学校商業課程となる。1957年に宮崎大宮高校から商業課程が分離する形で県立宮崎商業高校として独立した。校訓は士魂商才。
野球部はこれまで甲子園に6回出場している。文化祭は「久遠祭(くおんさい)」といい、これは宮崎商業校歌の冒頭にある「ああ大淀の 久遠の流れ」から名付けられている。大淀川(おおよどがわ)は宮崎市内を流れ日向灘に注ぐ宮崎県一の一級河川であり、宮商はその大淀川のほとりに校舎が立つ。ボート部はふだんこの大淀川でも練習しているようだが、最寄りのJR宮崎駅から日豊本線で6駅の日向新富駅、12、3km離れた隣の新富町(しんとみちょう)にある富田浜漕艇場が現在は宮崎ボートの中心水域であり、ここでもトレーニングしている。
宮崎市は人口約40万人、元々は戦国時代に太田七郎左衛門忠延が大淀川の河口付近の城ヶ崎に町を開いたのが宮崎の発祥とされる。現在では宮崎県庁が置かれており、フェニックス・シーガイア・リゾート、青島、プロ野球・プロサッカーキャンプといった数多くの観光資源を持つ観光都市であり、九州・沖縄地方では長崎市に次いで7番目に人口が多い。このシーガイアにはシェラトン・グランデ・オーシャンリゾートという43階建ての九州一の高層ビルが建っている。全744室すべてがオーシャンビューとのことだ。
宮商ボート部2014年動画
宮商ボート部の大淀川での練習風景。しかし思い切りカヌー部しか映っていない・・・。ボート部には2016年時点で8名の部員がいるもよう。久遠のクルーが大淀川と富田浜を駆ける。


高鍋(たかなべ)
児湯郡高鍋町北高鍋(こゆぐん・たかなべちょう・きたたかなべ)にある共学の県立高校。校訓に文武両道を掲げている。
1912年高鍋町立高鍋実科高等女学校として開校、1923年財団法人高鍋中学校となり、のちに県に移管、改編を経て1948年高鍋中・高鍋高等女学校・高鍋農業を統合し県立高鍋高等学校となる。
かつては野球の強豪で甲子園10回出場を誇るが、現在はラグビー部が強く18回の全国出場を果たしている。
高鍋町は宮崎市から北へ20km弱の位置にあり、江戸時代には秋月氏の治める高鍋藩の城下町として栄え、全寮制の藩校・明倫堂で人材育成に力を注いだ教育の藩であった。近代以降も児湯地方の中心として発展し続け、県内一面積の小さい自治体ながら、県や国の出先機関、高校、大学などさまざまな施設が集中している。「為せば成る為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」の言葉と、ケネディ大統領が尊敬する日本人として挙げていたことでも有名な江戸時代米沢藩(現在の山形県)の名君・上杉鷹山は、この高鍋藩6代藩主・秋月種美の次男であり、九州にゆかりがあった人物である。
また、シンガーソングライターで女優の今井美樹は高鍋町出身、高鍋高校の卒業生だ。今井美樹は高鍋高校陸上部に所属しインターハイ100mハードルとリレーに出場したという俊足少女だったらしい。『PIECE OF MY WISH』等を収録した120万枚売上のベストアルバムや『PRIDE』など、私も大学ボート部時代は練習合間の癒しの曲としてよく聴かせていただきました・・・。

さて、高鍋高校ボート部はすぐ1駅となりにあるボートコース富田浜(とんだはま)で練習している。富田浜漕艇場は、海岸の入り江に作られており汽水であるため潮の干満による流れもある。しかし自転車や車で伴走ができ1000m4レーン、宮崎県の大会はすべてこの富田浜で行われる。高鍋ボート部の部員は2016年30名、宮崎ボートはいま強化の真っ最中であり、2017年には国体九州ブロックW4X+では高鍋、宮商、妻で組んだ宮崎選抜が並み居る九州の強豪県をおさえ優勝した。(本大会では順決最終日まであと一歩)今後宮崎ボートはますます強くなるだろう。
高鍋高校漕艇部PV
元気の出るPVです。
H29部員集合写真 高鍋高校
富田浜で強くなれ!高鍋高校ボート部 高鍋高校HPより画像転載



妻(つま)
西都市右松(さいとし・みぎまつ)にある共学の県立高校。
1922年宮崎県立妻中学校として開校、1928年県立妻高等女学校となり、1948年学制改革により、妻中学校・妻高等女学校が統合し県立妻高校が発足した。弓道とバドミントンが強豪。
西都市は宮崎県中央部に位置し、日本最大級の古墳群である「西都原古墳群」で知られている。西都市の中心部・妻地区は、日向国(宮崎県の旧国名)の国府が置かれ日向国中心地として栄えた。戦国時代には伊東氏が西都市南部の辺りにあった都於郡城(とのこおりじょう)を本拠に日向を治めたが、1615年江戸幕府の一国一城令で廃城、以降、大淀川の城ヶ崎(宮崎市)が宮崎の中心になっていく。西都市の由来は、市の中心に横たわる西都原(さいとばる)台地から。市内は一ツ瀬川(ひとつせがわ)が流れ、上流には九州最大の貯水量を誇る一ツ瀬ダム(米良湖・めらこ)があり、一ツ瀬川が下流の新富町に至り日向灘に注ぐ河口に富田浜漕艇場がある。
妻高校ボート部は2015年同好会として発足した、まだ新しいボート部。大きな一ツ瀬ダムはまだボート環境ではないようなので、海まで出て富田浜漕艇場で練習をしている。しかし世界選手権出場の指導者を迎え、早くも国体選抜クォドに選手が選ばれるなど妻高校は一気に強豪チームになりそうな勢いだ。
また、情報によると宮崎北高校のN口選手が全国選抜九州予選を優勝し、2018年3月の全国選抜に出場するとのこと。宮崎県ボートの4つめの高校だ。宮崎北はボート部なのかは定かではないが、いま宮崎ボートが熱い証拠だ。






高校ブレード 鹿児島県
鹿児島県

鹿屋(かのや)
鹿屋市白崎町にある県立高校。通称「鹿屋高校」、または「普通校」(鹿屋市内では普通科単独の高校が同校のみであるため)。
1923年鹿屋中学校の創立を起源とする。1949年に鹿屋農学校、鹿屋中学校、鹿屋高等女学校を統合し、鹿児島県鹿屋高等学校とする。1956年、県立と改称。
「三星(さんせい)」が鹿屋高校校章の名称で、校訓である「知・徳・体」を表し、同校の代名詞として使われる。鹿屋の生徒は「三星健児」と呼ばれ、「三星魂」を持ち精神論・根性論を重視する。体育祭と文化祭は「三星祭」、総合的な学習時間は「三星タイム」、広報誌は「三星の風」、同窓会はもちろん三星会だ。
鹿屋市は人口10万人、鹿児島市、霧島市に次ぎ鹿児島県第3の都市。鹿児島県は左に薩摩(さつま)半島、右に大隅(おおすみ)半島があり、1914年の大噴火で大隅半島と陸続きになった桜島がある。鹿屋市は大隅半島中心に位置し、鹿児島市は薩摩半島の根元あたりで両市とも半島に囲まれた鹿児島湾を臨む。もともと両半島は薩摩国と大隅国の2国に分かれていた。ちなみに九州の由来は、西海道の9国(筑前、筑後、肥前、肥後、豊前、豊後、日向、薩摩、大隅)を指すといわれる。鹿屋は鎌倉時代より肝付氏(きもつきし)の一族・鹿屋氏が治めていた土地。大隅の肝付氏は戦国時代、薩摩の島津氏と熾烈な争いを繰り広げ一時は島津氏を圧倒するが、1581年薩摩に臣従し降伏することになる。ちなみに「ドラえもん」のスネ夫役や「銀河鉄道999」の車掌役など幅広く活躍した声優の肝付兼太(きもつき・かねた)さんは2016年に亡くなってしまったがこの肝付氏の末裔である。

鹿児島ボートの中心的な水域・大隅湖は、標高1000mを超える七つの峰を持つ高隈山(たかくまやま)の麓にあるダム湖。霧島連峰や桜島の火山灰が堆積した有名なシラス台地の中では最も広い笠野原台地の灌漑用水池として作られ、周囲10kmの広さをもつ。桜やアジサイ、紅葉、冬の野鳥など四季折々に違った表情を見せ、大隅湖はたいへん美しい景観であり周辺には観光スポットも多い。鹿屋市街から12kmほど離れており、大隅湖で練習するボート部員のみ距離制限に関係なく原付取得が認められているという。1000m6レーンのブイ常設の大隅湖では、鹿屋高校のほか、鹿児島大、鹿屋体育大、鹿屋工業、鹿屋農業が練習している。2020年鹿児島国体の会場として予定されており、鹿児島ボートは今後の強化・躍進が期待される。
鹿屋ボート部はお笑い芸人として活躍中のサンシャイン池崎さんが出身として近年話題になったが、たいへん歴史があり全国大会上位入賞も多数、2016年部員25名であり鹿児島ボートの名門だ。


鹿屋工業(かのや・こうぎょう)
鹿屋市川西町にある県立高校。大隅半島に所在する唯一の工業高校。通称は「鹿工(ろっこう)」。
1944年鹿屋市立鹿屋工業学校として開校。1948年鹿屋市高等学校と改称、1950年県に移管し鹿児島県鹿屋工業高等学校となり、1956年県立に改称。
鹿屋工業ボート部は全国出場が多く、部員は男子中心に22名。
2015鹿屋工業高校ボート部紹介PV


鹿屋農業(かのや・のうぎょう)
鹿屋市寿にある県立高校。農場内に鹿屋地域気象観測所(アメダス観測施設)が設置されている。通称は「鹿屋農高」。
1895年鹿児島県尋常師範学校付属専科農業講習所として鹿児島市に創立。改称を経て、1900年現在の鹿屋市に移転し1902年鹿児島県立鹿屋農学校となる。1948年鹿屋高校と統合するが翌年鹿児島県鹿屋農業高等学校として独立。1956年県立に改称。年間の平均気温17℃という温暖な気候と豊かな自然をもつ鹿屋市は、こうした地域の特徴を活かした農業・畜産が盛んであり、黒豚やブロイラー、落花生、サツマイモなどが特産品である。この鹿屋市の農業を支える人材を育成している。
鹿屋農業ボート部は、2015年インハイにM2Xで出場するなど全国出場を果たしており、部員9名。


鹿児島南(かごしまみなみ)
鹿児島市谷山中央八丁目にある県立高校。略称は「鹿南」(かなん)。
1948年谷山町立谷山高等学校として設立、1954年県立移管し1956年に県立谷山高校と改称する。そして1968年県立鹿児島南高校と改称し現在に至る。
鹿児島県の県庁所在地である鹿児島市は、人口約60万人で九州第4位の都市。古くから薩摩藩、90万石の城下町として栄えてきた。鹿児島湾西岸の市街地から桜島を望む景観がイタリアのナポリからベスビオ火山を望む風景に似ていることから、「東洋のナポリ」とも称される。「鹿児島」という名の由来は、野生の鹿の子(鹿児)が多く生息していたからとか、多くの水夫(かこ)が住んでいたから、火山を意味するカグという言葉から由来した等諸説ある。しかし、「カゴ」は崖という意味の古語であり、桜島の四方が崖になっていたので島名を鹿児島(麑嶋)と称する様になり、それが対岸の神社名(鹿児島神宮)として定着し、更には郡名に拡大したという説が有力とのこと。木戸孝允(長州藩)、西郷隆盛(薩摩藩)、大久保利通(薩摩藩)と維新の三傑と呼ばれたうちの2人を輩出した薩摩藩は、薩摩・大隅の2国と宮崎南部まで領有し藩主島津氏の築いた文化と気風の漂う国は多くの人材を出している。
鹿児島の高校では私立ラ・サール高校と、県立ナンバーワン進学校の鶴丸高校が知られるが、鶴丸高校のほうにはかつて錦江湾(きんこうわん、鹿児島湾の別称)で漕いでいたボート部があったらしいが今は長年廃部状態のようす。開成などにもボート部あるのだから、ラ・サールにもボート部ほしいし鶴丸も復活してほしいですね~。
これだけ鹿児島市の情報を書いてきましたが、鹿児島南ボート部も現在休部中のようす。こちらも活動再開してほしいものです。


川内(せんだい)
薩摩川内市御陵下町(さつませんだいし・ごりょうしたちょう)にある県立高校。通称は「川高(せんこう)」。
1897年鹿児島県尋常中学校第一分校として開校。 1901年鹿児島県立川内中学校と改称し、1948年鹿児島県川内高等学校第一部」が発足。1949年川内高等女学校と統合し組織改編、男女共学の鹿児島県川内高等学校となる。1956年県立に改称。
薩摩川内市(さつませんだいし)は鹿児島県の北西に位置し、北薩地区の中心都市。九州新幹線も川内駅に停まり、ますますの発展が期待されている。
市内を東西に流れる川内川(せんだいがわ)は九州では筑後川に次ぐ2番目の流域面積を持つ一級河川。この川内川が、川高ボート部の練習水域。部員は23名、鹿児島ボートの中で北薩の川内地域も確かな存在感を発揮し全国レベルになっている。川内川では毎年7月に川内レガッタが開催される。この市民参加のレースは1992年にはじまり26回を数えるが、4年に1度早稲田大と慶應大のエイトを招待しており早慶レガッタを川内川で再現、白熱したレースでたいへん盛況だ。
日ボ競技委員でT大OBでもある川内高校ボート部1期生のT柳さんがOBOG会を発足させ、川高ボート部は2020年鹿児島国体に向けて盛り上がってきている。
鹿児島県立川内高漕艇部OBOG会が発足
可愛山(えのやま)同窓会24期会、川内高校ボート部


川内商工(せんだい・しょうこう)
薩摩川内市平佐町(ひらさちょう)にある県立高校。
1928年長濱学園私立川内商業学校として創立、1938年創立した私立薩摩商工学校と、1942年創立の私立川内工業学校とともに、1948年3校が統廃合し、川内市立高等学校となる。1950年県に移管、1956年現在の校名である県立川内商工高等学校となる。
川内商工も年々強くなっている印象で、インハイにもたびたび出場。部員は12名。
2017 川内商工高校ボート部PV
2016一橋大学ボート部女子用PVに似ており、同じ赤いブレードの大学強豪チームをリスペクトして作られたように思われる。PVは基本、影響されたのと模倣から入るので全然大丈夫だと思います!それと、女子部員を増やしたい思いがあるのでしょう。高校ボートは、大学ボートにいつも注目しているのですよ!
2016 一橋大学ボート部女子用PV






高校ブレード 沖縄県
沖縄県

美里工業(みさと・こうぎょう)
沖縄市泡瀬にある県立の工業高等学校。
1970年、琉球政府立美里工業高等学校として開校。この3年前にできた中部産業技術学校の事実上の後継校とされる。1972年、沖縄返還により沖縄県立美里工業高等学校と改称。2014年春の甲子園に初出場。
沖縄ボートは、私個人の調べでは琉球大学にボート部があり90年代にインカレやオッ盾にも出漕していたが、その後休部か廃部のようす。高校では辺土名高校など以前からボート部がありインハイなど出場している。沖縄ボートが高校から一時期盛り上がったのは2010年に沖縄インターハイが辺土名市の塩屋湾コースで行われたことによるようだ。美里、コザ、具志川などの沖縄市内の高校ボート部が地元インハイの成功をめざし多くはないがボートに青春を燃やした。
2009年記事「美ら島総体 奮起!」
しかしながら国体やインハイ開催は始まる前は強化育成に力と資金を注ぐが、終わった後は沈静化してしまうことがあるのが課題。今では資料によると美里工業に部員1名のみといった状況とのこと。四方を美ら海(ちゅらうみ)に囲まれた沖縄県、ぜひボートが真の意味で根付いてほしい。


コザ
沖縄県立コザ高等学校は、沖縄県沖縄市照屋にある県立高校。毎年、卒業式では生徒が作詞・作曲・演奏して卒業の歌を歌う。
1945年コザ地区中等学院として開校、同年コザ高等学校に改称。多くの分校ができるなど改編を繰り返し、1960年琉球政府立に移管。1965年春の甲子園に初出場したが、岡山東商に7-0で敗れる。1972年沖縄返還により沖縄県立コザ高等学校に改称。
沖縄市は県庁所在地の那覇市より15kmほど本島を北上した人口14万人の沖縄第2の都市。嘉手納基地など米軍基地があり国際色豊かで、音楽と芸能が盛ん、伝統芸能のエイサーも有名でありエイサー文化のさらなる発展に取り組んでいる。沖縄市はコザ地区と美里地区に分けられることもある(旧コザ市、旧美里村)。


具志川(ぐしかわ)
沖縄県うるま市喜仲にある公立高等学校。通称「G高」。1983年沖縄県立具志川高等学校として開校し現在に至る。
うるま市は2005年平成の大合併で具志川市、石川市、中頭郡勝連町・与那城町の2市2町が合併してでき、人口12万人で沖縄第3の市となった。喜屋武(きゃん)の高台の静かな環境と広い敷地に整備された校舎やグランドで生徒達は生き生きと高校生活を送っている。沖縄市のボート水域、泡瀬漁港まで近い位置にある。ボート部情報はとくに見つからず。


辺土名(へとな)
国頭郡大宜味饒波(くにがみぐん・おおぎみそん・ぬうは)にある県立高校。沖縄県の高校では最北端に位置する。
1945年設立、1960年琉球政府移管により、琉球政府立辺土名高校となる。1972年沖縄返還により、沖縄県立辺土名高校となる。辺土名ボート部は全日本ジュニアに出場したり、2010年沖縄インハイの年には九州総体の1X種目で男女共に優勝を果たし、インハイ本番ではM1Xで見事8位になっている。
大宜味村の塩屋湾ボート場は沖縄本島北部に位置している。近隣の高校が辺土名高校しかないので、沖縄でメインの水域とするには交通アクセスや周囲の人口なども考えると難しそうであり、本島南部の沖縄市泡瀬かほかにも候補が必要かもしれない。いずれ沖縄国体が1987年以来再び開催されるまでは水域の整備は難しいのか、しかしできれば水のスポーツとして沖縄ボートにはもっと盛り上がってほしいところだ。






九州地域はまだまだ大きな可能性を秘め、これから新たに発展していく要素たっぷりの水域ばかりだった。
福岡ボートは北九州以外にも福岡、久留米のボート熱がほしいところだし、佐賀は唐津市松浦川流域がボートのまちとしてもっともっと大きくなりそうだ。長崎では大村湾を中心とした各水域で強い高校が点在し、大分では日田がボート王国をさらに大きくしている。熊本は水の都熊本市がさらにボートの普及を進め菊池、八代の3地域で鎬を削ってほしい。宮崎の南国ボートは富田浜がいま熱く、鹿児島も大隅、川内に加え錦江湾ボートも復活が待たれる。そして沖縄もボート競技のメッカとなり南の海から全国制覇をめざせたら夢とロマンがある。
九州ボートが高校、大学、社会人とそれぞれボート文化を成熟させるため、2020鹿児島国体、2023佐賀国体、2026宮崎国体と3年ごとのチャンスにおいてこれからますます大いにボート発展を成し遂げたいところではないだろうか。









以上、いかがだったでしょうか。全国47都道府県の高校ボート部特集シリーズ。
文字通り全国津々浦々、そして川川海海と、日本の水域を訪ねて回ってまいりました。もちろんこれ以上、未知の水域も日本にはまだまだたくさんあることでしょう。
結果的には、追加した高校を含めると、全国で260チームに上りました。高校256、高専4です。
うーむ、構想10か月、書き始めてから2か月と振り返ってみればなかなか大作となりましたね。気力と時間があれば前半のコンパクトな紹介文を書き足したいところですが・・・。(もうお腹一杯?)


高校ボート260校と言いましたが、調べる中で90年代の資料も見てみると現在なじみのない高校もたくさん出てきて、休部廃部の高校は40~50くらいありそうだと最初お伝えしましたがもしかしたら100校以上あるかもしれません。ボート部がある高校は、休部廃部の高校も含めると推定360校以上ありそうな感じです。もっとあるかも?
それでも、高校の野球部が全国に加盟校4100校前後、サッカー部が同じく4100校前後であり、陸上4300校、男子バスケ4400校、女子バスケ3900校、女子バレー3900校などこれらメジャー競技に比べれば10分の1以下なのですが、全国のボート部を実際に調べてみると水域や環境の確保がまず生命線となるためやはり限られた高校しかボート部を持つことができないのです。


しかし、全国でも有名な名門高校にボート部があることが多く、主要都市にはけっこうボート部があったりして、こうした多くの都市というのは豊かな水域のもとで発展したことが分かりました。全国のボート部を調べることで、学校の歴史、地域の歴史にもふれ、さまざまな人のエピソードと出会いました。高校、大学。学校という組織によって、日本ボートの歩みがあったことがよく分かります。

水をめぐる旅、時をめぐる旅。人と出会い、そして人と別れる旅。水の循環、時の循環、人の循環です。ボート競技をより広く知って、より深く関わることで、多くの自然と時の流れと、そして何より多くの人と出会えるのです。心の交流とともに、知識や好奇心のプレゼントをもらいながら、自分の心も広がっていきます。
若き10代の若者をボートの世界にいざない、高校生の純粋でひたむきなプレーを応援しつつ、日本を知り水域を知り人を知るための旅を、これからも続けていこうではありませんか。



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