さて、西日本の一大ボート地域である中国・四国を一緒に記事にしようとしていましたが、四国のボート情報も盛りだくさんで文章が長くなったためそれぞれ独立することにしました。四国はたいへん魅力的なボート地域でした!
(やろうと思えばブログなので各都道府県ずつもっと短い間隔で更新していくことも可能ですが、当ブログはあまり細分化せずそれなりにまとめたものを記事に書きたい方針ですので、大きな記事のかたまりで少なめ更新でいきたいなと思っています。このブログの表示だと更新された記事が逆側に47、46、45と大量に並ぶのも個人的にイマイチなもので・・・)
では、四国4県の高校ボートや歴史を見ていきましょう。






高校ブレード 愛媛県


愛媛県

松山東(まつやまひがし)
松山市持田町二丁目にある県立高校で、松山東は堂々愛媛県トップの県立進学校。
松山藩の藩校・明教館の流れを汲み、旧制松山中学以来の伝統を持つ県内最古の高等学校である。初代校長は草間時福で、同校の校風に多大な影響を与えているという。愛媛県尋常中学校時代に夏目漱石が第五高等学校へ赴任するまで1年間教鞭をとっており、この体験を元にして小説『坊っちゃん』が書かれたことは有名。ちなみに『坊っちゃん』は漱石が10日足らずで書き上げた作品。赤シャツ、野だいこ、天婦羅蕎麦である。
1828年藩校の修来館を拡充し明教館と改称したのが前身とされ、1878年愛媛県松山中学校への改称をもって創立年とする。愛媛県第一中学校を経て、1949年県立松山東高等学校となる。1950年通学区制、男女共学を実施。
松山中学出身で俳人の正岡子規が1889年に野球を伝え、3年後「球技同好会」を起源として硬式野球部が創部、1950年夏の甲子園で優勝。ラグビー、サッカーも名門。そして何といっても松山東のボート。夏には校内ボートレース大会が行われ、創部年は確認できなかったがおそらく明治期の創部であり歴史は愛媛でも随一だと思われる。
愛媛県立松山東高等学校 第44回ボートレース大会
映画化、ドラマ化もされた敷村良子さんのボートを題材にした小説「がんばっていきまっしょい」の舞台となっていることは全国のボートマンにとってはあまりに有名だろう。「がんばっていきまっしょい」は1960年代前半頃から松山東で使われているかけ声で、ラグビー部顧問の先生が学校に一体感を作るために考え出したかけ声だとか。私は世代的に映画版しか見ていないので田中麗奈主演の映画(1998年劇場公開)のほうがおすすめ。森山直太朗とバカリズムもエキストラで出ている。しかしドラマ版(2005年放映)のほうがいまの20代30代のボートマンには親近感があるだろう、そしてボート部だった人は全員見ているだろう。
ドラマ「がんばっていきまっしょい」主題歌
Youtubeなので取り扱い慎重に・・・。やっぱり楽しく漕ぐ姿にはボートの風景は本当にキラキラ輝いていますね~。ちなみに映像で出ているのは松山東のブレードではなく撮影協力されたと思われる今治西のブレードですね。愛媛の各校、映画やドラマに協力しています!ボートの映画やドラマを見ると、どうしても技術が気になるのはボート部員あるあるですね。
さて、松山東ボート部は別名・港山(みなとやま)海岸と呼ばれる梅津寺(ばいしんじ)海岸で練習しており、近年ではその強さが大いに復活してきている。2000年代までは宇和島、今治に圧されていた印象があったが、2010年代は2013年全国選抜W2X優勝、代表選手輩出など全国的な強豪となった。部員も増加、2016年時点で53名と、愛媛県一の大所帯となっている。
がんばっていきまっしょい yahoo映画より画像転載
Yahoo!JAPAN映画サイトより画像転載
ボートに出会い、ボートに熱中する背景には人それぞれストーリーがあります。高校ボートには青春と仲間は欠かせませんかね!映画版「がんばっていきまっしょい」では松山東ではなく伊予東となっています。ドラマ版は松山第一高校とやはり架空の学校名。映画版はスイープ(ナックルフォア)、TV版はスカル(クォド)です。2001年高校総スカル化なので制作時期で異なったのかもしれませんが、映画版は原作の1970年代を意識して作られ、TV版は現代のボート部として作られているようです


松山北(まつやまきた)
松山市文京町にある県立高校。1900年私立北予中学校として開校、1938年県立に移管、1949年北予、松山城北、松山農業の3校を統合し、県立松山北高校となる。
松山北は、松山大と愛媛大がある区画に校舎が入っており文教地区(教育施設が多く集まる地区)に所在し南に松山城を望む。旧制北予中時代の大正後期から昭和初期は日露戦争で功のあった元陸軍大将秋山好古が学校長を務めた。秋山は馬で毎日学校に通ったという逸話がある。松山北も進学校であり、松山市内の県立普通科高校である松山東、松山南、松山北といずれも勉学熱心、松山西は高校からは入れない中等教育学校の一体型中高一貫校。
この松山市、愛媛県の中部に位置し約51万5千人の人口を有する四国最大の都市だ。中四国においても、政令指定都市である広島・岡山両市に次いで第三の規模を誇る。松山城を中心に発展して来た旧城下町で、道後温泉で有名な古くからの温泉地であるとともに、俳人・正岡子規や種田山頭火、また先ほどふれた文豪・夏目漱石ゆかりの地で、俳句や小説『坊っちゃん』『坂の上の雲』などで知られる文学の街でもある。これら観光資源を背景として、「国際観光温泉文化都市」の指定を受けている。キャッチフレーズは「いで湯と城と文学のまち」。
松山北ボート部は創部1909年、OB会は怒涛会といい2009年は創部100周年を盛大に祝った。その百周年に入部した2人がY田選手とG藤選手、2010年にY田選手は国体W2X準優勝、2011年に2人で組んだインハイW2Xで3位。国体W4X+で愛媛選抜で決勝4位。Y田選手は立教大に進み全日本W8+3位、G藤選手は島根大に進みインカレW1X4位になるなどその後も活躍。これ以前にも多くの名選手を輩出している愛媛の強豪校だ。


愛媛大付属(えひめだいふぞく)
松山市樽味に所在する四国で唯一の国立高校で、愛媛大学教育学部附属中学校との連携型中高一貫教育を提供。
1900年愛媛県農業学校として設立。松山農業学校、松山農科大附属農業と経て、1956年国立移管により愛媛大学農学部附属農業高等学校となり、生徒定員を50名3学級とする。
2008年、現在の愛媛大学附属高等学校に改め、愛媛大農学部附属は2010年をもって閉校した。新しい高校に改編したのは、研究対象を農学・生命科学に限らず理数系全般と人文系も取り入れ発展的改組を目的としたためだとのこと。
ご存じボート競技の第一人者シドニー、アテネ五輪LM2X6位のT田選手を輩出したのが前身の愛媛大農学部附属だ。高校在籍時はまだそのスーパーな才能が開花していなかったとはいえインハイ、国体の入賞があるとのことで、本格的には愛媛大の2年だった1993年からT田選手の伝説的連勝が始まる。1993年国体成年M1Xから5連覇しただけでもすごい実績で、以来2010年まで国体では12回の優勝を愛媛チームにもたらしている。T田選手が愛媛で常に先頭切って走り続け、愛媛の名を世界にはばたかせてきた。そしてもちろん全日本選手権ではさらに多い全日本M1X14回の優勝を誇っている。
現在の愛媛大附属、部員は2016年時点で合計12名だが女子が8名と多いのは意外だった。トップスカラーが多く育ち、愛媛から世界へ輝くスターがまたどんどん現れてほしい。


今治西(いまばりにし)
今治市中日吉町に所在する県立高校で、愛媛県の県立高校として松山東に比肩しうる進学校だ。通称「今西(いまにし)」、「西高」。
1901年県立西条中学校今治分校として現在の今治市松本町に開校し、1905年独立して県立今治中学校と改称。1920年現在地に移転、1949年高等学校再編成で愛媛県立今治西高等学校と改称。校訓は規定されていないが、伝統的に「螢雪」「螢雪精神」が使用されている。
今治市は愛媛県北東部に位置し、瀬戸内のしまなみ海道を渡り広島県尾道市と結ばれ、とびしま海道から呉市とも結ばれており古くから海上交通の要衝であり、平安時代以前は伊予国国府が置かれ、江戸時代は今治藩今治城の城下町として発展した。四国の松山市、高松市、高知市、徳島市に次ぐ第五の都市であり、タオルと造船の町として四国を代表する工業都市だ。
愛媛は野球が盛んなことでも知られるがその中でも今治西の野球部は甲子園春12回と夏12回の24回出場を誇る名門校で、他のスポーツも盛ん。
その中で今治西ボート部は、愛媛のボートを牽引してきたと言っても過言ではない。宇和島東から指導者をスタートして12年、その後今治西で教鞭をとって21年になるという名将I手先生のもと、世界ジュニア代表やシニアでも代表になる選手など数多の名選手が育ち愛媛からトップレベルのクルーが生まれてきた。今治のホーム水域である玉川湖では2017年愛媛国体も行われ愛媛クルーが多数活躍し、ボートの町今治の知名度が全国的に浸透してきたのではないだろうか。全国優勝も数多く、最近では2016年全国選抜W2X優勝とインハイW2X優勝がある。
愛媛新聞オンライン「今治西高監督」
愛媛新聞オンライン「高校ボート界をリード」
個人的に、「ボート王国」といえば愛媛県という印象を持っている。「ボート王国・愛媛」であります。(ボート王国のキャッチフレーズは岐阜県川辺町も使っていますが)松山、今治、宇和島の3地域、11校がいずれも強力で、愛媛県予選をトップで勝ち抜くのは至難の業、しかし県代表になれば全国大会の優勝争いは確実というレベルの高い県。高校野球の大阪や神奈川、かつてのサッカーの静岡のようなイメージだ。国体少年男子においては岡山・関西高校の6連覇のあと7連覇を止めた愛媛が優勝5回、福井が優勝2回ということで、愛媛VS福井の2強時代の様相を呈している。この2県の選抜は強い!しかしどの水域もボート文化が成熟し経験豊富な指導者がおり、関係者のボート愛も強く支援が豊富、地域市民のボート理解まで深いところが良いですね。ボート文化のためには、競技力だけ結果だけでは足りないのです。


今治北(いまばりきた)
今治市宮下町に所在する県立高校。1899年今治町立今治高等女学校として創立し、1949年高校再編成により県立今治北高校となる。2006年には硬式野球部が甲子園に初出場を果たすなど部活動は常に活気がある。通称「今北(いまきた)」。
今治市は愛媛県の北に突き出た高縄(たかなわ)半島にあり、東側の来島海峡を臨みしまなみ海道が通る位置より少し南にJR予讃線の今治駅や今治市役所、今治中心市街があってその周辺に今治北を含む今治市の高校も集中している。この市の中心から国道317号を松山方面に10kmほど内陸に上っていくと玉川湖ボートコースがあり、バスや自転車などで練習に通っていると思われる。玉川湖は、映画「がんばっていきまっしょい」のレースシーンにも使われたし、NHKボート教室でも撮影場所となっていた記憶があり、2016年には国体開催地として今治市営艇庫が完成した。
愛媛県今治市営玉川艇庫の利用スタート
今治北ボート部は、ボート王国愛媛の一角として全国実績豊富で、2004年インハイM2X優勝、2008年W1X優勝などがある。
国体みきゃんが行く 今治北高校ボート部紹介


今治北大三島分校(いまばりきた・おおみしまぶんこう)
今治市大三島町宮浦にある県立高校で、島内唯一の高校。
大三島(おおみしま)は、愛媛県今治市に属する芸予諸島の中の1つの有人島。愛媛県の最北に位置し、同県に属する島の中では最大。大山祇神社(おおやまづみ・じんじゃ)がある「神の島」「国宝の島」として知られている。しまなみ海道の開通とともに島の東部にインターチェンジができたことから、観光関連施設が整備。島の西部、大山祇神社から海に臨む宮浦地区が島の中心で大三島分校も建っている。1948年県立大三島高校が設立し、2005年大三島町が今治市との合併したとともに今治北の分校となった。
大三島分校ボート部は2011年愛媛選抜として分校から選ばれた国体W2Xが見事決勝4位。2017年の大三島分校ニュースでは、ボート部が再始動ということで校舎の目の前の海岸である与吉ヶ浜で新1年生が練習という記事があり、しばらく休部だったかもしれない。このすぐそばにある台海岸(うてなかいがん)ではドラマ版のほうの「がんばっていきまっしょい」のロケが行われ、「松山第一高校」(作品中の架空の校名)の艇庫が設置されていた。分校にはボート大会も伝統行事であり、与吉ヶ浜で行われている。島のボート部、大三島がんばれ!
大三島位置図
Wikipediaより画像転載。大三島の位置とアクセス。緑線がしまなみ海道、青線が主要な航路。大三島の隣には伯方(はかた)の塩の発祥で知られる伯方島がある。


今治南(いまばりみなみ)
今治市常盤町に所在する県立高校。1926年越智中学校(旧制)として開校、1948年県立越智高校に改称するが、1949年県立今治南高校となり現在に至る。今治西と国道317号を挟んでほぼ向かいに立地している。
校訓は「鍛(きたえる)」、部活動がたいへん盛んでありその中でもボート部は全国大会で数々の実績を残してきている。「南十字」という学校たよりがあり、ボート部も「SOUTHERN CROSS ROWING CREW」(南十字クルー)の愛称があるようだ。今治南も今治北も、愛媛出身で早稲田大ボート部に進んだ女性教諭が顧問先生をされているようで、地元のボート部と文化をしっかり支えている状況は素晴らしいと思う。


今治工業(いまばり・こうぎょう)
今治市河南町一丁目に位置する県立工業高校。通称は「今工」(いまこう)。
1942年今治市立工業学校として創立し、1949年一度は今治西高校の工業科となるが、1952年今治西から分離独立し、県立今治工業高等学校となる。2016年愛媛県内で初めて「スーパー・プロフェッショナル・ハイスクール」に選定される。これは高度な知識・技能を身につけた専門的職業人の育成を図る文科省の事業で、ボート部のある高校だと2014年酒田光陵、2015年若狭東、2016年諏訪実業、2017年相可、八幡商業、宇和島水産がこの事業に指定されている。今治工業には機械造船科があり、造船の町を支える人づくり、育成に力を入れている。


新田(にった)
松山市山西町にある私立高校。全校生徒数は1500人を超えるマンモス校。
1938年私立新田中学として創設、1948年新制新田高等学校となる。スポーツが盛んで、バスケットボール部やラグビー部は全国大会の常連で、柔道部もオリンピック選手を多く輩出するなどかつては「スポーツの新田」と呼ばれたが、近年は文武両道を掲げ進学指導にも力を入れている。
新田ボート部は1962年創部、2016年時点で部員17名。この2016年インハイM1X準優勝したT橋選手がおり、新田もたいへんボートが強い。


宇和島東(うわじまひがし)
宇和島市文京町にある県立高校。通称は「宇東(うとう)」、「宇和東(うわとう)」。
1896年愛媛県尋常中学校南予分校設立を起源とし、1899年宇和島中学校として独立、1949年宇和島第一高校と宇和島商業を統合して愛媛県立宇和島東高等学校となる。
宇和島市(うわじまし)は愛媛県の南部(南予地方)に位置し、南予地方の中心都市、宇和島城を中心に発展した闘牛で有名な旧城下町でもある。西側は宇和海、漁港の数は全国有数。宇和島東野球部は1988年(昭和63年)の第60回選抜高等学校野球大会に初出場初優勝し、その後は数多くのプロ野球選手、岩村明憲選手など大リーグ選手も輩出している。しかし、宇和島東といえば野球よりボートというOBが多いとのこと。
ボート部には「思へば過ぎし」という応援歌があり、体育祭でも歌われるが元々は旧制中学3校の間で行われたボートレースで松山中学(現・松山東)に敗れた帰りの電車で作られたとか。
「1.思えば過ぎし夏の末 伊予の小富士を眺めやる 高浜沖に催せる 松山宇和島西条の
 2.ボートレースのそのおりに いとも名誉の光ある チャンピオンフラグは勝山に あわれ再び握られぬ・・・」
宇和島東は20年以上前は津島町の岩松川で練習していたが、艇庫がなくなりその後15km以上離れた大洲市と西予市にまたがる鹿野川湖(かのがわこ)を練習水域とした。平日練習の移動経費と時間がかかっていたが2015年に学校から5~6km、宇和島市内の三浦(豊浦)に新しい宇和島東ボート部艇庫ができ新たな練習拠点としてスタートした。リアス式海岸の奥まった穏やかな海で、直線2000mもとれる素晴らしい練習環境だとのこと。このように練習水域の移動に苦労しながらも、宇和島東は全国大会決勝常連、常にチャンピオン校ともいえる絶大な実力をもっている。2001年にはインハイ男女クォドアベック優勝、全国選抜でも1999~2002年までW4+2連覇とW4X+2連覇のスカル化をはさんだ計4連覇と、王者の貫禄たっぷりの超強力チームだ。国体の愛媛選抜クォドでも常に主力となっているようだ。


宇和島水産(うわじますいさん)
宇和島市明倫町にある県立高校。愛媛県で唯一の水産高校で、通称は「水高(すいこう)」。
1945年愛媛県立水産学校(漁業科のみ、定員50名)として宇和島市に設置。1948年学制改革により、愛媛県立水産高等学校に変更し、翌年県立宇和島南高等学校水産課程となる。1956年県立宇和島水産高等学校として独立。その後専攻科や定員を増やしていく。2001年に起きた痛ましい「えひめ丸沈没事故」を乗り越え、心豊かでたくましく海と生きるスペシャリストの育成に努めている。
宇和島水産ボート部もたいへんな強豪校。2009年インハイM2X優勝などがあるが、かつて2001年にS:M辺選手、B:F田選手という世代を超えたスーパー高校生M2Xが現れシニア大会にチャレンジ、全日本軽量級ではJAPANダブルに等しい代表ユニット長命寺RC(S:Y野選手、B:O村選手)に真っ向から勝負を挑み、長命寺6'29優勝、宇和島水産6'34準優勝という全日本決勝よりハイレベルレースだった(相当良い順だったが、Y野選手はこの年世界選手権ルツェルン大会でLM4X銅メダルに輝く)。この宇和島水産ダブルは同年全日本新人決勝では大学勢を12秒ぶっちぎり優勝、その後M辺選手は東レで翌2002年全日本選手権M8+優勝し18歳のM8+ストロークとして話題を呼び、F田選手は日大に進み長くM2Xで活躍することになる。
それから2009年U23LM4-銀メダルの主力であり、現在アイリスオーヤマで活躍する現代表N村選手も宇和島水産出身だ。このように、宇和島が生み出すボート界のスターは綺羅星のごとくだ。これからも世界的な選手を育ててほしい。






高校ブレード 香川県

香川県

坂出(さかいで)
坂出市文京町に所在する県立高校。通称「坂高(さかこう)」。
1917年県立坂出高等女学校として開校、1948年香川県立坂出女子高校となり、1949年坂出商業学校とも統合し県立坂出高等学校として現在に至る。
香川県坂出市は四国では今治市、西条市に次ぐ第3位の工業都市。旧讃岐国(さぬきのくに)の国府が置かれていた府中があり、坂出市府中町や香川のボートコース府中湖にその名を残す。坂出高校や坂出商業があるJR予讃線(よさんせん)の坂出駅から3駅6kmほど讃岐府中駅の周辺だ。ちなみに予讃線は伊予と讃岐をつなぎ宇和島~松山~高松に至るJR四国の路線。このボートコースの府中湖は香川では一番大きい綾川(あやがわ)に作られたダムで、カヌー・ボートが盛んに行われている。1000m4レーンのブイが常設、最大1000m9レーンも可能であり特にカヌー競技の重要強化施設が置かれている。漁業権のない専用コースであり波もなく素晴らしいトレーニング環境としてカヌーとボートが水域区分して共同使用している。坂高、坂商、香川大、香川RCその他香川のボートチームはここが中心水域だ。
坂出ボート部は創部1988年、全国制覇は3度成し遂げており、1992年はM1XとW2Xの2種目優勝の快挙、それから翌1993年には香川大との混成で全日本W2X準優勝、そして坂出の単独で全日本軽量級LW4+優勝もあり、これで3度。2000年代には2008年全国選抜でW2X準優勝、2010年全国選抜でやはりW2X準優勝。そのほか多くの実績があり、香川県クルーとして全国に存在感を示してきた。しかしながら、2012年から部員がゼロになり、現在休部中。香川の名門としてぜひ復活を遂げてほしい。
また、かつてS井先生のブログ「坂井 de Rowing」は私も当時しょっちゅう拝見していまして、私は「ボート界のしょこたんブログ」と勝手に呼んでいました。しょこたんブログは見ませんが。1日多い時で10回くらい更新されていた記憶があります。「がぁ・とも」ダブルであります。明治でも強かったですよ~。〇TTのS々野選手も高校生の当時いつも読んでいたそうで、高校生ボート選手の愛読者はたぶん全国に多かった!こちらも復活希望!


坂出商業(さかいで・しょうぎょう)
坂出市青葉町に所在する県立高校。通称「坂商(さかしょう)」。
1914年に設立された「綾歌(あやうた)郡立綾歌商業学校」が坂出商業の前身であり、1948年に坂出高校となるが、翌年商業科が坂出工業と統合し坂出商工が発足、1953年に分離し県立坂出商業高等学校として独立する。
坂商は野球部が強豪で春の甲子園7回、夏の甲子園8回(準優勝1回)の出場を誇り、バレーボール部も全国大会優勝3回の実績がある。この坂出商業バレーボール部の出身が、「鬼の大松」こと大松博文(だいまつ・ひろぶみ)だ。大松監督は徹底したスパルタ式のハードトレーニングにより女子バレーボール実業団・日紡貝塚を強豪に育て日本4大タイトルを独占。ニチボーは1961年欧州遠征で22連勝を記録、「東洋の魔女」と欧州各国から恐れられ日本代表の主力となった。のちのユニチカ、現在Vリーグ東レ・アローズの前身である。その後大松は代表監督に就任し女子バレーボール日本代表を率い、「回転レシーブ」に象徴される守備重視戦法により圧倒的な快進撃で1964年東京五輪では宿敵ソ連を決勝で破り悲願の金メダルに輝いた。そしてこの女子バレーボール東京五輪金メダルが日本の団体競技としても初めての世界大会優勝だったため、社会現象となりソ連戦のTV視聴率は66.8%、スポーツ中継として現在まで歴代最高の数字を出している。(2位は2002年サッカーW杯日本×ロシアの66.1%)この優勝によって日本では空前のバレーボールブームが起こり、テレビドラマ「サインはV」や漫画「アタックNo.1」が生まれることになる。「俺についてこい」とはこの大松監督の名言による。またこの決勝の試合直後、テレビ中継の中で大松監督への勝利インタビューが行われたが、それまで放送メディアが活字メディアより先にインタビューをすることができなかったため放送メディアによる初めての勝利インタビューだったとされている。
坂出商業ボート部は現在、香川県で唯一のボート部。坂出高校にも高松高校にもボート部があったが現在休部中で、香川ボートの情熱を胸に府中湖で鍛錬の毎日だ。全国上位に名乗りを上げる日も近い。先生たちの熱い指導、黙ってオレについてこい!?
ストレングスコーチO内さんもここ坂商ボート部に関わり先生たちにエールを送っている。S井先生とO砂古先生、香川ボートをますます発展させてください!O内さんも全国の高校、大学にO内イズムのトレーニング指導が浸透していますね!
トレーニングコーチの仕事現場47 香川編





高校ブレード 徳島県

徳島県

徳島市立(とくしましりつ)
徳島市北沖洲(きたおきのす)に所在する市立高校。通称は「市高(いちこう)」、「徳市(とくいち)」とも。徳島市の旧総合選抜6校の1つであり、創立は1962年。特に理数科は徳島県内トップの進学実績を誇る。スポーツも盛んで、サッカー、テニス、卓球、水泳、ボートが強い。サッカーでは1991年全日本ユース選手権優勝、1992年インハイ優勝がある。
徳島県の高校で唯一のボート部がある徳島市立は、学校敷地内にある艇庫より出艇しさわやかロード沿いの沖州川(おきのすがわ)で練習している。沖洲川は吉野川水系で徳島市内を流れ、メインの練習水域は沖洲橋と沖州大橋の間の約800m。 徳島市は「四国三郎」の吉野川河口に位置し三角州の上に発展した都市、水が豊かであり市内に川が138本も流れる。中央に市のシンボル「眉山(びざん)」がそびえ、水の風景と合わせて美しい景観を作る。沖洲川には徳島港もあり南海フェリーなどが出航し紀伊水道を通って和歌山港と結ばれている。

「南海」とは和歌山以南の海と四国東の海をさすイメージがあるが、もともと古代日本の律令制における行政区画である五畿七道(ごきしちどう)から来ている。南海道は紀伊・淡路・阿波・讃岐・伊予・土佐の六か国をさす。五畿は大和、山城、摂津、河内、和泉のいわゆる畿内五か国。近畿と呼ばれる由来だ。七道は、
東海道(三重、愛知、静岡から関東全域まで)、
東山道(滋賀、岐阜、長野から東北全域まで)、
北陸道(福井、石川、富山、新潟)、
山陽道(兵庫南部、岡山、広島、山口)、
山陰道(京都北部、兵庫北部、鳥取、島根)、
南海道(三重県熊野地方、和歌山、淡路、徳島、香川、愛媛、高知)、
西海道(九州7県)の七道。
「道(どう)」は地方行政の基本区分。いくつもの国があり、それぞれの国府を結ぶために都から放射状に官道が設けられそれが大きな「道(みち)」になっていき東海道や山陽道などは地域を指す言葉ではなく地域を結ぶラインとして現在の主要道路や主要鉄道に置き換わっていった。中山道や甲州街道など五街道は江戸が日本の中心になってからできた新しい街道である。
北陸とか東海とか近畿や南海、こうした古い広域の呼び名は日本の地域や地名に多く使われるようになり、今回日本全国を調べているとこうした地域分けや古くからの地名は現代でもそのまま使われていることが分かるのです。時代によって変わる地名とずっと変わらない地名、新しくできた地名と消える地名。地名もそうですがこれは学校、チーム、そして人と置き換えてもいいのです。
ちなみに北海道は五畿七道には存在せず江戸期まで北の境の概念が薄かった日本では長らく蝦夷地とのみ呼ばれていたが、明治になって新たに「北海道」が誕生した。そのため現在は五畿八道と呼ばれることもあるが、行政区分としての「道(どう)」はご存知の通り北海道だけに使われている。これは北海道が最初11か国に分けられさらに函館県、札幌県、根室県の3県が明治初期に存在しこれらをまとめて北海道と呼ぶようにしたが、その後北海道全体をひとつの管轄対象とし行政区分として扱ったことが今でも続いているためである。まあ、このほうが「北海道」の特別感があっていいですよね。

さて、その南海道の一つである徳島県、徳島ボートは徳島市立が唯一気を吐いている。2016年時点で部員は男子33名、女子43名と76名もいるというから驚き。2016年朝日レガッタではW2Xが初の決勝進出。大学に進学してからもボートを続ける部員は増えており、徳島市立の元気な部員たちの声が沖洲川に響く。
2016徳島県高校総体に挑む






高校ブレード 高知県

高知県

高知東(こうちひがし)
高知市一宮徳谷(いっくとくだに)に所在する県立高校。高知市の北東部に位置する地名である一宮は「いちのみや」ではなく「いっく」と読む。
高知東は1970年代に高知市の人口が爆発的に増加し県立高校が不足したことを受け、1976年開校した。同様に、ボート部がある高校、高知南や岡豊も同時期の創立。
高知東ボート部は現在休部との情報あり。卒業生の大半が専門学校へ進むか就職するということで、大学進学者は少なく、こうなると地元のローイングクラブか地元実業団がないとボート継続の受け皿がなくボート文化発展のためにはなかなか難しい環境だといえるかもしれない。しかし日本の地域ボートの多くは高校ボート部の頑張りとリードによって発展してきた。高知ボートにも高校、大学のチームがあり卒業後もボートに関わる環境を築ければと思う。高知東ボート部、復活してほしい!


高知南(こうちみなみ)
高知市桟橋通(さんばしどおり)六丁目に所在する県立高校。高知市を流れる二つの川、国分川(こくぶがわ)と鏡川(かがみがわ)。鏡川の北側に高知城と高知県庁が隣接しているが鏡川の南側が桟橋通であり高知県のトップ私立校の土佐高校と土佐塾高校があり、高知南は鏡川河口付近に位置している。
ちなみに国分川と鏡川が合流する入り組んだ浦戸湾の出口に弓状に延びた竜頭岬があるが、ここに月の名所で名高い桂浜(かつらはま)があり、あの坂本龍馬が郷里で愛した場所といわれ銅像も建っている。坂本龍馬は日本の歴史を動かしたとして幕末でも最重要人物のように語られることが多いが、一つにはこの桂浜から海の向こうの世界を見すえ海軍構想や航海術を教えるために尽くしたり海援隊や亀山社中によって現代の株式会社につながる組織づくり、人づくりに先見の明をもって多くの行動とアイデアを実践したからだ。日本を海洋全体の中において世界基準でみる。海と舟は坂本龍馬の生きる舞台であり乗り物だった。坂本龍馬のような志をもって、ボート競技も世界を見すえ、そして世の中の組織も、人も、熱く生きたいものだ。
高知南は1987年開校し、2002年から併設型の中高一貫校として県立高知南中学校・高等学校となった。このため毎年大学進学者が増え国立大学25名が進学。色々意見はあるだろうが、進学指導と部活指導に力を入れることで、生徒の学校生活と人格育成が充実し結果的に地域発展にもつながるのだろうと思う。教育は人への未来の投資だ。工夫すべきはその指導の方法。生徒という10代の若者を知恵の面でも人格の面でもリードし素晴らしい人間の方向へ導くのは大人の責任だ。人としての心と知恵と人間性、個人と組織の可能性、生きることの魅力、これらを素直に伝え示していくことではないかと思う。強さと弱さも教えながら。
有名な出身者にはシンガーソングライターの岡本真夜がいる。代表曲はデビュー曲にして200万枚最大のヒット曲1995年「TOMORROW」でありこの年の阪神淡路大震災で勇気をもらったり励まされたということで話題にもなった応援ソング。また、自身が高2で転校してきた高知南高校では多くの尊敬する友人ができ、代表曲の一つ「そのままの君でいて」はその親友をモチーフにしてできた曲だということだ。それから、同じ高知出身のアイドル広末涼子に2曲目シングル「大スキ!」を提供している高知つながりもある。うーん、多くの友人や尊敬する人との出会いは大切ですね!
さて、高知南ボート部は2016年時点で男子2名ということだが、他の高校と同様部員がもっといた時期もあるようで、合宿風景なども残っている。高知大ボート部も復活へ着々と動いている。高知ボート全体で盛り上がるといいですね。
2010年高知南ボート部部活紹介PV


高知工業(こうち・こうぎょう)
高知市桟橋通二丁目に所在する県立高校。
1912年に開校した私立高知工業学校を前身としており、県内の工業高校としては最も歴史がある。1923年、県立高知工業学校と改称し県へ移管、1948年に県立高知工業高校となる。設置学科は7つあり、機械科、電気科から情報科、工業化学科、土木科、建築科、総合デザイン科(インテリア)までさまざまだ。
校章はギリシャ神話の商工業の神マーキュリーが常に持つ杖の頂端の部分を図案化し校名の「高知」を置く。マーキュリーの杖は中央上端が「火」、その下に「水」、左右にのびる「翼」から成っており、校章は「火水鳥」(かすいちょう)と呼ばれているらしい。火のように心が激しく燃え水のように身体を環境に合わせ自在に冷静に操る。火の鳥と水の鳥、空と水のはざまの水面を苛烈に華麗に羽ばたくクルーだ。私は艇を鳥だともイメージしている。風をとらえて大空を舞うように、ブレードの翼で水をとらえ力強く羽ばたき抵抗をのけて水と空の境を飛ぶ。羽ばたいたあとに水という大空を滑空する。この校章、遠目ですが高知工業ブレードに描かれていたようなので画像を拝借させていただきました。こういうブレードデザインもありですね。さすが総合デザイン科。
高知工業ボート部は新しく、2014年に有志5名でボート同好会として発足し、2015年部に昇格したできたてホヤホヤの部だ。創部は2015年でいいでしょうか。鏡川で高知南と艇庫を共用し練習をしている。2016年時点で部員16名と高知のボート部では一番多く、実力でもいきなり高知ナンバーワンの高校になろうとしている。ギリシャ神話の神ヘルメスと同一視されるマーキュリーは速足で知られ、競技や体育の神でもあるが、このマーキュリークルーが全国への快進撃を続けてほしい。
高知工業 校章
高知工業高等学校サイトより画像転載。高知工業の校章


岡豊(おこう)
南国市岡豊町中島(なんこくし・おこうちょう・なかじま)に所在する県立高校。
県内で唯一、美術・書道専門のコースがあるという独自性のある高校で、1983年県立岡豊高校として開校。普通科の中に先ほどの普通科芸術コースと普通科体育コースがある。岡豊はソフトボール部が強く、全国高校最多の計20回(高校総体7回・国体8回・選抜5回)を誇る強豪であり2004年には全国3冠に輝いている。また、女子バスケットボール、柔道、剣道、弓道も全国レベル。
南国市は高知市の東に隣接する高知県第2の市、四国山地が尽きて高知平野が開ける場所に当たり高知県の空・陸の玄関口となっている。高知龍馬空港や高知自動車道、ほか多くの交通の要地となっている。もともと土佐国の国府が置かれ、紀貫之が「土佐日記」を記した地でもあり、戦国時代に長宗我部氏が本拠地を構えた岡豊城(おこうじょう)があり、長宗我部元親(ちょうそかべ・もとちか)はここを四国統一の足掛かりにした歴史ある土地である。(のちに桂浜の浦戸城も一時期本拠にした)その後土佐藩初代藩主・山内一豊によって高知城に藩庁が置かれ雄藩として土佐藩がそして高知市が発展していくことになるが、由緒ある土佐の中心だった岡豊は四国統一の拠点であった。
岡豊ボート部は詳細な情報が少ないが2016年部員は1人。インハイには何度も出場している。


幡多農業(はた・のうぎょう)
高知県四万十市に所在する県立高校。1941年県立幡多農林学校として創設し、1948県立幡多農業高等学校となる。その後幡多農工に改称するが1969年再び幡多農業に戻る。
四万十市(しまんとし)は幡多地域と呼ばれる高知県西部における中心都市で、かつては中村市といい2005年に西土佐村と合併し四万十市に改称、高知県第3の市となった。この幡多郡市には愛媛の宇和島市と接する宿毛市(すくもし)、四国最南端の足摺岬(あしずりみさき)がある土佐清水市もあり、戦国時代には土佐一条氏により中村の街を「土佐の小京都」と呼ばれる碁盤の目に整備されたが、現代で有名なのはやはり日本最後の清流といわれる四万十川(しまんとがわ)の流れと、日本観測史上最高気温を記録した暑い町としての四万十市だろう。
そして2002年、よさこい高知国体ボート競技の開催地となった四万十川ボートコース。私の大学からも選手が国体に出場したのでよく覚えている(私は行けませんでしたが)。日本でも有名な四万十川でもボートが漕げる。源流の森や黒潮のぶつかる高知の自然豊かな清流で、まさに大自然の中でボートを楽しめたら素晴らしい。




四国地域では、日本をリードする有力県もあれば、環境やその他の要因でこれから多くの可能性を秘めた県とがあった。愛媛県は優勝を何度も経験する中でさらにしのぎ合い競い合い、世界に通じるボートマンの育成に日々のエネルギーを注ぎ、また徳島県も唯一の高校ボート部で大きなチームを実現していた。香川県は過去にチャンピオンを育てながら少しずつ力を蓄え、また高知県は新しいチームの誕生を契機に全県で普及強化していく段階だろう。
いずれも素晴らしい水域があり、全国に誇るボート環境をもっている。たくさんの人材を輩出してきた歴史の中で、またこれからも大志を抱いた多くのリーダーが四国から出て、世界にはばたく人たちをたくさん育ててほしい。四国が世界への玄関となり、小さな海から大きな海を望み巣立っていく場となってほしい。




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