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瀬戸内海を挟むこの中国・四国の両ブロックも、ボート強豪校がたいへん揃っていますね~。特に、中国地域を牽引する岡山県と鳥取県、そして四国のリーダーであり全国一、二を争うボートどころともいえる愛媛県。このあたりが中国、四国のボートを引っ張り全体の自信とボート意識を高める役割を担ってきたのではないでしょうか。その中でもともと伝統があった各県各地域も中心水域においてボート熱がたいへん盛り上がってきています。中四国の9県、2回にわたってそれぞれの高校を見ていきましょう。

※瀬戸内海をはさんで一大地域として中国・四国地区を一緒に記事にする予定でしたが、四国も記述が長くなったので独立して書くことにします。ご了承ください。




高校ブレード 岡山県

岡山県

関西(かんぜい)
岡山市北区西崎本町にある私立高校で、岡山県唯一の男子校。通称は「関西(かんぜい)」で、初めて読む人は関西(かんさい)と間違えるが「カンゼイ」が正しい。学校法人関西学園(かんぜいがくえん)が運営し、岡山中学校・高校も姉妹校。よって、関西大学などを運営する学校法人関西大学(かんさいだいがく)や、関西学院大学などを運営する学校法人関西学院大学(かんせいがくいんだいがく)とはそれぞれ特に関係はない。とはいえ、ボートでそして野球などでも有名になっているので、岡山の関西高校はスポーツ強豪校として知る人は全国で多いだろう。
1887年修業年限1年半の薬剤師養成学校として、私立岡山薬学校を設立したのが創設年。さまざまな変遷ののち1948年私立関西高校となる。やはり有名なのは野球部で、創部は1895年と岡山県で最初にできており、岡山東商業と倉敷工業を抜いて春夏甲子園通算出場は県内最多を誇る。野球以外にも、体操、硬式テニス、少林寺拳法、そしてボートが全国トップレベル。
高校ボート界でも有名な関西ボート部はやはりM川先生を抜きに語れない。1988年ボート部顧問になり1997年に全国選抜、インハイで初の日本一。以来優勝を重ね、関西は2004~2009年には国体6連覇(少年M4X+)という前人未到の偉業を成し遂げ黄金期を築いた。国体の高校部門はそれまで3連覇が最高だったので、日本スポーツ史上でも大きな記録となっている。これ以降現在でも関西は岡山だけでなく中国地域あるいは高校ボートのトップレベルで争う強豪であり続けている。岡山市中心地を流れる旭川(あさひがわ)で全国制覇をめざし毎日を奮闘中だ。当然、多くのジュニア代表選手や名選手を数多く輩出しており、戸田でも関西高校出身のボートマンはたいへん多い。
関西高校M川先生のブログ「TEAMモリカワのブログ」は、坂出高校S井先生の「坂井 de Rowing」と熊学N藤先生の「熊学ボート部の日々」と合わせて個人的に高校ボート3大ブログです!!後の2つはもう更新がありませんが、10年前頃よく読ませてもらっていましたよ。そんな高校ボート関係者の方多かったんじゃないでしょうか!いまは、「TEAMカンゼイのブログ」にタイトルが変わったようで、熊学のブログも閉鎖されているようですが、先生方の熱き格闘の日々もたいへん参考と刺激になるのです。


岡山操山(おかやま・そうざん)
岡山市中区浜にある県立の併設型中高一貫校。
かつて岡山五校と呼ばれた高校の一つであり、これは総合選抜制度という、歴史や知名度の違いで生じる新旧高校間の学力格差をなくす岡山学区と倉敷学区の学力均等政策による。この五校は、岡山朝日、岡山操山、岡山大安寺、岡山芳泉、岡山一宮。入試の学力検査で志望校に関わらず「岡山」としてこの五校に振り分けられ、この五校の学力が平準化するしくみになるというが、生徒は合格するまでどの高校に入学するか分からない。学校というのも難しいもので、どうしても人気と知名度によって入学希望者の増減が過度に生まれて、倍率高騰、定員割れなどが出て結局は統廃合などの問題にまで至ってしまう。経済現象や人口集中・過疎化問題のようでなかなか難しいが、魅力ある学校づくりとその発信を各校が努力するのが最善なのだろう。
岡山操山は1900年岡山県高等女学校として開校した歴史ある高校。多くの改編を経て、1949年に女子校の岡山第一女子高校と男子校の岡山第二高校が統合し県立岡山操山高校と改称し男女共学となる。1999年先述の五校の選抜制度を廃止し、2002年より併設型中高一貫校となる。岡山の県立高校では3本の指に入る進学校になるようだ。

岡山操山は、日本人女性初のオリンピックメダリスト人見絹枝(ひとみ・きぬえ)を輩出している。1928年アムステルダム五輪女子陸上800m銀メダルで有名だが、100m、200m、走り幅跳びで当時の世界記録を更新し後世炎のスプリンターとも称され、間違いなく現代に続く日本女子アスリートのさきがけとなった人物だ。日本人女性が陸上短距離種目世界記録3つはすごい!170cm56kgだったといい、24歳の若さで早逝したという。文才があり、死の床でも短歌を詠んだという文武の両才。高校野球でのプラカードを掲げての入場行進や、勝利の校歌吹奏、校旗掲揚は人見の発案で始まったとのこと。当時の女子陸上への偏見をオリンピックメダル獲得で黙らせた女子アスリートの鑑ともいえる人見を、同じ岡山市出身のマラソンメダリスト有森裕子はたいへん尊敬したといい、1992年バルセロナ五輪銀メダルに輝いた8月2日は人見が獲った銀メダルの日と同じという奇縁となった。
さて、そんな岡山操山のボート部は稲妻ブレード!1960年創部であり、近年はたいへんレベルの高い岡山県予選を勝ち上がりインハイに進むことも増えており強化が進んでいる。伝統校がいよいよトップ校への道を歩み始めるか。


岡山東商業(おかやまひがし・しょうぎょう)
岡山市中区東山にある県立高校で、通称「東商(ひがししょう)」。1898年に岡山県商業学校として創立して以来、岡山県内の商業教育の拠点として118年の歴史を有し、約3万人の卒業生を輩出している。1953年県立岡山東商業高等学校に改称。地域経済の活性化に貢献する高度な職業人の育成を標榜し、現在ではビジネス創造科と情報ビジネス科の2学科を持っている。バレーボール部やソフトボール部、ボート部をはじめとして部活動も盛んに行われており、特に野球部は1965年(昭和40年)の第37回選抜高校野球大会で優勝している。2014年には長崎国体少年M4X+で東商2名、操山、備前緑陽2名の岡山選抜で準優勝を果たした。東商は近年ぐーんと強さを増し、操山や備前緑陽の著しいレベルアップもあって、10年ほど前の関西一強ではなくなってきており岡山県全体のレベルアップと競争が激化しているようだ。
やはり岡山駅に近い旭川と、東側2、3kmにある百間川(ひゃっけんがわ)に岡山県ボート協会と県艇庫があるようなのでそこの水域で練習しているようだ(すぐ近くに岡山大艇庫もある)
2015岡山東商業 漕艇部PV
また、岡山東商業ボート部ツイッターに上がっている2016、2017動画もたいへん出来が良いみたいだ。


東岡山工業(ひがしおかやま・こうぎょう)
岡山市中区土田にある県立高校。略称は「東岡工」(ひがしおかこう)、「東工」(とうこう)。1962年県立東岡山工業高校として機械・電気・工業化学の3学科を設置し開校。県立の岡山工業高校(岡山市北区、通称「岡工」)もあるので東岡工と岡工の混同に注意。東岡山工業はロボコンやものづくり、人力飛行機など工業高校ならではの創意工夫ある活動に積極的だ。
東岡工ボート部は平日は校内トレーニング、土日は百間川で乗艇練習をしており2016年時点では男子部員7名で活動、2011年には備前緑陽とのM2Xで国体6位になっている。東岡工の学校としてのキーコンセプトは「つながろう、明日へ!若き<東工の匠>たち ~挑戦する魂の継承~ 」ということで、そのままボートにもあてはめたいスローガンだ。巧みなボートマンの挑戦心を継承し続けてほしい。


岡山商大附属(おかやましょうだいふぞく)
岡山市北区南方にある私立高校。岡山商科大学の附属校。旧名は吉備高校(きびこうこう)。1911年私立吉備商業学校を創立し、1948年吉備高等学校、1994年岡山商科大学附属高等学校と改称し男女共学となる。普通科と専門科を合わせ総合学科高校という点が売りで、夢を見つけるために多くのコースからさまざまな授業を選択し受けることができる。2018年からは自動車科も新設。漕艇部は平日陸トレ、土日にやはり百間川で乗艇。


備前緑陽(びぜん・りょくよう)
開校は2003年と新しい、備前市西片上の県立高校。元々は1945年片上工業学校として開校した片上高校から分離した備前東高校と、備前高校が統合して2003年に新設されたのが県立備前緑陽高校。この備前市立片上高校は定時制高校となっており備前緑陽と施設を共有している。
備前緑陽は通称「緑陽(りょくよう)」。前身の備前高校時代にも1993年インハイM1X優勝しているが、緑陽ボート部はいままた日の出の勢いで強くなっている。備前市は岡山県東部、東に兵庫県赤穂市と接しており備前焼と耐火煉瓦と漁業の町だ。片上地区が市の中心で、JR山陽本線と接続するJR赤穂線の西片上駅の目の前に備前緑陽がある。その一駅隣に備前焼の陶芸家が多く集まる伊部地区の伊部駅がある。そして品川リフラクトリーズの事業所もあり、備前緑陽ボート部の強さはこのへんにも関わりがあるのだろうか。2011年インハイでM2X決勝4位と初の入賞となり(クルーのA山選手は日大に進学しのち主将となる)、2014年岡山東商業のところでもふれた国体M4X+の岡山選抜で全国2位、そのほかにも実績を重ねついに2017年インハイM2Xで優勝し備前緑陽として初めての日本一となる。
品川と同じ水域でもある学校すぐ近くの片上湾(かたかみわん)で練習をしており、岡山市内の百間川でも練習に向かうこともあるようだ。2014年準優勝した長崎国体では奇しくも同じ名の形上湾(かたかみわん)コースでの快挙だったが、海のコースで同じ読みだが漢字が違うので注意。
期待の星O田選手を紹介する地元KSB放送のニュース。この2カ月後に見事インハイ優勝することになるが、この映像からも備前緑陽の強さの秘訣が垣間見える。
「東京への道~金の卵たち~」






高校ブレード 広島県

広島県

広島皆実(ひろしま・みなみ)
広島市南区出汐(でしお)に所在する県立高校。体育科と衛生看護科を併設し、広島県内の高校で唯一看護教育を行っている。
1901年県立広島高等女学校の創設、広島第一高等女学校を経て1949年、男女共学の広島県広島皆実高校となる。1968年県立を称する。さまざまなスポーツが強いことから地元では「スポーツの皆実」と呼ばれるが、特にサッカー部が有名で全国高校サッカーの常連であり2009年ついに創部60年目にして初の全国優勝を果たした。卒業生にはシンガーソングライターの吉田拓郎や奥田民生、陸上の為末大、多くのJリーガーなどがいる。
ボート部は創部1964年、今年の部員は11名で広島市内を流れる太田川で練習している。あのスーパーrowingサイト「OZAWA ROWING」と桑野造船所社長としておなじみのO沢さんのご出身だとのこと。
練習水域の太田川放水路は、一級河川・太田川(おおたがわ)の本流から西へ分流させた治水のための人口河川で、1967年に完成、広島中心市街を水害から守る調整水路だ。広島市街中心部は太田川本流がさらにいくつにも分かれ中洲状態になっているような広島デルタを形成している。その日本でも有数の三角州地帯の真ん中に、広島城、広島県庁、原爆ドームや平和記念公園など多くの歴史建造物や都市機能が集中する。
広島城はこの太田川を天然の水濠として築城された水の要塞たる名城で、その周囲に中国一の都市・広島が発展するわけだが、築城については戦国時代末期に毛利三本の矢の三男・小早川隆景と、大河ドラマ主人公となった天下の名軍師・黒田官兵衛が「広島城は実は水攻めをされれば守りが弱い。天下を取った秀吉に対し毛利家に謀反の意思なしを示すには逆に好都合だろう」という深慮遠謀があったとされる。いわばシンボルとしての広島城は政務・商業の中心地となる近世城郭のさきがけであり、三角州の堆積した広島平野と瀬戸の水運は近代都市建設にはうってつけだった。「鯉城(りじょう)」と呼ばれる広島城のこの別名は、広島カープのチーム名の由来にもなっている。


広島工大高(ひろしまこうだいこう)
広島市西区井口にある私立高校。1956年広島高等電波学校を創設、1963年広島工業大学附属工業高等学校に校名変更し、2017年には38年ぶりに男女共学化。広島工業大学の附属校なので、ボート部は広島工大の艇庫と同じ建物につながっている。太田川放水路の沿岸、広島高速3号線から続く広島南道路の高架下には「広島大学ボート部前」という交差点があるようだが、そこに広大、広島工大・工大高、広島皆実、広島修道大の艇庫が並んでいる。このあたりの太田川は川幅250mほどでかなり広く、海にも近いため広島湾からの潮汐差は4mもあり、満潮時は分流地点を超えて海水が遡上する。つまり放水路全体が汽水域にあたり、水位と流れの変化が大きく十分注意が必要。海水に浸かった練習後の洗艇がたいへんだと広島工大高ブログには情報あり。
広島工大高ブログ


宮島工業(みやじま・こうぎょう)
廿日市市物見西にある県立高校。名称の「宮島」は、日本三景の1つである宮島(厳島)を望む対岸に所在しているという意であり、「宮島に所在している」わけではないとのこと。1962年 広島県宮島工業高等学校として開校、1968年 校名を県立に改称。
ボート部は強豪だ。2012年にはM2Xで全国選抜、インハイ、国体の高校三冠を成し遂げた。M2Xでの高校三冠は全国で2度目、広島県勢では初ということで快挙だった。
JRと広電の宮島口の駅近くに宮島行きのフェリー桟橋があり、その横に宮島競艇場があるがさらにその隣の海岸に艇庫があり阿品(あじな)の海で練習をしている。宮島の美しい風景と大鳥居を対岸に見ながら瀬戸内で漕ぐボートは爽快だろう。と思いきややはり海のコース、波風が強く環境は必ずしも良くないらしい。高校三冠の偉業を達成した裏には、県外への合宿支援事業を利用し年間県外合宿20~25回をこなし、元JAPANのコーチを招聘し身体の使い方、スピードに乗せる技術を研究し習得に取り組み身体差などのハンデを乗り越えたという顧問先生の現実的な取り組みがあったという。強化事業の方策と推進なくして栄冠は勝ち取れないという、当たり前のスポーツの鉄則がここにも表れている。
2017宮島工業ボート部PV 


廿日市(はつかいち)
廿日市市桜尾(はつかいちし・さくらお)に所在する公立の高等学校。略称は「廿高」(はつこう)。1915年、佐伯郡立工業徒弟学校として開校し、工業学校だったが1949年広島県廿日市高校となる。1968年、県の下に立が付き県立廿日市高校となる。ボート部創部は1951年と古く、1980年ボート部艇庫が宮島口に完成し、この艇庫は宮島工業と共同で使用している。全国大会の常連であり、廿日市の紅葉色のブレードが全国優勝に輝く日までOBOGの結束も深まる。
さて、日本三景の一つ「安芸の宮島」(厳島神社)は廿日市市宮島町にあり、現在では人口1800人余りの島に国内外から年間300万人を超える参拝客及び観光客が訪れており、2011年には、トリップアドバイザーが「外国人に人気の日本の観光スポット」トップ20の第1位と発表したという。原爆ドームとならんで広島県の代名詞的存在の一つとなっている。平清盛が厚く庇護し国宝や文化財も多く、厳島神社および弥山(みせん)の原始林は世界遺産に指定される。この島の最高峰(535m)弥山からの瀬戸内海眺望は大変美しく、元日には初日の出を目指す登山客で混み合う。日本一の饅頭ともいわれるもみじ饅頭はもともとはここ宮島の土産品であり、広島県のもみじや紅葉のイメージはすべて宮島から来ている。まさに秋の宮島だ。


※福山市の高校
広島県には、太田川と宮島に加えてもう一つの水域、福山がある。広島県の東端に位置する福山市には芦田川(あしだがわ)漕艇場があり、1994年広島アジア大会と1996年広島国体の会場となった2000mの国際A級コース。広島県内の大会も頻繁に行われている。福山漕艇協会と地元のおもにジュニア世代(小・中)を育成する福山ボートクラブがあり、ボート競技を楽しんでいる。この福山BCの中にはトップクラスの選手も出てきて、インハイ優勝、世界ジュニア代表という錚々たる選手をたびたび輩出する驚異のクラブ。いまの神戸BCのようなイメージだ。
1996年にはインハイW1Xで盈進(えいしん)高校が優勝、そして同年の広島国体W1Xで福山高校が地元優勝を飾った。2001年にはジュニア代表で男女トップスカラーが福山工業高校と福山明王台高校から選出、そして最近でも銀河学院高校など、多くの選手を育てているがどうもこの福山市内の高校はずっと存続するボート部という形ではなくインハイや全国大会に出場するための一時的な選手登録のようだ。
このように、日本にも学校単位というよりクラブ単位で優秀な選手を育てボート文化を築いている地域もあるということにしっかりふれさせていただきたいと思います。高校生年代でクラブのための全国大会はない日本の現状、競技力向上や本人の進路などを考慮すれば、レベルが高く競争の激しい高校の全国大会に出場してレースを経験できるのは重要なことですからね。また、ボート部のある高校が近くにない、ボート部があるが環境的な面でクラブのほうが良いなどの理由でクラブを選択するケースもあるかと思います。選択肢が増えて、ボートチームを選ぶことができるようになれば、他競技のように環境面のより一層の改善や競技者の関わりも多様化し、競技人口の底上げなどにも寄与するのではないかとも思います。






高校ブレード 鳥取県

鳥取県

鳥取東(とっとりひがし)
鳥取市立川町にある県立高校で、県内有数の進学校。1922年県立鳥取第二中学校として開校、1949年に鳥取県立3校が統合され、県立鳥取東高校となる。スクールカラーは紫紺だが、ボート部のブレードカラーは水色のようだ。鳥取東の応援歌として愛唱されている「若草萌えて」は、同志社大学の応援歌と同じであり、これは昔「応援部」が同志社大学で合宿を行ったときに頂いたものであるとされている。
鳥取市内にある日本最大の池である湖山池(こやまいけ)ボートコースで練習し、県立湖山艇庫を本拠にする。鳥取大学キャンパスと鳥取大艇庫もすぐ近くにあるが、湖山艇庫はこのたび増築され念願のトレーニングルームも完成、鳥取県ボートは県西・米子の盛り上がりに対抗し県東の湖山も負けていられないと鳥取東西でお互い刺激し合い良い競争をしているようだ。2016年時点で鳥取東は部員約50名、鳥取商業は約40名とかなり部員を増やしており、湖山艇庫で行われたマシンローイング大会でも両校の選手リストがずらっと並び盛況だ。


鳥取商業(とっとり・しょうぎょう)
鳥取市湖山町北に所在する県立高校で、通称「鳥商(とりしょう)」。こちらの鳥取商のほうが湖山池のすぐ近く。ちなみに鳥取砂丘まではどちらの高校からも3km以上あるようだ。1910年鳥取県立商業学校として設立し、1957年県立鳥取商業高校として独立。2004年と2011年に硬式野球部が夏の甲子園大会に出場、また男子バレーボール部が全日本バレーボール高等学校選手権大会(春高バレー)に8度出場するなど強豪。
稲妻ブレード第2弾。岡山操山は紺だが鳥取商業のほうは明るいブルーのようだ。さしずめ岡山操山が夜闇に輝く稲妻で、鳥取商業は青空に輝く稲妻だ。青天の霹靂とはこのことか。


鳥取湖陵(とっとり・こりょう)
鳥取商業のはす向かいに位置し鳥取市湖山北にある県立高校。2001年県立鳥取湖陵高校として開校し、鳥取西工業・鳥取農業・鳥取西(家庭学科)を統合して新設された。農業・工業・家庭・情報に関する学科を有する総合選択制の高等学校である。
ボート部は前身の鳥取西工時代は強かったようだ。鳥取湖陵になってから2016年時点で部員9名、女子中心の構成のようすであり、今後鳥取東と鳥取商業に続いて大きく盛り上がってほしい。


米子東(よなごひがし)
米子市勝田町(かんだまち)にある県立高校で、かつて旧制の鳥取第二中だった米子東は、鳥取第一中だった鳥取西と県内トップを争う山陰の誇る進学校。東に大山の雄姿を仰ぎ、日本海の荒波を受けるという、広大な敷地には勝田山と3つのグラウンドを持つ自然豊かな高校だ。すぐとなりにある勝田神社(かんだじんじゃ)は米子の総鎮守、商売繁盛のご利益で米子市民定番の初詣スポットだとのこと。
1899年鳥取県第二中学として創立、1909年米子中学を経て1949年に県立米子東高校となる。県内では通称「米東(べいとう)」とのこと。鳥取大、島根大、広島大、岡山大、山口大と近隣の国立大への進学が多いが東大、京大、国立医大への進学者もいる。ボートファンなら一橋大や明治大など多くの大学へ進んでいて今存在感のたいへん強い高校として知られていますよね!
さらにはライバル鳥取西と競って野球部も強く、米子東は春の選抜甲子園で一度だけ準優勝しており(1960年)、山陰勢として唯一の決勝進出だそうだ。この県西の米子東と県東の鳥取西、野球での対決は「山陰の早慶戦」と呼ばれ注目を集めるという。またクイズも強く、高校生クイズでは東大寺学園(奈良)、ラ・サール高校(鹿児島)に続いて米子東が出場回数3位だとのこと。私も出た高校生クイズ(予選落ち)!懐かしい。
そして名門ボート部は学校創立の翌年1900年創部、米子市内にある中海の錦海(きんかい)ボートコースで練習している。たいへん素晴らしい環境の中、伝統と革新の中で進化し続ける鳥取の米子ボート。米子東はリオ五輪代表T田選手を筆頭に、T島選手、N井選手などU23やジュニア代表を次々と輩出しN口選手などインハイ優勝者もはじめ、多くの名選手を続々と出している。そしていずれも大学で好成績を残し、今後ボートマンとしても一流の功績を残しボート界に多大な貢献を果たしてほしいと願わずにはいられない。とんがれ米東!


米子南(よなごみなみ)
米子市長砂町にある県立高校。もともとは実業学校で、1927年鳥取県立蚕業学校として創立。その後商業科や工業科の設置など改編を経て、戦後の学制改革で実業高校となりさらに米子東に一旦は統合されるが、1953年に3つの分校が米子東から分離し県立米子南高校として独立した。1970年米子南商業高校となるも、2001年米子南高校に再び改称。
近年では女子バスケットボール部が全国大会に連続出場するなど活躍。米子南ボート部も、女子ダブルなど全国入賞もありたびたびインハイに駒を進める。


米子工業(よなご・こうぎょう)
米子市博労町(ばくろうまち)に所在する県立の工業高等学校である。略称「米工(よねこう)」。1923年鳥取県立工業学校として開校、1948年県立米子工業高校となり翌年米子西高校工業科に組み込まれるが、1953年県立米子工業高校として独立。
米子工業の向かいに米子東があり、山陰道(国道9号)と出雲街道(国道181号)が合流するあたり、JR米子駅からも1km圏内と交通アクセスが良い。米子市は江戸時代から商業都市として発展し、「山陰の大阪」と呼ばれている。複数の国道と高速道(山陰自動車道、米子自動車道)が通り、岡山・鳥取・境港・松江が結ばれ、米子空港や境港からは韓国のソウルやロシアのウラジオストクとも結ばれるなど、交通の要衝となっている。
なんといっても、この米子工業から1kmほど南西に中海を臨む米子城跡地や鳥取大医学部があるが、この中海(なかうみ、なかのうみ)は別名・錦海(きんかい)と呼ばれここに米子が誇る錦海漕艇場があり、県立米子艇庫と鳥取大医学部漕艇部艇庫が並んでいる。この錦海から、近年多くの日本代表が誕生したわけだ。米子工業にも、U23代表F田選手を始め多くの若武者が巣立っている。


米子高専(よなご・こうせん)
米子市彦名町に所在する国立高等専門学校で、略称は米子高専。1964年国立高専3期校として開校(機械工学科・電気工学科・工業化学科)し現在に至る。施設はものづくりセンター(実習工場)、低学年講義棟、専攻科棟からなる。ボート部では2011年にインハイM1X6位がある。しかし、現在はボート部として活動しているかどうか詳細は不明。


境(さかい)
境港市上道町にある県立高校で、略称は「境高」(さかいこう)。1940年県立境中学校として創立、1949年に境第一高校、境第二高校、余子水産高校の3校が統合し県立境高校となる。
境港(さかいみなと)市は、米子市のさらに北西、もともと日本海に開いた湾だった中海を閉じた大きな砂州である弓ヶ浜半島に位置し、南東に米子市、境水道を隔てて松江市と接している。この弓ヶ浜半島はたいへん美しい景観であり、また境港市は重要港湾として栄え、「ゲゲゲの鬼太郎」の作者・水木しげるの出身地としても有名だ。
境高校ボート部は歴史があると思われるが、あまり情報を見つけることができなかった。2016年時点で部員1名、近年少人数が続いているようなのでぜひもっと大きくなってほしい。






高校ブレード 島根県

島根県

松江北(まつえきた)
松江市奥谷町に所在する県立高校。通称は「北高」(きたこう)、「松北」(まつきた)。1876年に開設された「教員伝習校内変則中学科」(旧制中学校)を前身とし、松江中学となり数回の改称を経たのち、戦後には松江第一高校と改称、1949年松江第二高校・松江市立高校と統合し男女共学の県立松江高校が発足。その後1961年南北2校に分離され、「島根県立松江北高等学校」(現校名)となった。旧制中学時代を含めると島根県内で一番長い歴史を持つ公立の高等学校である。
出身者には、若槻礼次郎、竹下登ら総理大臣他、日本近代スポーツの父と呼ばれたあの岸清一(きし・せいいち)など錚々たる人物がいる。岸清一氏は、東京帝国大学に進みもちろんボート選手として活躍、嘉納治五郎によって創設した日本体育協会の第2代会長に就任し、1920年には日本ボート協会初代会長に就任した(翌年以降は顧問)。さらに1924年国際オリンピック委員会(IOC)委員に就任すると死ぬまでこれを務めた。また、大日本蹴球協会(のちのJFA)の国際サッカー連盟(FIFA)加盟にも尽力し、競技の枠を超えて日本スポーツ界の発展に尽くした大先輩だ。代々木の岸記念体育会館(略称・岸体)はもちろんこの岸清一を記念して建設された日本体育協会の本部ビルだ。(現在は渋谷区神南1-1-1にあるが、当初はお茶の水に建てられた)日体協だけでなく、日ボや東ボもこの岸体に入っている。しかしこの岸体、東京五輪開催を機に移転する計画があり、千駄ヶ谷と信濃町の近く、新国立競技場などの建設予定地の近くに地上14階で新たに建設する予定だとのことだ。日ボと東ボも・・・?
このように日本近代スポーツの父であり日本ボート競技の父・岸清一を輩出した歴史のある松江北、モットーは「質実剛健、文武両道」であり、シンボルツリーとして2本の松である「双松」を掲げ同窓会の名にも使われている。日本創世記における数々の神話を生み出した出雲の国もたいへん歴史と文化に満ちた地域だ。
松江北ボート部は、松江市内のボートチームが練習する水域である宍道湖と中海をつなぎ松江市中心を流れる大橋川で練習をしている。2007年にインハイW1X優勝など素晴らしい実績がある。


松江東(まつえひがし)
松江市西川津町にある県立高校で、通称「東高(ひがしこう)」。松江市内の人口増加に伴い市内5校目の県立高校として1983年開校し、実はかなり歴史は新しいがスーパーサイエンスハイスクールに指定されている。部活動は盛んで、野球部・サッカー部ともに全国大会出場の経験があり、またボート部・バスケットボール部・アーチェリー部が全国大会の常連。
松江市は山陰で最大の人口を擁する都市、昔から水の都とされ、宍道湖から中海に注ぐ大橋川によって市街は南北に分断されており、それぞれ橋北(きょうほく)、橋南(きょうなん)と呼んでいる。その水の都では1883年に松江中学(現・松江北)の生徒が宍道湖でカッターを漕いだという記録がある。松江中学では体操時間に競漕を取り入れられ、そこから生徒だけでなく一般市民にも浸透していった。近年では、1984年に松江市民レガッタが大橋川(松江駅前)で開催され全国でも最大規模の大会が毎年行われている。また、島根県にはさくらおろち湖ボート場もあるが、これは松江市中心地から25kmほど南にある雲南市の尾原ダムに作られたコース。
松江東ボート部は学校創立当初に漕艇部として発足。まだ30数年という歴史の中で、良い伝統を長く残していけるよう日々練習に励んでいるとのこと。宍道湖の夕日を見ながらボートを日々漕いでいる。全国制覇へもあと少しというところまできており、2013年インハイM4X+7位、2014年インハイW2X5位、2015年インハイM4X+決勝4位。水の都のクルーが日本一を勝ちとるとき、大きな歴史が刻まれるだろう。
松江東高校漕艇部~インターハイへの軌跡~


松江高専(まつえ・こうせん)
松江市西生馬町(にしいくまちょう)にある日本の国立高等専門学校で、1964年に設置。略称は松江高専。
以前もインカレ特集で紹介したが、高等専門学校は修業年限が5年、つまり中学を卒業して一般に5年制の学校となるため、3年目まではインハイに出ることができ、4年目以上はインカレに出ることができる。また、5年間の課程を修了すると準学士扱いとなり、さらに2年間の専攻科(卒業後の審査により学士をとって学位の取得も可能)に進む学生もおり、そうなるとほとんど専門教育によりエキスパートを育てるための大学機関のようなものと考えられる。ボート指導も5年や7年の一貫指導が可能になるわけだ。高専でボート部があるのはこの松江高専や長崎の佐世保高専などがあり、今回の調べで部員少数だがほかにも存在する。こうしたボート部が増えていくと競技の裾野の広がりや、選手のバックグラウンドの多様化にもつながるだろう。
松江高専の出身者には2005年全日本ジュニア優勝で日本代表だったY地選手などがいる。松江高専ボート部は、ボートの盛んな松江において2016年時点で部員34名と大所帯だ。大橋川ではなく、学校に近い宍道湖から日本海へ流れ出る長さ約8kmの人口河川、佐陀川(さだがわ)で練習しているとのこと。OB会は佐陀川漕友会といい、歴史を大事にしてインハイとインカレにチャレンジを続けこれからも高専ボートを盛り上げていく。


江津工業(ごうつ・こうぎょう)
江津市江津町(ごうつし・ごうつちょう)にある男女共学の県立高校。江津市は島根県西部の石見(いわみ)地方に位置し、山陰地方で最も人口が少なく、島根県で最も面積が小さい。「水の国」というアートミュージアムと公園もある。
江津工業は、前身が養蚕の講習所でありその後1934年県立江津工芸学校に改称しこれが創立とされる。1948年県立江津工業高校となる。
江津工業ボート部は、中国地方最大の川であり「中国太郎」の異名を持つ、江の川(ごうのかわ)で練習をしている。全国大会優勝やジュニア代表も輩出。近年はW2Xが強く、2017年も前年インハイ8位から順位を上げ、2017インハイW2X決勝4位。愛媛国体でも優勝した福井選抜に予選で0.08秒差惜しくも2着の大接戦、順位決定ではインハイ優勝の秋田・本荘、福岡・東筑、石川・小松明峰と激しいレースをし結果3着の7位入賞。島根のボートは出雲の松江だけではない、江の川で鍛えた石見の江津クルーもいる。






高校ブレード 山口県

山口県

西市(にしいち)
下関市豊田町殿敷(しものせきし・とよたちょう・とのしき)に所在する県立高校。1945年県立豊浦農林学校として開校、1948年県立西市農業高等学校に改称し、1952年県立西市高校となる。小規模の高校のようで、運動部は5つだがそのうちの一つボート部が名門として活躍。2011年地元山口国体での活躍をはじめ、全国上位や入賞も多い。部員数も2016年時点で16名と、山口県高校ボート部の中では多い方。
下関市は山口県最大の都市であり本州最西端に位置し、関門海峡をはさんで九州と接する。旧国名は長門国(ながとのくに)、つまり長州であり幕末に志士たちが多く登場し日本近代史で活躍するのはご承知の通りだ。山口県には下関、萩(長州)や、山口(周防)と歴史ある重要都市が多い。豊田町は2005年に下関市と合併し下関といっても内陸部、ここに豊田湖(とよたこ)があり西市クルーはこの豊田湖ボートコースで練習している。


大津緑洋(おおつ・りょくよう)
長門市東深川に本部を置く県立高校。2011年に同市内の県立高校3校(大津・日置農業・水産)が統合されて新設された、新しい高校。前身の開校年度はそれぞれ大津高校が1903年、日置農業(へきのうぎょう)が1906年、山口水産が1939年。特に山口県立水産高校がボート部の全国的な強豪として知られ、元日本代表でジュニアエルゴ記録6'20を持つN村選手(実質大学1年の記録、日大→東レ)、2004年インハイM1X優勝し日大に進んでからも活躍したH村選手、2008年ジュニア代表で日本女子大と明治安田生命に進みリオ五輪LW2X代表候補になったU野選手などほかにも多くの素晴らしい選手を輩出。山口県立水産高校ということで県内では水産高校と呼ばれるが、県外では山口水産と呼ばれることが多い。
この大津緑洋、現在も各校舎に分かれ、大津校舎(長門市東深川)、日置校舎(長門市日置上)、水産校舎(長門市仙崎)とこれまでの学校の位置に3つあり、部活動は現在各校舎に集約されつつあるが、ボート部はやはり水産校舎に所在。
長門市は下関市、宇部市、山口市から北に位置し日本海に面する。長門市中心街からさらに一駅、日本海へ延びる砂嘴(さし)のあたりに仙崎地区があり、日本海に浮かぶ国定公園の青海島(おおみじま)を望む位置に仙崎湾がある。奇岩と青い海が美しい青海島は「海上アルプス」と呼ばれ、本土と橋でつながっているがさながら松島と天橋立のような景観。この仙崎湾では青海島への観光クルーズが航行し栽培漁業などが盛んだが、大津緑洋ボート部もここで練習している。青の洞窟のような神秘的な景観、エメラルドグリーンの海ということで高校名も「緑洋」と名付けられたのかもしれない。


山口県鴻城(やまぐちけん・こうじょう)
山口市小郡下郷(おごおりしもごう)にある私立高校。通称「鴻城」、あるいは、同じ学校法人鴻城義塾の経営である宇部鴻城高校と区別して県鴻城とされることが多い。山口県立ではなく山口県鴻城高校である。1889年山口市に海軍兵学校の予備校として旧制中学・鴻城義塾が創設され、1906年私立鴻城中学校と改称、1948年学制改革により山口県鴻城高等学校となる。同系列の宇部鴻城高校は1956年宇部市に開校。野球部は2度全国出場、サッカー部は2015年全国初出場で、吹奏楽部が最も強い。
ボート部はあまり情報がなかったが、2016年時点で部員4名、場所的には山口大と同じ宇部市の小野湖で練習していると思われる。


周防大島(すおうおおしま)
大島郡周防大島町西安下庄(おおしまぐん・すおうおおしまちょう・にしあげのしょう)の県立高校で、通称「島高(しまこう)」。2007年、安下庄高校(あげのしょう、1923年開校)と久賀高校(くか、1919年開校)が統合して開校。安下庄高校での連携型中高一貫教育を引き継いで行われている。周防大島は、柳井市、岩国市の近くで瀬戸内海に浮かぶ島であり瀬戸内海では淡路島、小豆島に次いで3番目に大きい。正式名は屋代島(やしろじま)というが、周防大島と呼ばれることが多く古くから瀬戸内海の海上交通の要衝とされている。
島高ボート部は2016年時点で部員18名。瀬戸内海の美しい安下庄の海に、オレンジ色のブレードが映える。
ドローン撮影による山口県立周防大島高校ボート部練習風景




中国地域にも、バラエティと変化に富んだ各水域において県内の他水域と競い合い県全体のボートの活力を生み出していた。全国チャンピオンになる高校が増え、全国優勝つまり日本一の経験はまた次へのボート文化創造の大きな一歩でありエネルギーと誇りの源泉になる。高校ボートに共通の点は地域や水域のチームワークが強化普及に欠かせないことだが、やはり国体開催がその契機になっていることも大きいようだ。1982年島根国体、1985年鳥取国体、1996年広島国体、2005年岡山国体、2011年山口国体。もちろんそれ以外の要因もあるがこれらの時期に各県がより強固にまとまり水域の力と強化育成力を向上させ多くのボートマンを育ててきたように感じる。そして各水域の伝統校。伝統と、若い力が、県と学校のプライドを胸にボートを走らせる。



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