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明けましておめでとうございます。
本年も当ブログをよろしくお願いいたします。
(2018年最初のブログは例年と違い、いまの高校ボート部紹介シリーズをそのまま連載させていただきます。また改めて2018年冒頭のごあいさつができればいいと思います。何しろ忙しくブログ更新がなかなか進みません・・・)






ボートどころ滋賀をはじめ多くの強豪校がひしめく近畿地方。特に関西ボートの中心であり聖地である琵琶湖・瀬田を持つ滋賀県や京都府は豊かなボート文化と歴史エピソードが満載のため紹介文がたいへん長くなってしまいました。記事が進むと文章量がだんだん増えてしまう私の悪い癖です(笑)。しかし考えてみれば滋賀・奈良・京都・大阪と歴史上日本の中心地だったわけで、日本の歴史、日本の文化の地層が幾重にも堆積しその地質は多地域よりもバラエティに富んでいます。歴史があるというのはより長い期間にわたって多くの人が関わってきたということ。歴史とは人が出来事や感性を記したもの。叙事と叙情。ボートにおける叙事と叙情も、水の流れという悠久の時と重力を重ねる中で豊かに記して書き残し、そして語り継いでいきたいものですね。新しき次代へと。




高校ブレード 滋賀県

滋賀県

膳所(ぜぜ)
大津市膳所に所在する県立高校で、堂々滋賀県トップの進学校。
膳所(ぜぜ)とは大津市の地名であり珍しく感じるが、由来は667年に天智天皇が都を大津へ遷したとき、当地を御厨所(厨=料理をする所)と定め、「陪膳(おもの)の浜田」と呼ばれるようになった。(おもの=天皇のめしあがりもの)それが膳所となったのは「陪膳の所」と言う意味から。その後「膳(おも)の崎」~「膳(ぜん)の前(さき)」~「膳前(ぜんぜん)」に変わり、短く「ぜぜ」になったとのこと。
滋賀県の県庁所在地大津市は、大化の改新で知られる中大兄皇子こと天智天皇が飛鳥の都から遷都した近江大津宮の地であり、奈良や京都以前のれっきとした日本の都だ。こうした古都において、日本(やまと)の歴史が息づく都の大津市瀬田川で日々船を漕ぐとは何とも趣がありRowingは時の川を往く時間と歴史の競技なのである。水運にボートあり。都のそばに、必ず重要水域、水運がある。日本が誇る最大の湖・琵琶湖は世界の湖の中でも古代湖とされ、その豊かな水はすべて瀬田川に注ぎ、宇治川、淀川と通じ大阪湾に出ずる。
ちなみに、都から近い淡水の海として琵琶湖は近淡海(ちかつあふみ、単に淡海とも。万葉集では「淡海乃海(あふみのうみ)」と記載)と呼ばれた。近淡海に対し、都から遠い淡水の海として浜名湖が遠淡海(とほつあふみ)と呼ばれ、それぞれが「近江国(おうみのくに、現在の滋賀県)」と遠江国(とおとうみのくに、現在の静岡県西部)の語源になったと言われる。歴史って面白いですね!
さて、その膳所はかつて江戸時代に膳所藩であり明治初期は膳所県だった。膳所藩の藩校・遵義堂の跡地に1898年に滋賀県第二尋常中学校として開校した旧制中学校を前身とする膳所高校は、旧制膳所中学を経て改編を繰り返し1956年県立膳所高校となる。
膳所高校では部活動の単位が班と呼ばれ、ボート班、サッカー班、ラグビー班などとなる。最近注目なのがかるた班で、学校すぐ近くにある百人一首かるたの聖地とされる近江神宮での全国大会で地元チームにして強豪とのこと。人気アニメ「ちはやふる」の世界だそうですね!
ボート班は膳所高校の歴史とともにあり創部1898年。2016年時点で男女30名ずつの部員60名ほど、大所帯だ。レベルの高い滋賀ボートの中で、1997年にインハイW2X優勝があり近年も2016年は滋賀県春季総体で男女アベック優勝を果たすなど実力急上昇中。近江Rowing、滋賀ボートはボートの聖地としてこれからも日本をリードするクラブが多数活躍してほしい。


大津(おおつ)
大津市馬場(ばんば)の県立高校。こちらもJR東海道本線の膳所駅すぐ目の前にあり、膳所高校とも近い場所にある。1902年滋賀県立大津高等女学校が創立、改編を繰り返し1956年県立大津高校となる。
先ほども詳しくふれた大津市は人口34万人、比叡山と琵琶湖に囲まれた風光明媚な都市だ。琵琶湖の主要な港湾である大津港を擁し東海道の宿場であった大津を中心に、膳所藩の城下町であった膳所、比叡山の門前町や港湾として栄えた坂本、湖上交通の拠点であった堅田、近江国庁のあったおなじみボートの聖地である瀬田などからなる。
ボート部は大変強く、1991年インハイW1X優勝、2001年は代表のA山選手を擁しやはりインハイW1X優勝。2014年インハイW2X優勝、2015年インハイW4X+準優勝と、女子の活躍を中心に全国トップを果たしている。


瀬田工(せたこう)
大津市神領(じんりょう)に所在する県立高校。通称「瀬田工(せたこう)」。
こちらはまさに近江国庁があった瀬田にあり、瀬田川の東側で、有名な瀬田の唐橋(からはし)がすぐ近くにある。瀬田の唐橋は、日本三名橋(三古橋)の一つとされ、勢多の唐橋ともいう。三古橋とは、山崎太郎(山崎橋やまさきばし、京都の淀川にかつて架かっていた)、勢多次郎(瀬田の唐橋)、宇治三郎(宇治橋、京都の宇治川に架かっている)の三つ。「急がば回れ」の諺の由来にもなっており、「武士(もののふ)の矢橋(やばせ)の船は速けれど急がば回れ瀬田の長橋」という江戸時代に詠まれた歌から、琵琶湖を早船で渡るより遠回りでも安全確実な瀬田の唐橋を通る方がよいという意味。何でも「比叡おろし」という強風が吹きつけるため舟が遅れてしまうことがあり、琵琶湖南端の瀬田を通れば日程が狂うことはないという。琵琶湖の湖面を荒らすこの比叡おろし、朝日レガッタをはじめ多くのボートを遅らせ日程を乱しますよね・・・。
1889年の明治時代まで瀬田川を渡る唯一の橋だったため交通の要衝であり、京都防衛上の重要地でもあったことから、古来より「瀬田の唐橋を制する者は天下を制す」と言われた。唐橋を舞台として繰り広げられた、壬申の乱、寿永の乱、承久の乱、建武の乱など、昔から様々な戦乱に巡り合ってきた。
歴人マガジン「瀬田の唐橋は超重要地点だった」
武田信玄は、臨終の際に「瀬田橋に、風林火山の我が旗をたてよ」と言ったといわれ、京都・奈良に通ずる唐橋が軍事上の要害として重要だったことが伺い知れるエピソードの一つとなっている。
唐橋を現在の位置に移したのは織田信長。本能寺の変と天王山の戦いでは、その信長を討った明智光秀が安土にも攻め込もうとした際に、織田家臣が唐橋と瀬田城を焼いて阻止し、光秀は3日足止めを食ったという。新しく唐橋を架け直したのは豊臣秀吉。
このように天下を狙った歴史上の多くの先人が争った要衝の瀬田の唐橋が、今もなお毎年「瀬田の大将」を決めるヘッドオブ瀬田の戦いの舞台になっているという事実は、多くのボートマンの天下人を狙うモチベーションであり続けているのではないだろうか。
さて、瀬田工情報に戻ると、1939年に開校した滋賀県立瀬田工業学校を前身とし、1955年県立瀬田工業高校に改称。
瀬田工ボート部創部は1948年5月とやはり大変な伝統校で、その5月21日に第1回校内ボートレース大会を実施したとのこと。
もちろん瀬田工は強さも折り紙付きで、インハイ通算優勝12回、準優勝11回を誇り、2017年もインハイM1X優勝。2017国体少年M2Xも瀬田工ダブルが滋賀県勢として初となる優勝だった。卒業生にも、バルセロナとアトランタ五輪代表で2000年世界選手権LM4X優勝のM本選手(日大~東レ)をはじめ名選手が多い。部員数は多いときは90名もいたそうだが、最近は30名ほどだという。


彦根東(ひこねひがし)
彦根市金亀町(こんきちょう)に所在する県立高校で、彦根藩藩校以来の200年以上の歴史を持つ。藩校としては1798年開校しているが、学校の正史としては1876年が創立年。彦根中学など多くの変遷を経て1948年県立彦根東高校となる。滋賀の県立高校としては膳所に次ぐような進学校だ。しかし文武両道であり、1894年創部の野球部は2013年、2017年と近年2度の夏の甲子園出場を果たしている。卒業生には朝まで生テレビの田原総一朗などがいる。
そしてもちろん、琵琶湖の彦根港を臨む彦根東ではボートはお家芸とされており、ボート部は野球部と同じく1894年創部、同年第1回端艇大会が行われたという。彦根東のスクールカラーは赤、野球部もボート部も赤鬼魂を持つといわれボート部OBOG会はその名も「赤鬼艇友会」だ。これは戦いの際に鎧・兜・旗など軍装を全て赤に統一し「井伊の赤備え」「井伊の赤鬼」と恐れられた徳川四天王にして彦根藩初代藩主・井伊直政にあやかったものだろう。井伊直政は幾多の合戦で大将自ら先陣を切って突撃し、赤い軍団は常に徳川の先鋒だった。猛将でありながら美男子、徳川家臣の筆頭にまで出世した。ちなみに2017年大河ドラマの「おんな城主 直虎」は直政の養母と言われる。悲運の武将・石田三成も彦根ゆかりの人物であり前領主として居城・佐和山城が彦根にあったがそれを廃城にし新たに金亀町に建てたのが名城・彦根城であり、彦根城の西に滋賀大経済学部、南に彦根東高がある。ゆるキャラ・ひこにゃんも有名だ。
この伝統の「赤鬼魂」には、「先駆者精神」、「先頭に立って活躍する」、「時代に先立って新しい分野を切り開く」、「何事にも屈しないチャレンジ精神」という意味が込められている。滋賀の赤鬼・彦根東ボート部は現在25名ほどの部員、数々の実績を積み重ねている。赤いブレードは琵琶湖の水面に燃え、勇猛果敢なクルーを鍛え上げる。
ひこにゃん ひこにゃん公式サイトより
彦根市のゆるキャラ・ひこにゃん。ゆるい!
ひこにゃん公式サイトより画像転載


八幡商業(はちまん・しょうぎょう)
近江八幡(おうみはちまん)市宇津呂町に所在する県立高校。略称は「八商」(はっしょう)。全国に多数ある八幡という地名ははちまん、やわた、やはたと読み方が多く、古いのは訓読みのほうになる。八幡宮や八幡様などのように、応神天皇の神霊『八幡神』のことを指す。あるいはその『八幡神』を祀った神社(『八幡宮』、『八幡神社』)、そしてそれを由来とした地名である。『八幡』の意味としては、『幡=旗』とされており、『八つの旗』を意味するものとされている。神功皇后が三韓征伐の時に対馬に寄った際に、八つの旗を祀ったといわれ、そこから『八幡(やはた)』という言葉が生まれた。八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)や、武家の守護神とされることも多く、日本の八百万の神の信仰は実に多様だ。ちなみに、八幡神を祀る神社の数は1万社とも2万社とも言われ、稲荷神社に次いで全国2位だそうだ。八幡信仰に分類される神社は、全国1位ともいわれる。ボート部のある学校、滋賀県は八幡(はちまん)、福岡県は八幡(やはた)。
八幡商業は1886年、滋賀県商業学校として開校、1955年県立八幡商業高校と改称された。優秀な実業家を多く輩出しており「近江商人の士官学校」とも評される。滋賀の経済発展を支えてきたわけだ。
ボート部は名門で、伝統的に女子が強く部員も女子が多い。特に90年代、高校選抜では1990年の第1回から1994年までW4+5連覇、97、98年も同じく2連覇。インハイも3回優勝しており、高校のW4+といえば八幡商業という一時代を築いた。W2X優勝もあり、90年代だけでなく現在も強豪で、多くの選手を輩出している。琵琶湖に注ぐ長命寺川(ちょうめいじがわ)の河口に艇庫があり練習している。彦根(琵琶湖の東)と瀬田(琵琶湖の南)の間に位置する。


長浜農業(ながはま・のうぎょう)
長浜市に所在する県立の農業高校。琵琶湖の北、湖北・長浜はかつて今浜という地名だったそうだが、豊臣秀吉がこの北近江の領地を授かった際、織田信長の「長」の字をとって長浜と改称したとされ、長浜城の城主となったことで知られる。この長浜は呉服や風呂敷に使われる絹織物であるちりめんの産地で知られ、長浜の浜ちりめんとして有名であり、養蚕業がたいへん盛んな土地柄となった。明治期には富国強兵策もあってこうした養蚕技術の教育のため1896年開校したのが長浜農業の前進となる滋賀県蚕糸業組合立簡易蚕業学校だ。その後滋賀県農学校となり、1955年県立長浜農業高校と改称した。
ボート部も名門で、1993年インハイでM2X優勝、1997年インハイW1X優勝などの実績がある。


高島(たかしま)
高島市今津(たかしましいまづ)に所在する県立高校。通称「高高(たかこう)」。東京の板橋区高島平にも都立高島高校があるが、1970年創立のこちらより滋賀の高島高校のほうが歴史は古い。1920年創立の県立今津中学校と、1927年創立の県立藤樹高等女学校を前身とする。1948年両校を統合し、県立高島高校となり普通科設置。ボート部、男子バレーボール部、ソフトテニス部、スキー部などがインターハイ・国体に出場している。特進クラスのBクラス、就職クラスのAクラスに分かれており特進のBは立命館や関学などに進学している。
前回記事で紹介した琵琶湖周航の歌に関りが深い。1916年旧制第三高等学校(現・京大)に入学した諏訪中学(現・諏訪清陵)出身の小口太郎(おぐちたろう)は水上部(ボート部)に入部したが2年の時、京大ボート部創部1892年の翌年から行われている琵琶湖周航という遠漕に参加していた。琵琶湖周航は漕手6人舵手1人のフィックスで大津市三保が崎の艇庫をスタートし時計回りに琵琶湖を一周、3泊ないし4泊の旅程で行うものだった。年によって異なるが、この年は雄松(大津市)~今津~彦根~長命寺に宿泊する行程で、高島市今津の宿で小口太郎が「今日ボートを漕ぎながらこんな歌を作った」と仲間に披露したのが始まりとされる。彼が京大19歳のときである。
周航歌の1番には「われは湖(うみ)の子 さすらいの 旅にしあれば しみじみと 昇る狭霧(さぎり)や さざなみの 志賀の都よ いざさらば」とあり、ボート漕ぎに共有する孤独と水に浮かぶ旅情、旅立ちの決意や艇友精神が歌われる。かつて滋賀は志賀ともよばれ滋賀県の由来ともいわれている。また3番には「今日は今津か、長浜か」という有名なフレーズ。琵琶湖ご当地の地名が歌われ、まさに高島の今津港を歌っている。そして最後の6番、「西国十番 長命寺 汚(けが)れの現世(うつしよ) 遠く去りて 黄金(こがね)の波に いざ漕(こ)がん 語れ我が友 熱き心」とあり、京大ボート部ブログ「語れ我が友」はここから来ていることが分かりますね!
琵琶湖周航の歌
琵琶湖周航の歌 加藤登紀子バージョン
京都新聞2012年記事「琵琶湖周航の歌」周航のルートが記載
2017年は琵琶湖周航の歌誕生の100周年ということで、嘉田由紀子前滋賀県知事を実行委員長とする「なぞり周航」のイベントが行われ盛況だった。

さて、高島高校ボート部は近年インハイ連続出場している。2008年埼玉インハイ、M1Xでは小松明峰Y原選手が優勝、阿賀黎明S崎選手が準優勝、そして高島のS嶋選手が3位に入りレベルが高かった。2014年インハイM4X+準優勝、2015年インハイM1X3位、やはり滋賀の強豪として全国的な強さを見せており、湖国・滋賀に勇名を馳せている。
琵琶湖周航(なぞり周航)マップ
2017琵琶湖周航100周年 なぞり周航マップ
京大ボート部濃青会による発起で盛大なイベントとなり、琵琶湖周航の歌碑巡りと当時の周航ルートを現代バージョンとして辿った琵琶湖のマップ。琵琶湖周航の歌100周年サイトを参考に、Mapfanwebの滋賀県地図を利用して作成させていただきました。






高校ブレード 京都府
京都府

伏見工業(ふしみ・こうぎょう)
京都府京都市伏見区深草に所在する市立の工業高校。通称「伏工(ふしこう)」。しかし現在、2016年に新設された京都工学院高校へと統合の移行中だ。最後の高3生がこの3月で卒業となる。
1920年京都市立工業学校の分教場として設立し、1948年市立伏見工業高校と改称。翌年市立伏見高校に再編されるも、1963年再び市立伏見工業高校となる。2016年、市立洛陽工業高校と統合、京都市立京都工学院高校を新設。伏見工業は全日制の募集を停止。全日制の新1年は京都工学院に入学し、伏見工業は2年生と3年生(この校名での最後の卒業者)のみとなり、2018年度から伏見工業は定時制専門となる。(学校名未定)
ボート部も京都工学院に引き継がれるようだが、今現在、まだ伏見工業ボート部としても活動しているようだ。京都工学院にボート部が引き継がれても、伏見工業ボート部の栄光が色褪せることはない。
伏見工業は、山口良治監督率いるラグビー部が全国的な強豪、前回記事でもふれたように「スクール☆ウォーズ」のモデルとなった高校としてあまりにも有名で、ラグビー界のスターで「ミスター・ラグビー」と呼ばれ日本代表監督も務めた平尾誠二や、彼の1つ先輩で同じ同志社に進み3年連続日本一と数々の実績をもちテレビタレントや現在伏見工業ラグビー部OB会長も務める大八木淳史など、多くの名選手を輩出。
しかし、伏工ラグビー部には山口先生がいるが、伏工ボート部にはF井先生がいる。1990年代世界ジュニアへのチャレンジでジュニア代表の強化における中心だった先生で2001年からの高校総スカル化実現にも関わり、近年高体連ボート専門部の部長も務められるなど、まさに全国の高校ボートを牽引してこられたリーダーの一人だ。
伏工ボート部艇庫は、大津市御殿浜(ごてんはま)付近にある。隣には膳所高、滋賀大などの艇庫があり、琵琶湖から瀬田川へと流れるいわゆる瀬田の水域は古くから各ボート部チームの集まった関西ボートの中心地と呼べる艇庫群を形成している。関東の戸田、関西の瀬田と称している所以だ。
瀬田周辺 艇庫マップ(体育館含む)800×800
瀬田・琵琶湖周辺の艇庫マップ。Googleマップを使って作成させていただきました。広大な琵琶湖にはさらに滋賀県各ボート部の艇庫が各所に存在します。(スマホでご覧の方は、画像を指でタップして選んでから広げていただくと拡大して見ることができます)

伏見工業ボート部の創部は1947年、2017年には創部70周年を迎えた。もちろん強豪で、高校選抜ではM1Xで1992年、1998年、2017年の優勝をはじめインハイやその他トップレベルの実績ばかりで名選手を多く輩出している。この2017年選抜優勝と国体M1X優勝したT山選手はジュニア代表となり伏工最後の代表選手。今後期待の新星だ。
伏見工業ボート部2014
 

京都工学院(きょうと・こうがくいん)
伏見工業で紹介したように、伏見工業と洛陽工業が統合し2016年開校の新設校。京都市伏見区深草に所在する市立の工業高校で、立命館中学・高校の跡地を利用している。ラグビー部も伏見工業・京都工学院の合同チームで活動しているが、ボート部も同じく伏工・洛陽工業・工学院の3チーム合同で活動しているようで、顧問には気鋭のK谷先生が就任しておりすぐに全国トップのチームになるだろう。K谷先生は伏見工業出身でF井先生の教え子、N体大~T紡織と進み元日本代表選手でロンドン五輪LM4-最終予選に挑んだ名選手。
伏見工業の伝統とブレード、そして同じく統合する洛陽工業の熱き魂を受け継ぎ、ボートの楽しさを琵琶湖と瀬田の水上で精一杯表現する素晴らしいクラブになってほしい。美しい琵琶湖を疾走するクォド。この感動的なPVを見れば誰でも京都工学院ボート部に入りたくなる!
2016 京都工学院 ボート部PV
伏見工業のオフィシャルブログを受け継ぎ京都工学院へ。
伏見工業 京都工学院 ボート部オフィシャルブログ 


洛陽工業(らくよう・こうぎょう)
京都市南区に所在する市立の工業高校。1886年に創立し、ウェブサイト情報によると全国の公立工業高等学校の中でもっとも歴史ある学校と紹介されている。1935年に現在地に校舎を新築移転してから、未だにその校舎が現役で使われているという。
1886年、前身の京都染工講習所が創立、1919年京都市立工業学校と改称。1948年、洛陽高等学校となり普通・商業・工業の3科を置くが、1963年市立洛陽工業高校と改称する。
そして2016年、伏見工業とともに統合し京都工学院高校へ移行するべく募集停止。
ボート部もしっかりと活動し伏工とともに京都のボートを盛り上げていたが近年は部員減だったようす。赤いブレードの精神が京都工学院にも息づくように。


朱雀(すざく)
京都市中京区(なかぎょうく)西ノ京式部町にある府立高校。1904年京都府立第二高等女学校として発足、1948年学制改革により京都府立朱雀高校となる。朱雀高校は二条城の西隣にある。
桓武天皇が平安京を建都した際、京の都は碁盤の目といわれる南北と東西が直交する街路を特徴として建設され現在にもそうした特徴は多く残っている。(京の都は何度も戦乱で焼失したり栄枯盛衰を重ねており、再建を繰り返しているが)
東西の通りは北から一条、二条、三条など九条まで大路(おおじ)があり、そのほかにも東西と南北を通る多くの大路と小路(こうじ)がある。平安時代には南正面の正門である羅城門より入り真ん中を南北に通る最も大きな朱雀大路(すざくおおじ)がありこの通りは何と幅が85mあったという。この朱雀大路を抜けると、天皇御所である都の中心部、大内裏(だいだいり)の玄関である朱雀門に至る。この朱雀門は朱雀大路と二条通(にじょうどおり)の交差する位置にあったが、その後この大内裏の跡地あたりに徳川家康によって現在の位置に二条城が建てられる。その西にある千本通(せんぼんどおり)がかつての朱雀大路であり朱雀高校もその通りから入ってすぐの場所だ。朱雀門、朱雀大路が高校名の由来と考えられる。ちなみに朱雀は四神の一つで南方の神、東の青龍、北の玄武、西の白虎がある。
朱雀高校ボート部は本拠地琵琶湖で行われた2006年インハイでW4X+優勝と2009年インハイでW2X優勝とがあり、ホームの水域で大変強いところを見せている。また近年もジュニア代表のS方選手を出しており京都のボート強豪校として大きな存在感を与えている。


堀川(ほりかわ)
京都市中京区東堀川通錦小路上る四坊堀川町に所在する市立高校。朱雀高校から比較的近く四条通と堀川通が交差するあたりだ。ちなみに京都市の町名にはこのような「○○町◇小路上る、▲道東入」などの複雑で長い住所がたくさんあり、それだけ道や区分けが入り組んでいて細かいようだ。
1908年京都市立高等女学校として設立、1928年堀川高等女学校になり、1948年堀川高校に改称し普通科・商業科・家庭科・音楽科を設置する。音楽科は1997年京都市立音楽高等学校(現・京都市立京都堀川音楽高等学校)として独立。
堀川高校はユニークな人間探究科・自然探究科で知られる。1999年の校舎建て替えと同時にこの「探究科」が設立されると探究科1期生が卒業した2002年、国公立大学への現役合格者数を何と前年の6人から106人に増やし、「堀川の奇跡」として注目された。以降、日本各地に「探究科」をモデルとした類似の学科が置かれるようになった。2000年代半ばから2010年代前半にかけては、探究科定員160名に対し、毎年50名から70名弱が京都大学や東京大学等に進学しており、堀川高校は普通科も進学校だが、探究科のほうは京都の公立高校では堂々トップ校となる。
探究科およびその後身の学科では単純に私立の特進科のように進学指導に力を入れただけでなく、大学の学習、学問の探究に続く学問のやり方、探究の仕方を教育した。そのため、卒業生はその後も好成績を残し、京大の教授をはじめ各界から高い評価を得ている。私もこんな学校に入ってみたい。
さて、そんな進学実績を伸ばした堀川高校ボート部は1946年創部だったが2000年度に部員がいなくなり休部に陥る。長年の休部状態から2015年にめでたく復活を果たし、部員も現在15名と順調だ。1959年にはインハイ優勝もあったといい、再び全国制覇をめざし琵琶湖へ漕ぎ出す。
京都新聞記事「京都・堀川高ボート部、16年ぶり復活 かつて全国Vも」


宮津(みやづ)
宮津市に所在する府立高校。1906年府立第四中学校と、与謝郡に謝郡立高等女学校が設立され、府立宮津中学校などを経て1948年2校を統合し、さらに宮津実業と合併し現在の府立宮津高校が発足。
京都府は南東に縦長の形をしており、旧国名でいうと京都市の山城、亀岡市・南丹市・綾部市・福知山市などの丹波、そして日本海の若狭湾に面する宮津市・舞鶴市・京丹後市などの丹後だ。リアス式海岸の若狭湾は古来より良港で魚介類の水揚げを京に送る鯖街道は有名。
福井県から続く若狭湾は美しい観光名所が多く国定公園に指定されているが、宮津市も風光明媚であり日本三景の一つ天橋立(あまのはしだて)があることで知られる。天橋立は一般道がなく、陸続きとはいえ実質宮津市は南北に海を挟んで飛び地になっている全国でも珍しい市だ。宮津高校ボート部は、天橋立にほど近く宮津市役所や中心市街あたりにある宮津港の海の水域で練習しているとのこと。ちなみに日本三景といえば松島(宮城県)、天橋立(京都府)、宮島(広島県)だが、いずれも水の風景でありしかもすべてボートに関係している場所といえる。松島ではかつて東北大がフィックス遠漕をしており、天橋立は宮津高校が練習、安芸の宮島では廿日市高校や宮島工業が練習をしている。水のある美しい風景にはやはり晴れた日の元気なRowingや夕日を背にボートを漕ぐ影が似合う。
天橋立 Wikipedia
日本三景の一つ、天橋立(京都府・宮津市) Wikipediaより画像転載


海洋(かいよう)
宮津市の公立高校。今年創立120年を迎える伝統があり、京都府で唯一の水産高校。府内全域から出願可能。1898年京都府水産講習所として設立し、1948年京都府立水産高校となり、1989年の平成元年、現在の京都府立海洋高等学校へ改称。ちなみに、新潟県と茨城県にも県立海洋高校がある。ほかにも、高知海洋、宮崎海洋、神奈川県立海洋科学高校など似た名前の高校は多いので混同に注意。
海洋高校ボート部はやはり宮津港で練習し、府内上位、全国にも入賞クルーを出すなどしっかりと実績を残している。下のPVでは美しい宮津の海の風景と元気な部員たちの素顔が見られる。
京都海洋ボート部


東舞鶴(ひがしまいづる)
舞鶴市字泉源寺に所在する府立高校。また、同市内に浮島分校(定時制普通科)がある。1940年東舞鶴中学校と東舞鶴高等女学校が開校し、1948年それぞれ東舞鶴高等学校と東舞鶴女子高等学校になり、同年12月統合し府立東舞鶴高校となる。通称は「東舞」(とうまい)。舞鶴市内では「東高」(ひがしこう)と呼ばれることが多い。
東舞鶴ボート部は1983年に同好会として発足し、翌年部に昇格。創部当初は市役所後ろの自転車小屋に2艇を置き、自衛艦も出入りする湾で練習していたが、88年の京都国体への出場に向け、市の協力で艇庫をいまの浜の漕艇センターに置き、同センター前の海域に練習場所を移した。十分な環境が整えられ、「一漕入魂」を部の方針に練習に励み、インハイや国体など常連の出場校となり、2013年インハイM4X+6位など数多くの入賞を果たした。
東舞鶴高校ボート部紹介のテレビ番組
東舞ボート部2016勧誘ビデオ






高校ブレード 大阪府
大阪府

清風(せいふう)
清風中学校・高等学校は大阪市天王寺区石ヶ辻町にある私立の併設型中高一貫校で男子校。高野山真言宗大僧正である平岡宕峯により1932年創立した大阪電気学校の堺分校が前身。1948年に高校普通科と中学校を併設し浅香山高校となるが、1949年当時の大阪府知事赤間文三により、幕末の長州藩の藩政改革者村田清風にちなんで「清風」と名づけられた。
真言宗の教えをベースに毎日朝礼で般若心経の読経を行ったり期末考査では必ず「宗教」の試験が行われる。全国有数の厳しい校則もありかなり厳格な校風。3月下旬に清風学園から高野山までの100km歩行や7月下旬の富士登山など、歩行行事もたくさんある。進学実績は高く、京大、阪大、神戸大など毎年25名強ずつ合格を出し関関同立は700人前後が合格するとのこと。
清風ボート部はたいへん名門。部の目標は全国優勝、部員それぞれの目標は限界に挑戦し、自らを大きく成長させることと明記されている。清風高校からは約3kmの大阪城までランニングしたり、通天閣もやはり3kmほどと大阪の中心地区に位置しているが、以前の練習場所は電車で6駅ほどの都島区桜ノ宮の大川だったが、現在はその5倍ほど遠い高石市の浜寺(大阪府立漕艇センター)で練習をしているとのこと。都内から戸田もなかなかたいへんだったりするが、全国で練習水域までの通いやアクセスがたいへんなチームはかなり多いだろう。
実績は以前から何度も全国で活躍しているが近年も2013年M4X+で全国選抜準優勝とインハイ準優勝、2014年M1Xで全国選抜準優勝とインハイ3位、そして2015年インハイM4X+優勝。2017年もインハイM1X準優勝で常に全国上位を争い、ジュニア代表選手も出したりしている。また、清風中学もボート部があり、1997年大阪国体への強化育成を目的に1994年創部、全国屈指の強豪中学でありまさにボートの中高一貫教育を実現している。また多くの大学でボートを続ける選手が増えているのも見逃せないだろう。
2015年インターハイM4X+決勝動画
2017清風高校ボート部


桜宮(さくらのみや)
大阪市都島区(みやこじまく)にある市立高校。JR大阪環状線の駅名は「桜ノ宮」だが、ボートの練習場となっている淀川支流の大川にある「桜之宮公園」に「桜の宮共同艇庫」があり、大阪市大の艇庫もある。そして大川にかかる橋が「桜宮橋」、高校も「桜宮高校」ですべて「さくらのみや」と読む。表記がまるで統一されていないが、日本語とは訓読みさえ合っていれば漢字は多少当て字でもよいものなのであまり気にする必要もないだろう(訓読みさえ崩れていくが)。この桜宮の地名、毛馬(けま)桜之宮公園の近くにある桜宮神社に由来すると思われ、大川の両岸は桜の名所になっている。特に西岸の造幣局にある桜の通り抜けが有名。
桜宮高校は1916年、北区実科女学校として開校し、1948年学制改革により、大阪市立桜宮高校に改称する。1980年大阪の公立高校で初めてとなる体育科を設置し、スポーツにも力を入れ1999年にスポーツ健康科学科を設置。2014年人間スポーツ科学科を新設し再スタートした。
桜宮高校ボート部は今勢いがあり、年々強豪校として存在を確たるものにしている。大学でも続ける選手が多く、NTT東日本には桜宮~中央大の選手が2人もいるほか、多くの選手が活躍。2016年宮城県長沼での全日本新人においては桜宮M2Xが見事優勝、このほか女子も強い。
桜之宮公園 Wikipedia
桜之宮公園より、大川の桜 Wikipediaより


高石(たかいし)
高石市にある府立高校。関西大学や大阪市立大学との高大連携を実施し、大学教員による出張授業や大学見学会などを実施している。1977年、府立高石高校として開校。
大阪府高石市は旧国名では和泉国の北部に当たり、泉北地域と呼ばれる。北と東は堺市、南は和泉市と泉大津市に隣接。高石には天女が舞い降りて水浴びをしている間に羽衣を隠されてしまい天に帰ることができなくなったという羽衣の天女伝説がある。ちなみにこの羽衣伝説、静岡市清水区の三保の松原、滋賀県長浜市ほか日本各地で言い伝えが残り、天女は白鳥などさまざまな譬えとされている。浜寺のボートコース(大阪府立漕艇センター)の向かい東岸に、羽衣公園や羽衣駅などの地名として残っている。また、高石は奈良東大寺の大仏建立で知られる僧・行基生誕の地でもあるそうだ。
西半分は堺泉北臨海工業地帯の埋立地である工業都市高石、この埋立地に囲まれた大阪湾の水路である海のコース浜寺は、高石高校、清風高校、大阪府大、浜寺ローイングクラブなどが練習しており関西選手権も行われる。荒波の中で鍛えた高石ボート部は2015年インハイW2X6位、2017年全国選抜W4X+6位になるなど全国上位をめざし日々奮闘中。






高校ブレード 奈良県
奈良県

十津川(とつかわ)
奈良県吉野郡十津川村込之上(とつかわむら・こみのうえ)に所在する県立高校。十津川村は日本で最も面積が大きい村として知られ、十津川村の面積672㎢は、東京23区全体を足した面積(619㎢)よりも広い。だが、十津川高校は奈良県で最も小規模な高校でもあり全校生徒が約100名、そして奈良県の最南端に位置し和歌山との県境を越えると田辺市や新宮市も近く、和歌山からの生徒もいる。連携型中高一貫校でもある。1864年、孝明天皇の勅命により「文武館」として開設されたのを発祥とし、1948年県立十津川高校となり男女共学化。十津川剣道の土地柄もあり剣道部は強豪、またボート部は奈良県に唯一のチームであり、もちろん毎年インハイに出場。材木の生産と筏(いかだ)下りで有名な熊野川が流れ、この熊野川は十津川村では地名でもある「十津川」と呼ばれる。この十津川に二津野(ふたつの)ダムがあり十津川高ボート部が練習をする。






高校ブレード 和歌山県
和歌山県

桐蔭(とういん)
和歌山県立桐蔭中学校・高等学校は、和歌山市吹上に所在する県立の併設型中高一貫校。旧制和歌山中学と旧制和歌山高等女学校からの伝統を引き継ぐ。旧制中学時代は野球の強豪校で、和歌山に最初に野球が伝わった学校とされ、1921年、22年に夏の甲子園で史上初となる2連覇を成し遂げている。1879年県立和歌山中学として開校、1948年県立桐蔭高校となり、2007年桐蔭中学を設置し中高一貫校となる。神奈川県横浜市青葉区の超マンモス校で知られる私立の桐蔭学園中学校・高校は設立が1964年であり特に関係はなさそうだ。同じく大阪府大東市の大阪桐蔭中学・高校も設立1983年と新しく特に関係はない。いずれも甲子園を沸かせる野球の強豪校だが。
和歌山の桐蔭高校は和歌山の県立でトップの進学校であり、京大、神戸大、阪大をはじめ毎年国公立大に200名以上の合格者を出しており、旧制和歌山中学からの卒業生には南方熊楠など錚々たる学者、政治家、芸術家、プロ野球選手が並ぶ。
ボート部の創部も明治31年の1898年とたいへん歴史があり、全国準優勝の実績があると記録にはある。近年でもインハイは出ていたが、この秋、ブロックごとの選出となるレベルの高い近畿選抜大会でW2X準優勝、M1X3位となり見事今度の全国選抜にコマを進めた。桐蔭旋風を巻き起こしてほしい。


和歌山北(わかやまきた)
和歌山市市小路(いちしょうじ)に位置する県立高校。通称は「北高」(きたこう)。文書では「和北」(わきた)と表記されることもある。1963年に旧和歌山工業高等学校東校舎の一部を使用する形で開校。1964年に和歌山市市小路に移転して、2012年に和歌山西と統合し校章変更された。県内唯一にして全国2番目に設置された体育科があり、和歌山県高等学校体育連盟の事務局が置かれている。とはいえ普通科の生徒が8割を占めるがスポーツ強豪校としての環境や設備が整っており、体育館は多層構造、1階部分が剣道場・柔道場、2階部分がいわゆる体育館となる。プールにはエアードームが設置され天候に左右されず、県内の高校としては珍しく飛び込み用プールも設置されている。
女子フェンシング部、レスリング部、体操競技部などをはじめ有名で、2012年夏季のロンドンオリンピックには5人の選手を選出した。田中和仁・田中理恵・田中佑典の田中三兄弟(体操)、西岡詩穂(女子フェンシング)・九鬼巧(陸上)、2016年夏季のリオデジャネイロオリンピックにも3人の選手を輩出(三口智也・西岡詩穂・田中佑典)した。
和歌山北ボート部は和歌山市を流れる一級河川の紀ノ川(きのかわ。紀の川とも書く)でトレーニングに励み、これまでトップスカラーを輩出している。2006年国体少年M1X優勝のT中選手、2008年国体少年W1X優勝のY野選手だ。T中選手は早稲田大に進み2009年チェコで開催された世界U23ボート選手権LM4-銀のストローク。Y野選手も高校ラストシーズンでスキーの近畿大会優勝とボートの国体優勝で冬も夏も女王に輝き、立教大ではW4X+主戦で活躍、2人とも大学卒業後は地元に戻り教員となってからも地元の2015年和歌山国体(ボート競技は琵琶湖で開催)でそれぞれ成年M4+準優勝、成年W2X3位となりお互い和歌山のストロークとしてエースの働きを見せた。ぜひボート現場に携わり、これからの和歌山ボートを背負う人材を育てていただきたいです。そして、2人を始め和歌山北で多くの選手を育てたK先生が和歌山県ボート協会の理事長となっており、紀ノ川では和歌山北、桐蔭、ジュニア世代も育成する和歌山ローイングクラブをはじめ和歌山のボートを盛り上げてゆく。
わかやま新報記事「ボート中学女子5人が初優勝」
わかやま新報記事「初春の紀の川に出航 県ボート協会初漕ぎ会」


田辺(たなべ)
和歌山県立田辺中学校・高等学校は、田辺市学園にある県立の併設型中高一貫校。田辺高校は地元では「田高」(でんこう)と呼ばれている。1948年に田辺中学、田辺高等女学校、田辺商業、田辺高等家政女学校の旧制4校を母体とする形で県立田辺高校が創立。2006年併設の中学校が開校し、中高一貫校に。卒業生には第46代総理大臣の片山哲などがいる。田辺は武蔵坊弁慶のふるさとともいわれており弁慶まつりなども行われる。合気道の開祖である植芝盛平と、和歌山市出身だが多くを田辺で過ごした南方熊楠、そしてこの弁慶という田辺ゆかりの三人を「田辺の三奇人」と呼んでいるとのこと。
田辺市は和歌山県の中南部に位置し、熊野三山の一つ熊野本宮大社がある。奈良県に接し紀伊山地の部分もあるが海にも接し田辺湾を臨む。田辺市中心市街はこの海沿いにあり南紀白浜も近い位置。田辺高校も海の近く、ボート部は田辺湾の扇ヶ浜(おうぎがはま)で練習しており文里港(もりこう)に艇庫がある。ボート部創部は1899年のようで、紀州の和歌山ボートは、紀北の和歌山北と紀南(南紀)の田辺でよきライバル関係を演じ、紀北では桐蔭も盛り返してきている状況だ。
田辺高校ボート部総体応援ビデオ2015






高校ブレード 兵庫県
兵庫県

神戸(こうべ)
神戸高校は、兵庫県神戸市灘区城の下通(しろのしたどおり)一丁目にある県立高校。略称は「神高」(じんこう)、「神戸」(こうべ)など。1896年兵庫県神戸尋常中学校として開校、兵庫県下では2番目の開校。1907年に兵庫県立第一神戸中学校」に改称し、「一中」「神戸一中」と通称されるようになる。戦後、第一神戸高校を経て、また第一神戸女子高校と統合し1948年に男女共学の県立神戸高校となる。
神戸一中時代には独特のカーキ色の学生服がエリートの証として他の学生たちから羨望の的だったという。「カーキ色」は土埃(つちぼこり)色の意味で主に軍服に用いられる茶系色だが、神戸一中のはオレンジに近い色をカーキ色と呼んでおり伝統のスクールカラーにもみなされているようで、ボート部のブレードもオレンジに近い山吹色が採用されている。
戦前は全国屈指の進学実績を誇りスポーツもたいへん強かったが、戦後の学制改革により優秀な生徒が近隣の私立灘高校に流出していくと西日本ナンバーワンの進学校の座をとって代わられ、90年代には低迷と言われてしまう。しかし全国の多くの公立高校と同じく2000年代からの公立高校による進学指導のてこ入れ、理学科など新たな学科設置、スーパーサイエンスハイスクールの指定などにより実績を盛り返し、関西三大難関国立大学の京大・阪大・神戸大の合格者数は兵庫県公立トップに返り咲いている。
文武両道を貫く神戸高校だが、サッカー部は古くから名門で、全国高校選手権優勝7回は現在でも全国1位の実績。野球も全国優勝があり、合唱部なども強い。
神戸高校ボート部は、神戸一中海洋班の流れを汲み、創部年は正確には把握できなかったが1899年か1900年頃。1900年に第一回端艇競漕会が行われたとある。かつては全国制覇で名を馳せ、大勢の部員を抱える時期もあったとのこと。練習場所は東灘区の神戸港湾部にあり埋立地の間を縫うように通る魚崎運河(うおざきうんが)。近年、OB会「鵬漕会」の方たちが歴史ある神戸高校ボート部を盛り上げようと精力的に支援を展開している。



神戸科学技術(こうべ・かがくぎじゅつ)
神戸市立科学技術高等学校は、神戸市中央区脇浜町に所在する市立の新総合型工業高校。「科技高(かぎこう)」と略されることが多いが、全国に複数存在する科学技術高校のほとんどが「科技高」と呼ばれるので注意が必要。全国大会などでは混同を避けるため便宜的に「神戸科技(高)」などと略される。全校生徒は約1,200名。2004年に市立神戸工業高校と市立御影工業高校とが統合して新設され、2006年4月に1~3学年までの全学年がそろった。校舎は市立神戸工科高校と併用している。甲南大学、立命館大学と高大連携が進んでおり、インターンシップも活発である。
部活動が盛んで、多くの運動部が県の高い水準にあり近畿・全国大会などでも活躍。サッカーの全国大会では「神戸科学技術」のチーム名で出場した。2009年インターハイではサッカー部がベスト8に入った。
ボート部は詳しい資料はなかったが前身の神戸工業時代から創部50年を超える歴史があるようで、神戸科技高となってからもしっかり活動している。以前は芦屋市の芦屋浜コースで練習していたようだが、中央区からは東灘区の魚崎のほうが近い。しかし科技高ボート部の乗艇練習は、週末や連休の加古川漕艇センターで行っているようす。ちなみに神戸から加古川まではたっぷり30kmくらいあるので、引率の先生がたいへん熱心だ。


東灘(ひがしなだ)
神戸市東灘区深江浜町に所在する県立高校。1974年神戸甲北高校として開校、1976年県立東灘高校となる。ボート部の情報は少なかったが、東灘区の魚崎運河で神戸高校と合同練習をしたり神戸ボートクラブと練習をするなど活動している。部員は2016年の時点で4名ほどのようだが、ぜひ神戸市の高校ボートももっと盛り上がってほしい。


六甲アイランド(ろっこうアイランド)
神戸市東灘区向洋町中四丁目に所在する市立高校。1998年に市立赤塚山高校と市立神戸商業高校が統合してできたのが神戸市立六甲アイランド高校。ボート部は2000年創部のようだが、2014年の兵庫県インハイ予選をもって当時高3部員が引退しボート部も14年間の歴史に幕を閉じるとある。たいへん残念なので、ぜひ機会があればまた復活してほしい。


加古川西(かこがわにし)
加古川市にある全日制・普通科の公立高等学校。通称は「加古西(かこにし)」、「西高」。1912年加古郡立高等女学校として開校し、1948年県立加古川西高等学校と改称。加古川市内では加古川東がたいへん進学校だが、加古川西もそれに次ぐ進学実績を出しており国公立大に約130名、関関同立へ約250名、産近甲龍へ約160名が合格している(2012年、Wikipedia情報)。
加古川といえば神戸市の西30kmほどの兵庫県南部にあり、関西の大学ボート部にはおなじみ毎年500名の選手規模で盛大に行われる加古川レガッタ(関西学生秋季選手権)が有名な加古川市立漕艇センターがあるが(1000m5レーン)、このコースを本拠地としているチームはこの加古川西だけのようだ。2016年時点で男女合計40名の部員数と、かなり大所帯であり、強豪ひしめく兵庫県の中でたびたび全国に出場し、大きなクラブになる可能性を秘めている。


香住(かすみ)
兵庫県美方郡香美町(みかたぐん・かみちょう)にある県立高校。香美町は兵庫県北部の町で日本海に面し、旧国名でいえば但馬の国に当たる。東に豊岡市と接しており、豊岡といえば城崎温泉とともに円山川城崎ボートコースで有名だが、こちらには円山川城崎RCや城崎中学にボート部がありジュニア強化には力を入れているが、ボート部があった地元の豊岡高校や豊岡総合高校にはどうやら休部が長いようで、今回の紹介からは外させていただきました。ぜひ復活を願います。
香住高校は1946年県立香住水産学校として開校し、1952年県立香住高校と改称する。普通科と海洋科学科が設置されており、水産高校としての歴史が長い。海洋科学科には、オーシャンコース(旧・漁業科に相当)、アクアアニマルコース(水族館の飼育係や潜水士を育成)、シーフードコース(旧・水産加工科に相当)、シーフードビジネスコース(海洋関係の商業)という4つのコースを設置。部活動も盛んで、多くの部活があるがボート部は過去には全国大会出場があるという。2016年時点で男子部員のみだが22名と、かなり部員数は多い。円山川城崎で週末練習を行ったり合同でボート交流を深め、兵庫北部のボート力アップにともに大きな力となっている。


洲本(すもと)
淡路島にある洲本市上物部二丁目に所在する県立高校。淡路島で最も歴史のある高校であり、兵庫県下でも5番目に古い伝統校。略称は「洲高」(すこう)。かつては島内に3つの分校があった。

ちなみに分校(ぶんこう)が今回の高校紹介でたびたび出てくるが、学校において本校と分離して設けられる教育施設のこと。かつては、分教場(ぶんきょうじょう)と称されたこともある。分校は一般的に、小・中・高校などで交通機関が不便な地域や離島等通学が困難な遠隔地に設置されるものが多いが、病院内に病弱者を対象とするもの(院内学級)、刑務所で受刑者を対象とするもの(塀の中の中学校など)、冬季など季節を限定して設置されるもの、児童や生徒の数が多すぎて本校だけでは賄いきれないために設置されるもの等がある。高校や大学や専門学校などで異なる学部や課程ごとに設置されるものもあるが、大学では昨今「○○キャンパス」と呼ばれることが多く、高校でも「○○校舎」と呼ぶケースが増加している。幼稚園や保育所では分園(ぶんえん)ともいう。
分校の規模は原則、小学校では5学級以下、中学校では2学級以下と規定されている。分校の設置者は概ね本校と同じ場合が多いが福岡県立高校の町立分校のように設置者が異なるケースも見られる。分校であってもクラブ活動は本校から独立して行われており、和歌山県立日高高等学校中津分校が第69回選抜高等学校野球大会に出たというような例もあるが、昨今は分校運動部の部員数僅少により、本校と連合チームを組むことも珍しくない。

今回の高校紹介、学校の歴史についてWikipedia等で沿革を参考にしているが、多くは省略しているがほとんどの高校は統合や地域によって分校設置や廃止、学科の新設や廃止、移転や名称変更を繰り返している。
学校運営も人間が行うもの。人口流入流出の動態、あるいは地域の需要や国の教育政策により、時に増やし時に減らし時代に応じて変化し対応していく。しかしその中で変わらない精神や学校が歴史を受け継ぐ組織としての文化を大切にし、できるだけ長い間継続し多くの卒業生の心の拠り所や交流のための絆であってほしい。栄枯盛衰は世の常とはいえ、学校という文化的組織は簡単にスクラップ&ビルドをすべき対象ではないと感じる。

さて、洲本高校は1897年兵庫県洲本尋常中学校として開校し、洲本中学校に改称などを経て1948年県立淡路高等学校と統合し県立洲本高校となる。
1953年には野球の高校選抜大会で全国優勝し、これは沖縄県を除くと離島では唯一の高校野球優勝校だという。洲本高校の卒業生には、歌謡曲・演歌・アイドル曲・アニメ曲・CMソングなど5000曲以上の作詞をした名作詞家の阿久悠や、ゲーム「ドラゴンクエスト」シリーズの制作者堀井雄二などがいる。二人とも淡路島出身。
洲本高校ボート部は100年以上の伝統を持ち、誇りを持って活動している。練習メニューを選手が考え自主性を大切にしているとのこと。洲本市の白砂青松(はくしゃせいしょう)の景勝地で知られる大浜海岸の端に艇庫がありその近辺で練習に励んでいる。ナックルフォアがあった時代は全国トップクラスで、その後も1995年には全国選抜W4+で優勝し八幡商業の連覇を止めている。現在も部員40名ほどとかなりの規模、大学トップレベルで続けるような良い選手をしっかりと育てている。


洲本実業(すもと・じつぎょう)
洲本市宇山二丁目に位置する県立高校。通称は「実高」(じっこう)・「洲実」(すじつ)。淡路島で唯一の工業系の学科を持つ高校。1929年洲本町立商業学校として開校、いくつかの変遷を経て1949年に洲本商業と洲本工業を統合し、県立洲本実業高校となる。校風はたいへん厳しく生徒指導が徹底しており、同じ市内の洲本高校がたいへん自由な校風とは対照的とのこと。また、洲本実業の校舎は柳学園ともすぐ近くにあり、両校ボート部はお互い近くの市内中心を流れる洲本川で練習している。毎年洲本川レガッタが開催され、洲本市三校の関係者や家族のほか一般市民も多く参加している市民レガッタがある。洲本実業は2001年インハイM1X優勝しており、21世紀最初のインハイM1Xチャンピオンは洲本実業だった。


柳学園(やなぎがくえん)
洲本市下加茂に所在する私立の中高一貫校(併設型)。淡路島で唯一の私立高校。1913年柳裁縫女学校として開校し1960年柳学園中学校・高校となる。そして2000年代少子化や教育改革の高校再編の波の中、柳学園も学校法人はそのままに2018年、「蒼開(そうかい)中学校・高等学校」として校名変更し新たなスタートを切る。
ボートの名門・柳学園はこれまでインハイ優勝4回、国体優勝4回、世界ジュニア代表選出など数々の実績を誇り、毎年全国上位の常連という印象を与えている。1993年にはインハイM4+優勝がある。洲本川にある柳学園艇庫はグリーンバースというそうで、設備も充実。90年代世界ジュニア代表選手団を率い高校ボートに長年貢献されているY崎先生が柳学園ボート部を育ててきた。蒼開ボート部となってからもまた多くの歴史を創るか。


相生産業(あいおい・さんぎょう)
相生市千尋町(あいおいし・ちひろちょう)にある県立高等学校。通称は「相産(あいさん)」、または「相生産業」。1944年、中堅造船技術員養成を目的として、相生市立相生造船工業学校として開校(造船科・機械科・電気科)。その後相生工業を経て、1959年市立相生高校を統合し県立相生産業高校と改称。1986年造船科を廃止し、現在は機械科・電気科・商業科。
相生市は兵庫県の南西に位置し、東京の石川島造船所と相生市の播磨造船所が合併した歴史を持ち同市に事業所を置くIHI(石川島播磨重工業)の艇庫が相生事業所内にあり、かつてはIHIにもボート部があったが現在は相生産業ボート部がこの艇庫を利用し相生湾で練習しているようだ。播磨造船とともに発展した相生。2016年時点で相生産業のボート部員14名、海と造船の精神を受け継ぎ、播磨灘を臨む港湾で心身を鍛え全国でも活躍している。






近畿地域のボート、たいへん奥深い歴史やエピソードが満載でした。私の癖でボートと関係のない情報も盛り込んでいますが、地域・高校などの学校・歴史・その他多くの雑学的な知識も、ボートに関わるからこそたくさんの人や文化とふれることができ、多くの未知の出会いがあるのです。古都、三都物語、高名な仏閣や名刹・神社で発展した寺社の町や城下町の数々、そこにはまた多くのボート文化を知ることができました。長い年月をかけてボートを漕いで、ボートを通じて人が交流してきたのです。
特に、滋賀や瀬田のボートを調べることでその魅力を発信したいと今回は文章が多くなってしまいました!しかし調べれば調べるほど他地域よりも情報が溢れていたので、やはりそういう地域は知ったことをたくさん紹介したくなってしまいます。

今週末1/14(日)のMR近畿大会に参加される方は、大物招待選手エリック・マレーをはじめとする多くのボートマンたちと出会うことはもちろん、ぜひとも琵琶湖や瀬田、滋賀・京都・大阪を中心とした関西ボートにまつわる史跡や歴史を訪ね、そして日本が発展してきた由来の豊穣な歴史とを巡ってみてはいかがでしょうか?

2016年1月 MR近畿大会
MR(マシンローイング)近畿大会、大津市の滋賀県立体育館「ウカルちゃんアリーナ」で開幕間近!大津高校と膳所高校のすぐ近く、琵琶湖を臨む体育館です。

マレー&ボンド
マレー選手のNZに負けない日本のボート文化を!
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