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では続きまして、東欧Rowingを紹介していきましょう。
今回も小ネタ満載、読みごたえたっぷりでお届けします。仕事で忙しい中、書きごたえたっぷりでしたので(苦笑)。
時間のない方は少しずつお読みくださいね。




世界のライバル国紹介シリーズ 第4弾


東欧 地図② ドナウ川流域
Googleマップを使用し作成させていただきました


ドナウ川流域の4国(スロバキア、ハンガリー、ブルガリア、ルーマニア)
東欧各国を西から東に通って黒海に注ぐ、東欧の大河ドナウ。
ドナウ川はドイツのシュヴァルツ・ヴァルト(黒い森)を源流に発し、オーストリアのウィーンを横断し、スロバキアとハンガリーの国境をなしハンガリー大平原を縦断、クロアチアとセルビアの国境を流れセルビアを貫き、ブルガリアとルーマニアに至り黒海に注ぐ河口でドナウ・デルタを形成します。

途中には狭隘な谷、上流の「ハンガリーの門」や中流から下流のルーマニアに入る「鉄門」などの難所がありますが、オーストリアの偉大な作曲家ヨハン・シュトラウス2世のワルツ「美しく青きドナウ」に讃えられるとおり、かの地の精神的なバックボーンとなり東欧文化と国民の生活に多大な影響を与えてきました。もちろん、Rowing文化とも密接ですね。
(この鉄門は、T大医学部の由来とは関係ないようです。T大本郷キャンパスに有名な赤門のほか鉄門と呼ばれる校門があり、医学部は俗称として鉄門と呼ばれています)

ドイツとオランダにライン川あり、フランスのパリにセーヌ川あり、イギリスのRowing文化を育んだテムズ川、日本でも荒川や隅田川、瀬田川をはじめ多くの河川あってこそのRowing文化でした。そしてこの東欧にはドナウの大河があるのです。この流域の人たちの精神にはドナウ川が流れています。
『美しく青きドナウ』
このメロディには聞き覚えがあるのではないでしょうか!

今回、オーストリアやバルカン諸国のクロアチア、セルビアなどにはふれませんが、何カ国にもわたって流れる国際河川であるドナウ川のようなスケールは日本では想像しにくいですが、こうした川のつながりがさまざまな文化と豊かな恵みを与えてきたのかもしれません。

ドナウ川の風景 クラシック音楽の旅 大空なんだの四方山話ブログさんより転載
青く澄み渡る雄大なドナウ川
大空なんだの四方山話ブログさんより写真転載


ドナウ川にふれたので、ドイツとオーストリアのRowingにもふれたいところですが、今回は東欧にスポットを当てたいと思いますので、いずれ機会があればということにしましょう。

それでは、ドナウ川の流れに沿って、4か国のRowingを訪ねてまいります。
BGMは、「世界の車窓から」という感じで。ドナウ川紀行、東ヨーロッパのRowingを巡る旅です。
「世界の車窓から」 テーマBGM






スロバキア国旗
スロバキア

今回東欧シリーズで紹介する国の中ではいちばん地味でしょうか!?ブルガリア以上に、スロバキアと言って何かイメージするものが色々出てくるという人はいないのではないでしょうか。私も全然知りません(苦笑)

そもそも、スロバキアからオーストリアやハンガリーをはさんで近くにある国、旧ユーゴスラビアのスロベニアとごっちゃになっている人も多いかもしれませんね。スロバキアとスロベニアは別の国です(笑)。しかし、SLOVAKIA(スロバキア)とSLOVENIA(スロベニア)、国名の語源が同じスラヴ(Slav)から来ているので似た名前になってしまっているのです。
このスラヴとは、今回紹介する東欧の民族のルーツであり、インド・ヨーロッパ語族スラヴ語族に属するいわゆるスラヴ人です。ルーマニア、ハンガリー以外の東欧は大きな括りでスラヴ人と呼ばれ言語に共通性が見られます。その中で細かく分派し独自性や民族アイデンティティをそれぞれ持っているのです。
東スラヴ人(ウクライナ人、ベラルーシ人、ロシア人)、西スラヴ人(スロバキア人、チェコ人、ポーランド人)、南スラヴ人(クロアチア人、セルビア人、ブルガリア人など)と、このように分けられるそうです。
スロバキアとスロベニアはヨーロッパの人でもよく間違えるみたいです(笑)。オーストリアとオーストラリア以上に厄介ですね。何せ国旗までよく似ているのですから。
スロバキアとスロベニアの国旗比較
どちらも汎スラヴ主義の赤、青、白が使われています。汎(はん)スラヴ主義とは、スラヴ人同士の連帯と統一をめざす思想運動のことだそうです。例えば同じ国内ではありますが、北海道と九州、気候も地域文化も方言もそれぞれ違ったものを持っていますが、「僕たち同じ日本人だね」と感じたり考えることと要は一緒です。ヨーロッパって、大きな親戚同士みたいなところがありますからね。
国名だけでなく、国旗まで色も形も似ているのですが、強いて言えば、横の長さが違うのと、国章のデザインが異なることくらいでしょうか。
スロバキア国旗には、ビザンチン帝国正教会のシンボルであるダブル・クロスが施され、下に3つの青い丘があります。タトラ山、ファトラ山、マートラ山です。このタトラの山を歌ったのが、スロバキア国歌「稲妻がタトラの上を走り去り」です。和訳ではありますが、国歌なのにすごいタイトルですね。スロバキア国歌
スロベニアの国章には、スロベニアのシンボルであるトリグラウ山が描かれています。このトリグラウ山は標高2863mのスロベニア最高峰で、3つの峰が特徴的です。
3つの丘と峰・・・。やっぱり似てますね。スロバキアとスロベニア、もうちょっとお互い変えることはできなかったのでしょうか!?

このスロバキア、スロバキア語ではSlovenská republika(スロベンスカ・レプブリカ)、スロベンスカ共和国です。
人口約540万人、首都ブラチスラバ、言語はスロバキア語。面積は日本の比較で言えば九州と四国を足したくらい、人口は四国の1.5倍。首都ブラチスラバの人口は42万人、松山市(51万人)よりもやや少なく、高松市(42万人)とほぼ同じ。しかし中欧における有数の都市です。この首都ブラチスラバは、ドナウ川に面しており、オーストリアとハンガリーの国境沿いに位置しています。オーストリアの首都ウィーンとわずか60kmの距離、ドナウ川を上ればすぐということでたいへん近い距離にあります。
ブラチスラバには、「ひっくり返したテーブル」の別名があるブラチスラバ城、「青い教会」聖エリザベス教会など観光スポットが色々あります。
ブラチスラバ城 Wikipedia
逆さまにしたテーブルに見えるブラチスラバ城 Wikipediaより画像転載

また、スロバキアはカヌーが強く、日本人カヌー初のメダリストとなったリオ銅(カヌー・スラローム、男子カナディアンシングル)の羽根田卓也選手は、単身このスロバキアに渡り武者修行を続けました。

さて、肝心のボートですが、このブラチスラバにローイングクラブがあり、Rowingはこの首都が中心みたいですね。しかしながら、有名選手はあまりいません・・・。最近ではLM1Xで2010年世界選手権準優勝したルカス・ババツ選手(現在32歳)。先日ポーランド・ポズナンでのワールドカップ第2戦でもLM1X3位になりましたし、2015年にはルツェルンのワールドカップ第3戦で優勝しているので、このババツ選手はスロバキアのLM1X第一人者ですね。しかし最適なパートナーがいないのかリオ五輪には出場できませんでした。アテネではLM2X11位といった位置でした。
また、2009年ポーランド・ポズナンの世界選手権ではM4-が3位になっています。
かつてチェコとの統一国家だったチェコスロバキア時代にはたいへん強かったスロバキアRowing。しかし現在では強化はこれからといったところのようです。
結局、スロバキアの紹介はスロベニアとの比較が半分くらい占めてしまいましたが、興味のある方はスロバキアに行ってみるのも面白いかもしれません!







ハンガリー国旗
ハンガリー

では続きまして、ハンガリーの紹介です。
ドイツの大作曲家ブラームス編曲の、「ハンガリー舞曲」でおなじみのハンガリー。ハンガリーのヴァイオリニストにジプシー音楽を教えてもらったことによってブラームスはその音楽性に多大な影響を与えられたとのことです。今ではジプシーではなくロマと呼ばれている、流浪の旅芸人であるロマ民族は多く東欧諸国に居住しています。元々のハンガリー人ではないにも関わらず、ハンガリーの音楽とされてしまうほどだそうですね。このハンガリー舞曲、リズムの緩急と変化が際立っており、遅い部分は哀愁と情緒が漂い、急な展開では目まぐるしい踊りを思わせるような、民族的というかエキゾチックな情緒あふれる曲であり、私も時々聴いてしまうお気に入りの曲です。
というわけで私のクラシック趣味をこちらに。
「ハンガリー舞曲 第5番」

また、この「チャールダーシュ」も有名ですね。ハンガリー音楽をもとにしたジャンルで、イタリアの作曲家モンティによるこちらの楽曲が特に知られており、いわゆる超絶技巧的なクイックな演奏がちりばめられています。色々と物議をかもす(!?)高嶋ちさ子さんによる、華やかな演奏バージョンでどうぞ。
「チャールダーシュ」
見どころは1:22~くらいから、あるタイミングを境に一変。哀愁と超絶、緩急です。
こうした緩急、リズム感、Rowingに応用できませんかね~(笑)

そしてまた、超絶技巧と言えば、ハンガリー出身の「ピアノの魔術師」フランツ・リストが有名ですね。「ハンガリー狂詩曲」や「ハンガリー幻想曲」など、祖国を題材にした曲があります。


音楽ばかり紹介してしまいました。
ハンガリーは人口約1000万人、首都ブダペスト、言語はハンガリー語(マジャル語)。国名はハンガリー語ではMagyarország(マジャロルサーグ)、マジャール国という意味です。ハンガリー人は、自分たちのことをマジャル人と呼んでいます。ハンガリーと呼ばれてきたのは、かつてヨーロッパまで侵攻したモンゴル帝国の末裔だとか、匈奴のフン族から「匈牙利(フンガリ)」「洪牙利(ホンガリ)」と中国で呼ばれていたことに起因しています。英語でもHungary(ハンガリー)です。
実際、ハンガリーは東欧の多数派民族であるスラヴ人とは違うアジア系の民族として知られています。マジャール人は中央アジアのウラル山脈周辺が元々の出身だそうですね。そこから今のハンガリーに移動して定住したと考えられています。

ハンガリーの首都ブダペストは、「ドナウ川の真珠」と呼ばれるたいへん美しい街です。
スロバキアから南に流れてきたドナウ川はハンガリー大平原を真っ二つに縦断し南下するのですが、かつてドナウ川の西岸にあったブダと東岸にあったペシュトの2つの街を合併してできた歴史(1873年合併)があり、そのためドナウ川は市の中央を流れていることになります。人口およそ200万人、中欧最大級の都市であり、世界ではロンドンの次に2番目にできた地下鉄があります。
温泉がたくさんあることでも知られ、観光好きな方には温泉旅行気分でのんびりゆったりの旅が楽しめるかも!?

セーチェーニ鎖橋 Wikipediaより
ドナウ川に架けられた、ブダとペシュトをつなぐセーチェーニ鎖橋など、観光スポットがたくさんのブダペスト
Wikipediaより画像転載


ハンガリーはスポーツが盛んで、国民1人当たりのメダル獲得率で世界2位だそうです。陸上、フェンシング、射撃、水球、競泳などが得意競技です。

ハンガリーRowingはどうでしょうか。やはり首都ブダペストがRowingでも中心みたいです。ドナウ川の4500mで行われるブダペスト・カップ・レガッタという国際レースがあり、ブダ城やセーチェーニ鎖橋など観光スポットを見ながら漕げるヘッドレースです。

ブダペストカップ FISA
ブダペストカップの大会風景 World Rowingより写真掲載

ドナウ川のほとりにある3つの首都、ウィーン、ブラチスラバ、ブダペストの3都市で行われるキャピタルカップレガッタシリーズで3~5月にかけてそれぞれ順番に開催され、ドイツ、イタリアを含む中欧や東欧の国が参加したりして盛況なようです。
ドナウ川が育んできたRowing文化、ここハンガリーにも息づいています。

国際競技力としては、ハンガリーはあまり上位とは言えません。中欧や東欧や北欧は、まさに中堅国といったFinal BやFinal Cの常連が多い印象があります。しかし、トップクルーの中に数年に一度決勝メダルクラスのクルーが現れるのです。
ハンガリーの五輪メダルは、1968年まで遡らないと出てきませんでしたね。メキシコ五輪、M4-銀。これがどうも最高位でしょうか。リオではM1X14位(32か国中)、M2-9位(12か国中)と、毎回出てはいますがメダルには至りません。しかし、2004年アテネではLM2Xで決勝6位だった日本LM2Xにわずか0.29秒差先着のハンガリーLM2X5位があります。
現在も、どちらかといえば軽量級に力を入れているハンガリー。トップ漕手は、LM1Xで活躍中のペテル・ゲランボス選手ですね。2012年と2016年の世界選手権LM1X準優勝、そして2010年と2013年も世界選手権LM1X3位です。ブダペストの大学で研究を続けながら、大学にクラブがないためずっと同じローイングクラブで練習を続けています。彼と息の合うパートナーがいなかったか、こちらもリオ五輪LM2Xには出漕が叶いませんでした。

Galambos_Péter Wikipedia
ハンガリー流浪の一匹狼LM1Xスカラー、ゲランボス選手
Wikipediaより写真転載


このように、独自の文化と豊かな歴史、流浪の民族とが合わさったエキゾチックな国、ハンガリー。
Rowingにおいても緩急自在、超絶技巧のトップクルーが現れる日を待っています。







ブルガリア国旗
ブルガリア

ドナウ川も下流域に達すると、黒海に面するルーマニアとブルガリアの国境を流れていきます。
順番からいえばルーマニアを先に通るのですが、ブルガリアからご紹介します。

ブルガリアは正式にはブルガリア共和国、国名の由来は7世紀に中央アジアからこの地に侵入してきたブルガール人の名からきているそうです。人口710万人で埼玉県とほぼ同じ、面積11万㎢は北海道と九州を足したくらいですね。こう比較すると親近感が湧くのではないでしょうか(笑)。
南にギリシャやトルコと接しており、このバルカン半島南東部にあたるトラキア地方はたいへん歴史が古いとされ、紀元前4000年、つまり6000年前頃の黄金製品など古代遺跡があるそうです。考古学者の間では新たな文明ではないかとまで言われているそうですね。メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、黄河文明に続く文明があったとしたらとてもロマンがありますね~。私は子供の頃、古代文明をモチーフとした「大戦隊ゴーグルファイブ」を観て育ちましたが、全然関係ないですね。古代と現代を行き来できる国、それがブルガリアなのです。ちなみに時計などのイタリアブランドメーカーのブルガリ(Bvlgari)と、ブルガリア(Bulgaria)は全く関係ありません。

8割以上がスラヴ系のブルガリア人、公用語はブルガリア語。ドナウ川をはさんで北にルーマニアと接していますが、民族的には別で、ブルガリアはどちらかというとやはりバルカン諸国に近いルーツがあるようです。
ブルガリアの首都ソフィアは人口134万人、ブルガリアの西端にあり、500年にわたるオスマン帝国の支配から独立する際に少しでもトルコから離れた都市に首都を置きたかったそうなんですね。ブルガリアで最大の都市はプロブディフでしたが、今では首都ソフィアが大きくこれを抜き、プロブディフはブルガリア第2の都市です(人口38万人)。
前回記事でもブルガリアについて、色々なサイトやブルガリアサッカーの英雄ストイチコフ選手などを紹介しました。
あなたの知らないブルガリア
ブルガリアの基礎知識
プロブディフについて
プロヴディフ(Wikipedia)

さて、ブルガリアのRowing、国際大会がよく行われるのは首都ソフィアではなく先日U23世界選手権が行われたプロブディフですが、ソフィアにはブルガリアのボート連盟本部がありソフィアでもプロブディフでもボートはさかんなようです。


ブルガリアの有名選手といえば、何といってもW1Xのルミヤナ・ネイコヴァ選手です。
ネイコヴァはシドニー五輪でW1X銀、アテネ五輪W1X銅、そして北京五輪でついにW1X金を獲った、これはおそらくブルガリアRowing史上唯一の五輪金メダルです。
※追記 調べましたらブルガリアは社会主義時代は強く、女子種目が五輪で始まった1976モントリオール五輪でW2X金、W2-金、W4+銀があってブレイクしており、1988ソウルも女子で銀1銅2がありました。ですから正確にはネイコヴァの金は3つめですね
1973年生、178cm75kgであり、しかし数字以上にかなり筋肉質でたくましく見た目がボーイッシュな歴戦のスカラーです。
ルミヤナ・ネイコヴァ World Rowing
五輪W1X金、銀、銅をもつブルガリアのネイコヴァ選手
World Rowingより画像転載


ボートに出会ったのは12歳と早く、ソフィア生まれの彼女はCSKA(チェスカ)ソフィアのクラブでボートを始めます。
1990年フランス・エギュベレットの世界ジュニアW1Xで17歳にして準優勝、そして翌年スペイン・バニョレスの世界ジュニアW1X優勝と一気に頭角を現しトップスカラーの仲間入りを果たします。初めての五輪となるアトランタではW1X8位となり、そしてそれ以降は同年代のライバル、ベラルーシのカルステンやドイツのルチョウらと常に世界の表彰台を争う激戦を繰り広げます。確実に力をつけていったもののシニアの世界戦でトップをとれなかったネイコヴァは、シドニーW1Xではカルステンと死闘を演じ何と0.01秒差の写真判定で銀メダルと涙を飲みます。しかしその後2002、2003と世界選手権W1X2連覇を果たします。特に2002年スペインのセビリア世界選手権決勝、速い順で叩き出した7'07は今もなおW1X世界ベストのタイムです。

アテネ五輪では優勝候補として今度こそ打倒カルステンで臨みましたが、カルステンとの競り合いの向こうで素晴らしいイーブンペースで優勝したのはドイツのルチョウでした。カルステンにも及ばずまたも優勝ならず銅メダル。
2005岐阜世界選手権ではW2Xで出漕したり(2位)、少し調子を落としたシーズンもありましたが北京五輪のシーズン途中に何とか調子を戻し本番に挑みます。ルチョウはアテネで引退しましたが、カルステンとの雌雄を決する戦い、北京W1X決勝は先行して逃げ切りを図るチェコのクナプコバを第2で捉えると、第3は力漕を見せて後続を離し2番手追走するカルステンに1艇身リードをとります。ラストはアメリカのミッシェル・ギュレットの猛スパートに迫られますが抑え、ついに念願の金メダルに輝いたのでした。
劇的な攻めのRowingを貫いたネイコヴァは、ブルガリアRowing界の夢を実現し東欧ライバル伝説を彩ったブルガリアの星だったといえるでしょう。このように、ベラルーシやチェコやブルガリアなどがW1Xの一時代を築いていたんですね。


また、ネイコヴァの他にも男子ではイヴォ・ヤナキエフ選手がアテネM1X銅メダルというトップレベルのスカラーでした。ヤナキエフは8歳年下のマルティン・ヤナキエフともM2Xを組んで北京五輪M2Xにも出ました(10位)。

その後こうしたトップスカラーが引退するとブルガリア代表は世代交代していき、ロンドンでは出漕なし、リオでは再びM2Xで出漕しましたが9位。
ブルガリアは世界大会の会場になるプロブディフの街がありますが、国としては大きくはなく、やはり1Xで世界的な優れたスカラーが出てもクルーボートでトップになるのは難しいのでしょうか。
しかし、もっとボートが盛んになり、東欧も小艇だけのイメージを覆し多彩な種目で世界を沸かせてほしいものですね。







ルーマニア国旗
ルーマニア

さて、ドナウ川紀行も残すところあとルーマニアのみです。前回記事でも紹介したサッカーや体操などスポーツに比較的強い国、ルーマニア。しかし、サッカーや体操といってもそこまでトップの国というわけではなく、私が衝撃を受けたとお伝えした1994年W杯も、ベスト8までで、これが実はルーマニアサッカー史上最高位です。
むしろ、ルーマニアの五輪成績やスポーツの力を牽引する主力競技が、Rowingなのです。この世界トップを争うボート強国といってもいい、ルーマニアのボート事情に迫っていきましょう。今回ドナウ川流域国紹介のメインの章となります。


ところで、こんなサイトがありました。一般向けのサイトのようですが、かなり詳しすぎるくらいボート競技を紹介していますのでこれはおそらくボート関係者の方による記事ですね。ルーマニアにもふれていますし、内容には親近感が湧きます!(笑)
ボート競技の強い国といえば?日本の実力もご紹介!

これ以外にも、色々な記事があります。ご興味ある方はどうぞ。
ボート競技で知っておきたい名選手たち
初めてのボート競技観戦!どこに注目する?
オリンピック・ボート競技のこれまでとこれから
初心者でも分かるオリンピックボート競技の種目
伝統のある「ボート競技」の歴史をご紹介
強豪ボート部で知られる関東の高校は?
関東の大学ボート部強豪校を紹介!
関西の大学ボート部強豪校をピックアップ!


では、ルーマニアに戻りましょう。
ルーマニアは人口1900万人、首都ブカレスト、公用語はルーマニア語。国名の正式名称はRomânia(ロムニア)。「ローマ人の国」を意味します。西暦100年頃、侵攻に怒ったローマ帝国の逆襲によりローマの領土となったことから、この国名が名付けられました。
ルーマニア語はスラヴ語系ではなく、フランス語やイタリア語、スペイン語、ポルトガル語と同じ、ラテン語をもとにする言語です。これらの国はラテンヨーロッパと言われますね。ちなみに、これらの言語を話すおもに中南米諸国は、ラテンアメリカと言われますよね。
民族的にも、ルーマニア人はスラヴ人とは異なり、それはかつてローマ帝国だったところからラテン系民族、ラテン系国家となっていった歴史があるからだそうですね。言うなれば、ルーマニアは東欧のラテンであります。ルーマニアは、ハンガリーとともに東欧の中では異質な民族だといえるかもしれません。
ルーマニアといえばドラキュラ伝説で有名ですが、これはアイルランドの作家によるフィクションです。また、「呪われた森」とか「魔女」とかオカルトなスポットや文化が多い感じがして謎めいた暗い印象もありそうですが、自然豊かな美しい国ですね。

ルーマニア ドラキュラ伝説ブラン城 300px-Bran_Castle wikipedia
ルーマニアのトランシルバニア地方にあるブラン城。ドラキュラ城のモデルとなった
Wikipediaより画像転載



ルーマニアの首都ブカレスト(ルーマニア語ではブクレシュティ)は人口約170万人の都市で、かつては東欧のパリとも言われた美しい街でした。共産党政権時代の独裁者チャウシェスクによって歴史的な建築物などが破壊されたりもしましたが、ルーマニアの政治経済の中心地であることに変わりありません。しかし、治安の悪さや住みにくさなども指摘されています。


しかしこの首都ブカレストが、ルーマニアRowingの中心地であります。
ヨーロッパには総合スポーツクラブが各都市に多く存在しますが、こうしたクラブであるステアウア・ブカレスト。サッカーでは前回紹介したゲオルゲ・ハジ選手などスター選手が多く在籍したことで知られ、1986年にはUEFAチャンピオンズカップを制した東欧初のクラブであり、国内リーグ優勝26回を誇ります。そしてこのステアウア・ブカレスト、Rowingチームもあります。
それから、ステアウアのライバルクラブ、ディナモ・ブカレスト。このディナモ・ブカレストの現在の会長が、あのルーマニアの伝説的漕手でありボート選手最多の五輪メダル8個、女子ボート史上最強の漕手エリザベータ・リパです。リパ氏は、現在ルーマニアボート連盟会長でもあります。
例えば、2004年アテネで五輪W8+3連覇を果たしたルーマニアW8+、リパ選手も含めて、ブカレストのクラブ在籍選手が7人乗っていました。(ステアウア3人、ディナモ3人、オリンピア1人)
ちなみに、ステアウアとはルーマニア語でstar、星という意味です。また、ディナモは旧ソ連や東欧諸国でよく見られるスポーツクラブの名称で、dynamic、動くという意味で総合スポーツクラブを意味します。
しかし最近のリオ五輪W8+銅のルーマニアW8+には、ブカレストのクラブ在籍選手は4人。ヤシ、ボトシャニなどの全国各都市のローイングクラブから構成され、ブカレスト一極集中ではなくなってきているようですね。

ルーマニアは世界に名だたるボート強国。しかし、圧倒的に女子が強いというイメージです。
1984年ロサンゼルス M2-金、M2+銀、W4+金、W4X金、W2-金、W2X金、W1X金、W8+銀(金6個はロスのメダルランキング世界一)
1988年ソウル M2-銀、M4+銀、W2-金、W8+銀、W2X銀、W4+銅、W4X銅
1992年バルセロナ M4+金、M8+銀、M2+銅、W1X金、W2X銀、W4X銀、W8+銀
1996年アトランタ W8+金、LW2X金
2000年シドニー W8+金、W2-金、LW2X金(金3個はシドニーのメダルランキング世界一)
2004年アテネ W8+金、W2-金、LW2X金(金3個はアテネのメダルランキング世界一)
2008年北京 W2-金、W8+銅
2012年ロンドン メダルなし(W8+は4位、W2-は5位)
2016年リオ W8+銅(W2-は9位、LW2Xは8位)

2004年くらいまでは常にメダル上位トップ3に君臨していましたが、北京あたりを最後にルーマニアRowingを支えてきたレジェンド級の選手たちがごっそり引退して、ロンドンやリオあたりでは勢いがなくなってきています。
しかし、ロサンゼルスからアテネまでの息の長いルーマニアの強さは、世界のRowing史上に残る黄金時代ではないでしょうか。ルーマニアRowingは70年代頃から強くなり始め、84年ロス五輪に他の東側諸国は参加しませんでしたが、ルーマニアはボイコットせずに参加しており金6個と圧倒します。88年ソウルはまだ東ドイツが金8個と60年代から続く異次元の強さを示していたのですが、それに代わるように世界トップレベルの実績を出し始め、90年代ドイツの覇権がおさまってきたところに代わって、ルーマニアが特に女子種目で席巻するようになったのです。バルセロナまでは男子もたいへん強かったのですが、強化の軸を女子に絞ったのか、それ以降はメダルがありません。男子が強いところももっと見てみたいですよね。

ルーマニアによる実績の特筆すべき点は、W8+五輪3連覇(7大会連続メダル)、W2-五輪3連覇、LW2X五輪3連覇ですね。このほとんどが特定の選手によるもので、リパ選手を中心に綺羅星のごとくルーマニア女子軍団の精鋭が揃っていたということになり、彼女たちが引退するとロンドンのメダルなしというように世代交代に苦労している近年という現在につながります。
つまりこれは、80年代から90年代の育成、強化にルーマニアRowing強さの秘密があったことにほかなりません。他の東欧諸国と同じく、ソ連崩壊に先立ち1989年民主化の道を歩んだルーマニア。共産主義時代からスポーツにも国威発揚のため資金をつぎ込んできたと思われますが民主化してのちも、Rowingや体操など重点競技には惜しまず資金やマンパワーを注いできた結果が最強世代の誕生なのだろうと想像がつきます(想像で申し訳ありませんが)。ルーマニアは、例えば女子マラソンでは高橋尚子選手と金メダルを争ったリディア・シモン選手などもいましたよね。国家スポーツ戦略として、女子アスリート強化に力を入れていたのではないでしょうか。

また、ルーマニアのRowing戦略の特徴として、世界選手権では必ずしもたくさん優勝しているわけではない印象なのですが、五輪本番になると金をさらっていく、本番に強い傾向があります。ルーマニアは旧東ドイツのトレーニングプランを徹底しているかのようなイーブンペースを伝統としていますから、そのトレーニング方針にもよるのでしょう、4年に一度の五輪で確実に結果を残す方針なのではないかと推察します。序盤に先行されても、全く落ちないコンスタントで、後半1000mは前半と同じか時には前半よりも良いラップでライバルを抜き去ってしまいます。とにかく後半が強い。
こうして、徹底したトレーニングとレース戦略、黄金世代を作り上げた育成と強化のノウハウがルーマニアの強さなのです。



では、その黄金世代の選手たちを見てみましょう。
まずは何度も名前を挙げているルーマニアの女王、エリザベータ・リパ選手(旧姓オレニウク)
エリザベータ・リパ World Rowing
World Rowingより写真転載

ルーマニアが金6個と席巻した1984年ロス五輪で五輪初出場、19歳にしてW2X金という輝かしいオリンピックデビューを果たし、以来20年にわたりオリンピック6大会連続出場し、獲得したメダルは金5個(W8+金3回、W2X金、W1X金)、銀2個(W2X銀2回)、銅1個(W4X銅)というメダル8個、ボート選手で最多のメダル獲得を成し遂げました。長いキャリアの中で世界選手権では意外にも優勝が1回、準優勝が8回ということで、あくまで照準は五輪本番というルーマニアの戦績の特徴と重なるかもしれません。


プロフィールは1964年生で183cm80kgの長身、恵まれた体格によってボート競技にスカウトされたとのことです。
モルドバやウクライナにほど近いルーマニア北部の都市ボトシャニ県の高校生でバスケットボールの選手だったリパは、首都のクラブであるオリンピア・ブカレスト主催の全国選抜に参加しましたが、そこでRowingコーチのイリアナ・パベルにボート競技に転向しないかと熱烈にスカウトされました。彼女の母は反対しましたが、夏のシーズンスポーツ、水と太陽、湖の青さ、さまざまにボートの魅力を語ってみせたコーチに口説かれたエリザベータ少女は、すぐにRowingへの競技転向と、スポーツに生きる人生を決意していたのです。500km離れたブカレストにやって来た16歳の彼女は合宿地であるルムニク・ヴルチャのダムで最初の水上トレーニングを開始、以来ボート漬けの人生がはじまりました。

その後、所属クラブをディナモ・ブカレストへと移しトレーニングを続けたリパ、国際大会デビューは当時正式種目だったW4X+でした。ボート歴1年ちょっとで世界ジュニアJW4X+3位とすぐに才能を示しました。翌1982年、ルーマニア代表としてルツェルンの世界選手権でW4X+3位というシニアでの素晴らしいデビューを飾ると、その後2歳上のマリオラ・ポペスクとコンビを組んでW2Xに専念することとなり翌1983年世界選手権W2X3位、1984年ロサンゼルス五輪でこの19歳と21歳の若いW2Xが金メダルに輝くのです(Sエリザベータ・オレニウク、Bマリオラ・ポペスク)。社会主義国として唯一参加したルーマニアは、女子種目ではW8+を除く5種目で金、男子もM2-金を獲り14種目中6種目で金という、東欧の旋風をロス五輪、アメリカ西海岸の地に巻き起こしたのでした。その立役者の1人となった、若き19歳エリザベータ。

ロス五輪のあと1985年に21歳の若さで結婚しオレニウクからリパになった彼女は、結婚後、そして出産後もリパはカムバックしてRowingで活躍しました。ルーマニアには他にもそういう女子選手がいて、若くして家庭と競技を両立する女性アスリートが多くいるのです。リパも育児をしながらの競技生活は困難だったそうですが、夫や周囲の助けにより両立することができたそうです。息子さんにもスポーツを通して育てていかれたようですね。
当時まだまだ女性アスリートがこれから増えてくるといった時代、こうしたリパのような結婚してからの息の長い活躍も先駆的な存在だったといえるのではないでしょうか。その意味でも、Rowing女子選手として最も偉大な選手でしょう。

冒頭にふれたように、以来20年間にわたり6大会五輪に出場を続け、金メダル5個(アトランタ・シドニー・アテネW8+金3回、ロスW2X金、バルセロナW1X金)、銀メダル2個(ソウル・バルセロナW2X銀2回)、銅メダル1個(ソウルW4X銅)というメダル8個を獲得します。ロス五輪の後のソウルでは唯一金はなりませんでしたが、W2XとW4Xのダブルエントリーで銀と銅です。さらに、バルセロナではW1X金とW2X銀、すごいですよね!アトランタではW8+金とW1X9位、シドニーでW8+金とW2X5位。実に4つの大会でダブルエントリーをしているという、鉄人アスリートです。


彼女の特長は、身長以上に大きく見える、長いドライブでしょう。そのワイドなストローク、的確にかつ伸びやかに艇を走らせるドライブにあると思います。キャッチ周辺にアクセントがなくミドルフィニッシュにかけての加速を重視した、ドライブ安定のルーマニアの特長を最も良く体現しているように感じますね。

1992バルセロナW1X決勝レースのハイライト
この当時はまだローイングスーツもビッグブレードも登場して間もない頃で浸透してはいない年でした。

黄金期を誇ったルーマニア女子Rowingの中で先頭に立って走り続けたリパは、40歳間近の2004年アテネでも素晴らしいパフォーマンスを見せます。
2004アテネW8+決勝レース

6番の要を漕ぐリパ選手。このルーマニアW8+、イグナット、ダミアンのストロークペアに、6番リパ、2番スサヌと、まさに最強W8+ですね。リパはW8+ではだいたい6番か7番を漕いでいます。40歳を迎えるこの年、エイトでのこのパフォーマンスと存在感、本当にすごいの一言ですね。
ルーマニア アテネ五輪W8+ World rowingより
アテネ五輪、ルーマニアW8+五輪3連覇 World Rowingより写真転載

リパはWorld Rowingのインタビューに際しこのように語っています。
―あなたの多くの五輪メダルで最も思い入れがあるのはどれですか?
「私の好きなメダルは、初めてのロス五輪で優勝したメダルです。私は自分の運命がRowingで戦うことだと、この最初の場所で理解したのです。この最初の成果が、オリンピックへの次のモチベーションを与えてくれました」

―あなたはソウルからシドニーまでの4大会、2種目参加のダブルエントリーを続けられました。どのようにしてそのダブルワークをこなしたのですか?
「オリンピックは競争に勝ち抜くために大きな努力が必要です。さらにそれがダブルワークともなればより大きなチャレンジです。必要なのは、良い体調づくりと、強いモチベーションです。それを証明できたことが嬉しいです。確かに簡単ではありませんでしたが、五輪はいつも簡単ではありません」

―五輪では4回もW2Xで大会に出て、そのうち3個もメダルを獲得されました。2Xの好きなところは何ですか?
「私はチームで漕ぐのが好きです。2Xでは良い点だけ話していればよいのではなく、勝利へのモチベーションを共有すること、友情についてもお互い調整しなくてはなりません。ともにエネルギーを使って、より速くよりよく動くことができるという共通の感覚。私の最初のオリンピック参加はW2Xで、私に最初の金メダルをもたらしてくれました。それは私に強い記憶となり原点にもなっています」

―あなたが参加したオリンピックで、あなたのいちばん記憶に残る大会はどれか聞かせてください。
「私にとってオリンピックは参加するだけでは不十分で、メダルを獲得するために出ます。その点から、全てのオリンピックが、私にはかけがえのない貴重な記憶でした。一番美しいのは、最初のロス五輪大会でしょうか。また、40歳になるときのアテネ五輪も私のキャリアの中で最も難しいものでしたが、これまでと同じく最高に満たされるものでした」

―はじめてオリンピックに出るという選手にはどのようにアドバイスしますか?
「初心者のみなさん、オリンピックにいらっしゃる方は、あなたがそのためにしてきた全ての犠牲を払う大きな価値があります。オリンピックチャンピオンになることは、ユニークです。"チャンピオンになる"というあなたの欲求が十分に大きければ、あなたの夢は本当になり、あなたはその現実を生きるでしょう。私は自分の人生から、そのことを知っています」
エリザベータ・リパ httpdesprefrumusetelaocafeaより
金5個を含む五輪メダル8個、Rowingの女王エリザベータ・リパ
desprefrumusetelaocafea.blogspot.jpより写真転載


まさにチャンピオンの言葉ですね。5度のオリンピック世界一、しかしその何度も世界一になった選手の精神に通底するものを、我々にも感じることはできるのではないでしょうか?
いま現在はルーマニアの青年スポーツ大臣という国のスポーツ振興施策のための要職に就き、またルーマニアボート連盟会長、ビッグクラブのディナモ・ブカレスト会長も務め、たいへん多忙な毎日を過ごしているオリンピアン。引退後もスポーツで戦い、Rowingの第一線で戦う人生。それもまた、運命なのかもしれませんね!



それから、ルーマニアにはリパ以外にも多数の五輪金メダリストがいますが、この黄金期を支えた3人を簡単にご紹介します。

ドイナ・イグナットは1968年生で181cm75kg、ステアウア・ブカレストの所属、16歳でボートを始め、アトランタW8+金、シドニーW8+金、シドニーW2-金、アテネW8+金の金4個です。W2-とダブルエントリーだったシドニーW8+ではリパの後ろを漕いだ5番でしたが、それ以外はおもにルーマニアW8+ストロークを務めています。
ルーマニア W8+ストローク イグナット gettyimages
ルーマニアW8+ストロークを漕ぐイグナット gettyimagesより写真転載


ジョルジータ・ダミアン(現在は結婚しアンドゥルナケ)は1976年生で178cm72kg、ボトシャニCS所属、ルーマニア屈指のバウサイダーとしてロンドン五輪まで活躍しました。シドニーW8+金、シドニーW2-金、アテネW2-金、アテネW8+金、北京W2-金の金5個です。北京W8+でも銅ですね。W8+3連覇の後半2回に関わっているほか、W2-3連覇のバウを務めていました。シドニーW2-ではイグナット選手と、そしてアテネと北京ではスサヌ選手とのコンビでした。実は5個という金メダル数からいえばリパと並んでおり、またレッドグレーブとも並んでいますからね。


ヴィオリカ・スサヌは1975年生で185cm70kg、ステアウア・ブカレスト所属、たいへん長身でそしてスマートに見える腕と脚で長くぶら下がるドライブが特長の、W2-ストローク。シドニーW8+金、アテネW2-金、アテネW8+金、北京W2-金の金4個。北京W8+銅。ダミアン選手とのW2-コンビ、そしてこの長いレンジが印象に強いのではないでしょうか。
aiob-olimpici-2008-036 スサヌ、ダミアン prosportより
ルーマニアW2-コンビ、スサヌ選手(左)とダミアン選手(右)
www.prosport.roより写真転載

こんな動画もありますね。ルーマニアW2-のトレーニング風景

これらが、ルーマニアW8+五輪3連覇をおもに支えた、ルーマニア黄金期のスイープ四天王といえる存在でしょう。もちろんスカル種目も五輪メダルレベルなのです。


さらに、アトランタ、シドニー、アテネと五輪LW2X3連覇のコンスタンタ・ブルチカがいます。ブルチカは1971年生で174cm、実は5大会連続メダルであり、バルセロナW4X銀、北京W8+銅のメンバーです。LW2XとW8+!?そう、バルセロナW4Xと北京W8+ではオープンでメダルを獲っているんですね。軽量級金3個とオープンで銀銅の2個。これって、階級別のボート選手ではある意味ナンバーワンの実績といえるのではないでしょうか?また、確か彼女もアトランタ後に結婚出産を経てカムバックしシドニーで連覇となる金を獲ったはずです。こういう選手を知るにつけ、軽量級でもオープンでもRowing、艇を速く進めることに体重のハンデを超えられるのだなと思います。
Burcica-C-03 revistapentrupatrieより
LW2X五輪3連覇のブルチカ選手 http://www.revistapentrupatrie.roより写真転載




さて、このようにルーマニアは女子ボートで特に世界一のチームを作ってきましたのでたいへん詳しく見てきたわけですが、黄金時代を築いた選手たちが引退し、今ではW8+はアメリカ、そして他の種目でもイギリスやNZ、オランダとドイツにポーランドなど女子ボートは強豪国が入れ替わって久しくなっています。
しかしルーマニアもリオ五輪ではW8+銅、新世代が育ってきているのです。黄金時代をもう一度。そして男子も強豪国復活へ。
ルーマニアRowingが東欧一のボート強国として再び世界に威光を示す日も近いかもしれません。

World-Cup-III-in-Lucerne-620x330 romaniajournalより
先日のワールドカップ第3戦ルツェルンで強豪NZを破って優勝した、新世代のルーマニアW8+
www.romaniajournal.roより写真転載


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