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いつのまにか、COXだけに焦点を当てているというよりは、漕手やクルー、チームにまで広げた総合的なボートの話をしているかもしれません。COXの技術論は、各論から総論となり、組織論からリーダー論となり、社会論そして人間論へ。しかし、それでいいと思います。結局はそれがRowing論となり、最終的には人間についてがテーマになるのでしょう。

ボート好きが集まると、何だかんだで情報交換から始まり、やがてボート談義になるものだと思います。ボートを通じて一つの人間性を作り上げていきます。個人や組織のあるべきビジョンを考え、人とのつながりが生まれ、これらは実社会にも応用して生かすことができ役立っていく。このようにしてスポーツが育んだ優れた個による人間性や高い志は、周囲によい影響を与えていくようになっていくべきだと思います。

役割を知ることは組織や社会を知ることであり、個人の世界を広げることは他者の世界へと広がり関わっていくことに通じる。Rowingの世界を拡げて、知恵と経験を積み重ね、人間の器を大きくしていきたいものですね。人として成長し、組織の成長にも深く関わることを追求できるボート競技は、やはり素晴らしく可能性の大きなスポーツだと思うのです。
今回は、COXにも漕手にもマネージャーにも必要なリーダーシップを通して、人間性についてまで見ていきたいと思います。



1.リーダーシップとは
COXに重要な役割としての意識、それはリーダーシップです。自ら向上することがクルーの艇速の向上となります。それはつまり、ラダーワークやボイスワークなどCOX固有のスキルにおいてだけではなく、リーダーとして向上することが艇速を高めるのです。
リーダーとは本質的には、部下などのメンバーを通して成果を出す人のことをいいます。COXがリーダーであるとしたならば、まさに漕手が艇速という成果を出せなければ、COXとしていくら舵や声が優れていても意味がないのです。以前にふれたように、COXにとって重要な役割は、「安全」と「目標達成のための練習効率=艇速」と「レースの勝敗」です。この3つの成果は、すべて漕手を通じてもたらされるものです。

リーダーシップには、いくつかの要素が必要であると言われますが、ある経営コンサルタントによれば3つあります。ベクトルを合わせること、刺激を与えること、信じること。
クルーのベクトルを合わせることについてはこれまでも多く見てきましたね。クルーの心も、技術も、体力もベクトルをしっかり合わせて調整しこのベクトル自体も強めていきます。いつも具体的な方向性を示して、クルーに目的やイメージの共有を図っていきます。
刺激を与えるとは、モチベーションを高め組織としてのクルーを活性化させること。コールは、ベクトルを合わせるだけでなくこの「刺激」を絶えず与えることにつながります。繰り返し強調することも、意外でクリエイティブな言葉をかけることも刺激になります。
信じるとは、漕手の力を信じること。自分自身をも信じること。「信頼」の絆でつながること。「このクルーなら、必ず目標を達成できる」この信念を持って、そしてクルーを信じていくことです。力が出し切れないときも、逆境のときもその可能性を信じます。COX自身が漕手の信頼を得ることで、COXの力を発揮できます。クルーがまとまって組織として力が発揮できるのは、お互いが信頼し合って、自信にも満ちている状態のときです。



2.リーダーとして必要な資質
経営学の父、マネジメントの父といわれるドラッカー。私のブログでは再三、この人の言葉や考えを引用したり紹介させてもらっています。現代において人や組織の考察に世界的に大きな影響を与えた人物であるため、当然スポーツ組織やチームスポーツにも多くのヒントを与えてくれるからです。

ドラッカーによれば、「リーダーに関する唯一の定義は、つき従う者がいるということである」と著書において述べています。
つき従う者とは、強制力によって従わせられたのではなく、「そのリーダーを信頼するがゆえに自らの意志に基づいて従う者がいる」ということであり、前時代的な「主従関係」とは全く別物です。現代のリーダー論としての話です。
信頼してついていく、リードを任せる、このように自律的に従ってくれるメンバーやフォロワーがいなければ、リーダーだとは誰にも認めてもらえません。リーダーとして認めてもらうには、日々の仕事や行動の中でメンバーから認められ評価された結果として、信頼を積み重ねることが重要です。


ドラッカーはまた、リーダーについてさまざまな言い方をします。

「効果的なリーダーシップは、カリスマ性に依存しない。特別な人間が持つものではない。その本質は『行動』にある」

「リーダーシップとは何か。第一に言うべきことは、『仕事』だ。効果的なリーダーシップの基礎とは、組織の使命を考え抜き、それを目に見える形で明確に定義し、確立することである。リーダーとは目標を定め、優先順位を決め、基準を定め、それを維持するものである」

「リーダーシップについて第二は、『地位や特権ではなく、責任だ』ということである。優れたリーダーは厳しい。しかし、リーダーは失敗を人のせいにしない。真のリーダーは自らが責任を負うことを知っているがゆえに、部下を恐れない。えせリーダーは部下を恐れ、優れた部下の追放に走る。優れたリーダーは、強力な部下を求める。部下を奨励し、前進させ、誇りとする。部下の失敗に最終的な責任を持つがゆえに、部下の成功を脅威とせず、自らの成功ととらえる。
自らの退任や死をきっかけに組織が崩壊することが最も恥ずべきことであることを知っている。真のリーダーは、人間のエネルギーとビジョンを創造することが自らの役割であることを知っている」

「リーダーシップの第三は、『信頼を得る』ということである。信頼がない限り、従う者はいない。そもそもリーダーについての唯一の定義が、つき従う者がいることである。信頼するということは、リーダーを好きになることではない。常に同意できることでもない。リーダーの言うことが彼の真意であると確信できることである。それは、『真摯さ』というまことに古くさいものに対する確信である。
リーダーが公言する信念と行動は一致しなければならない。リーダーシップは、賢さに支えられるものではなく、真摯さに支えられるものだ」

つまり、リーダーとしてあるいは上級生としてやCOXとしてなど、「かっこよく見られたいから」「上に評価されたい、下によく見せたい」「自分の利益や得につながるようにしたい」「とにかく厳しいことを言って従わせたい」といった邪念や虚栄心や打算や感情などに左右されることなく、「真意」をまっすぐ伝えることが、結果的に人の信頼を得て、人を動かすことにつながるのだということです。これらは社会生活のあらゆる場面、仕事や集団のリーダー、家庭におけるパートナーや親として、などさまざまな場面においても応用できるはずです。


また、真摯さとは「integrity」を日本語に訳した言葉ですが、これはドラッカーの言葉としてはよく登場します。
リーダーとは、高潔さや、志の高さが重要であること。正直で高いモラルを行動原理に持つこと。一貫していること。仕事に対して誠実で高潔で、信念を持ってブレない姿勢が大事なのです。
そして、こうも言います。リーダーのなすべきは、組織全体の人材、資源の働きの総和に配慮しながら、全体としてのベストの成果を達成するよう作戦を立て、組織を率いることであると。



3.人間社会に求められてきたリーダーシップ
ここで、人間社会がどんなリーダーシップをこれまで求めてきたのか、その歴史的な変遷を見てみます。

その初期段階は、中世から近代に見られる「権力者」のタイプです。
国王、王侯貴族、荘園領主、藩主など、圧倒的な権力を持ち、配下の者を支配する、ヒエラルキー(ピラミッド型の段階的な組織構造)におけるトップです。専制君主がその典型です。強い権力によって組織を動かす一方、厳しい身分制度として固定化されるような前時代的なものでした。

こうした形態は中央集権ともいわれ、これを近代的な組織として構築したのが、軍事国家プロイセンの参謀総長モルトケと言われています。組織を人体のようになぞらえ、それまで司令官は戦場で直接軍隊を率いていたのが、参謀本部のエリートが頭脳となって戦場の兵士を手足のように動かすべく、電信機を使って全軍に指示を出しました。司令官は、中間管理層である直属の部下に命令を与え、それをさらに下に伝えます。部下は直属の上司の命令だけを聞き、従うことによって、50万にのぼる兵士を自在に動かしたといいます。

この仕組みを、最初に産業界に持ち込んだのが、フォード・モーターの創設者フォード。それまで職人が一から組み立て完成させるというもの作りの常識を革命的に変化させ、部品を規格化、簡素化し、組み立てを流れ作業にして、大量生産の管理手法を導入しました。
フォードに代わって、自動車が大衆のものとなり必需品となったのちに生まれた多様なニーズに応えて、主導権を握ったのがゼネラル・モーターズ(GM)。安価なシボレーから最上級のキャデラックまでフルラインナップを揃え、マーケティングの手法も取り入れ大きく成長しました。会社の成り立ちが買収を繰り返してできあがった背景から、各事業部ごとに責任者を置くようにしたのです。つまり、トップのリーダーが各部門へと責任を委譲し、「分権」によって組織をコントロールしました。ほぼ同時期に松下産業もこの事業部制を導入しましたので、分権によるリーダーシップは、中央集権のリーダーシップの進化系といえる形態となりました。


そして、これをより発展させた形が、1970~80年代にかけて高度経済成長を果たした日本型経営スタイル。リーダー自らの権力によって率いるのではなく、組織全体に価値観と働く意味を与えること、雇用の安定を図るなど協調を促し、組織全体の一体感を作ることに成功します。三種の神器といわれた「終身雇用」「年功序列」「労使協調」などの協調・調整により、価値観を一体化させ、高品質の製品やサービスを提供していった日本企業の経営手法。自動車、家電製品など多くの分野でアメリカを凌ぐ成長を遂げた日本企業が数多く登場しました。

しかし、日本を世界一、二を争うまでに押し上げたこの大成功も一時の驕りとなります。こうした成功の秘密を、アメリカは逆に熱心に研究対象とします。「日本に学び、日本を超える」という副題が付けられた日本企業研究の書籍も出されたほどです。
この経営の弊害も徐々に露わになっていきます。「従業員が、仕事を離れたところで育てることが可能なもの(例えば友情など)まで、どんどん職場に依存するようになったことだ。その結果、職を失った瞬間、人は収入以上のものを失うようになった」
「公私の区別なし」「滅私奉公、家庭を犠牲」「One for allだが、All for oneではない」「個人の目的よりも、いかに組織に合わせるか」「コミットメント(企業への帰属意識)の行き過ぎ」これらが日本における「企業戦士」の特徴とされています。
仕事と家庭(プライベート、個人)の両立の難しさは、いまなお日本社会が抱える大きなジレンマの一つかもしれません。
価値観を共有し、従業員を囲い優しく扱う企業は、バブル崩壊をきっかけとして次々と業績を悪化させ、既得権益にあぐらをかき、馴れ合いや部門間の垣根を作って内向きに働いたりするなど、企業の活力をどんどん削いでしまう結果となったのです。



4.カリスマ指導者・強いリーダーは必要か?
1990年代、注目を浴びるようになったのが「変革者」のリーダーシップです。
組織の方向性を提示し、大胆に事業領域や組織の再編を行い、競争や学習を促し、縦割りの部門間、社員間の交流、活性化により組織を変革します。こうした変革によって企業を再生させるリーダーが続々と登場するようになりました。大胆な変革のために社内外の成功例を取り入れるため、多くは経営コンサルタントを雇い、新たな経営戦略を実行しようとしました。
毅然と大胆に行動するカリスマ性をもったリーダーを、大きく進化したリーダーシップとして不況の時代を乗り越える切り札として多くの期待と注目が寄せられました。

このようなカリスマ型リーダーは、「強いリーダー待望論」といったように、組織や国民が歓迎する向きがあり、一見理想のリーダーに見えます。こうしたリーダーに特徴的な傾向は、権限集中、トップダウン、経験に裏打ちされた明確な解答を持っている、精緻なデータや事実に基づいて的確な判断を下すといったことです。
しかし、強さゆえのリスクも伴います。例えば、個人の力量に依存するところが大きいため、組織が個人の器を越えられません。既存の知識を徹底して共有や活用をしますが、新しいビジネスモデルが創造しにくく、イノベーションや新しい時代の変化には対応しにくい。そして、救世主願望が強く過剰な期待を寄せるために、社員が受け身になります。現場で意思決定できないため、意思決定や決断のスピードが遅くなります。そのため、ネットワーク、イノベーション、知識や知恵の創造には適さないのです。
こうしたリーダーが退任していなくなると、当然組織はまた脆弱になってしまう問題もあり、組織の継続的な発展にとってもプラスとは言えません。代替わりが宿命である我々の大学体育会組織などを例にとると、分かりやすいですよね。

リーダーとは、組織、社会を正しい方向に導く存在です。昨日の正解が、今日の正解とは限りません。正しいかどうかは、時代によって変化するからです。始めたときは正しくても、今はどうか、何が正しいかを常に考えなければいけません。もし違っていたら、方向が合っていなかったら、勇気を持ってリスクを背負い方向転換することも求められるのです。それがリーダーではないでしょうか。

そして、私はこれまで見てきた変遷を、大学体育会などにおける組織形態の変遷、リーダーシップの模索、学年という体育会的な年功序列の良い部分と課題などと重ねてしまうのです。私は、基本的に学年による序列制度は大学においては賛成です。これらは、初心者から始まりさまざまな役割、リーダーシップや責任を身につける上で、すべてを学び経験ができる効率的な仕組みだからです。ここで問われるのは、常に上級生のあり方であって、上級生のリーダーシップと人間性が大きく部の組織力を左右するというところなんですね。今の大学体育会に必要なのは、次に述べる新しいリーダーシップなのではないかと考えています。



5.現代組織に求められるリーダーシップ
今世紀に入り、リーダーシップのあり方に大きな変化が見られるようになりました。
例えば、インターネットの発達により、多くの情報を持つようになった消費者の購買行動が変化しました。環境保護が叫ばれ、原料の安全化やリサイクルにまで気を遣う必要が出てきています。さらには外貨の参入、事業売却・買収の日常化など枚挙にいとまがありません。こうした世の中の絶え間ない激しい変化によって、企業は過去の成功事例では対応できず、いかに新しいビジネスモデルを作るかが重大な課題となっています。

しかし、成功した企業ほど過去を否定することができません。多くの小規模ベンチャービジネスの躍進に対して、従来の大企業の凋落ぶりや苦戦がたいへん目立ってきているのが日本の現状です。この中で大企業としては、顧客により近い現場のリーダーに権限を渡し、トップは彼らを支援し、組織を彼らが活躍できるような場にすることが自ずと必要になります。それは、従来のトップがリーダーシップを揮(ふる)っていた組織のあり方とは根本的に異なるものなのです。

会社に対する見方も変わってきました。そもそも会社―社員は対等の関係であり、相互信頼の関係なしには成り立たないことへの気づきです。例えば、会社組織はそれまでトップ20%の人材と信頼関係を築いていればよく、下位の人材は入れ替えればよいという考え方が主流だったようです。しかし、現在では全社員に対して注目し信頼を築く必要があるという認識がされるようになってきました。2・6・2の法則などと言われることもありましたが、今では10の力と信頼が必要になってきている、ということです。


こうして登場してきた概念が、「支援者」としてのリーダーシップです。イメージとしては、これまでの階層型(ヒエラルキー)組織を逆転して、逆ピラミッドの最も下にリーダーがいて支えるというものです。必ずしもヒエラルキーのボトムにいることが必要なのではなく、組織全体に働きかけ、ミッションやビジョンを共有し、コミュニティの意識を涵養します。それと同時に個人個人とも向き合い、オープンにコミュニケーションをとり、働きかけて、組織や個人の主体性、自律性を引き出します。組織全体をそのような「場」として整えるのです。

コミュニケーションは、組織の階層を通じて行うこともあれば、直接現場の担当者に対して行うこともあります。また、そのコミュニケーションは社内に限らず、社外の参画意識を持った人々とのコラボレーションをも促します。このようにして、組織や組織内外の人々に対して、支援することによってリーダーシップを発揮するのです。

今世紀に入り、いかに新しいビジネスモデルを創出するのか、いかに新しい価値創造をするのかというのが、企業が生き残るための鍵となりました。組織全体の価値創出のために個人の最大の力を引き出し、目標達成に向けて一体となれる組織やチームが実現されたときに、優れたパフォーマンスを発揮することが可能になります。それは、個人個人が自律的に動くことで初めて可能になります。そのような自律を引き出すには、リーダーが「支援する」ことが必要になるのです。
まさに、前回もオーケストラでふれましたが、自律した専門家集団をまとめ最大の成果をともにめざすという、Rowingにおけるクルーやチームのあり方に通ずるところなのではないかと思っています。

リーダーのコミュニケーションは、メンバー1人1人と向き合う双方向性が必要になりますし、そこには人間性や人間力が、たいへん重要になるポイントでもあります。メンバーは組織内だけの限られたチームメイトだけではありません。組織外の協力者、応援者、いわゆる顧客。さらには現代ではネット上の参画意欲や能力ある人までも巻き込むことができます。正しいことは何か(What)、なぜやるのか(Why)を考え、追究する姿勢が、今のリーダーには求められるようになっているのです。



6.自律したクルー、自律した部員、それぞれがリーダー
ここで、Rowingの現場に立ち返り、この新しいリーダーシップについてもう一度まとめてみます。

・「自律した個人」の存在が大前提
・組織と個人、リーダーとフォロワーは対等
・リーダーの役割はいかに個々のメンバーとの「信頼」を築くか
・いかにして、1人1人の潜在能力を引き出すよう支援するか
・閉じられて強制的な運命共同体ではない、オープンなコミュニティ(自由意志、参画意志のあるものが、チーム内外問わず集まる)
・人的ネットワーク、通信ネットワークにより情報の発信と受信、共有を密にはかる

一方で、それ以前のリーダーシップに共通の特徴もあります。価値観を共有し、コミュニティに一体感を持たせること、常にリーダーが上にいるというよりも各ポジションが働きかけること、働くことや活動の意味を考えて動機ややる気を引き出すことなどです。
実は、1人1人がリーダーであるということにもつながるのです。

それは、まず自分に対するリーダーシップ、つまり「自律」です。部下や後輩がいようがいまいが、1人1人がどのように仕事に向き合うか、つまりRowingならばボートにどう向き合うかの行動規範が重要です。「他律」ではありません。他律とは、自分の今の状態は人のせい、周りのせい、上のせい、世の中のせいと考えることです。自分以外の何者かにコントロールされていると考えること。そういう生き方もありますが、それは自分の運命のすべてを他人に任せる覚悟がないといけません。

「自律」的で、自分に対しリーダーシップを持つことは、組織に属することとは全く関係なく、自分から人生を切り拓こうとする者だけが、成果を上げ、評価され、思うような役割を果たして人生を送ることにつながります。それは意志や覚悟の問題であり、能力とは関係ありません。そして生まれつきの能力でもなく、リーダーシップは誰でも伸ばすことができるのです。
自分自身に対してリーダーシップを発揮できる人こそが、他者に対してもそれを発揮できるということがいえます。他者とは、組織の構成員だけではなく、上の人や組織全体、顧客やもっと大きなものすべてに対してリーダーシップを発揮する対象が広がります。


このリーダーシップのあり方とは、私が今回参考にしている『リーダーシップ3.0』の本によれば、組織に奉仕する「サーバント・リーダーシップ」というものです。個人の自主性を引き出し、しっかりと支援する。メンバーに媚びるのではなく、強い意志を持ち、ミッションやビジョンを実現するためにサーバント、つまり奉仕や献身に徹するということです。
当然、自主性を重んじることは、メンバーが主体的に動いていればリーダーは何もしないでいいということではありません。サーブするだけではなく、時に組織の前面に立って方向性を示し、リードすることが必要です。リードとフォローの両面性、主体性を持ちながら献身に徹する。まさにCOXのリーダーシップに通ずると私は考えます。
エイト、女子coxリーダーシップ

「英雄的なリーダーへの依存を断ち切り、コミュニティのリーダーはみずから、人々を巻き込むことに努め、人々はこれに応えて、自主的に行動する」
こうした姿勢は、ボート部でいえば監督、コーチや、主将や主務、クルーリーダーや上級生にとっても「リーダー」を考える上でたいへん重要なところであると思います。クルーやチームを変えたいならば、まず自分から変わること、これに尽きます。
新体制を作る時期、個々のリーダーシップや体制づくりでチームが決まるので、本当に大事なのです。もっと言えば、これからの日本人全体に必要なリーダーシップだとも思うのです。



7.オープン・リーダーシップ
あるコンサルタントは、現代社会は情報が即座に社会に共有される時代となり、たったひとりのツイートが会社を滅ぼすこともあるソーシャルネットワーク時代になり、これまでの企業統治、組織ガバナンスはもう通用しないと指摘します。そのためには、リーダーは隠さない、オープンな姿勢が求められるというのです。以下のような姿勢やルールが必要だということです。

1.顧客や社員が持つパワーを尊重する
2.絶えず情報を共有して信頼関係をつくる
3.好奇心を持ち、謙虚になる
4.オープンであることに責任を持たせる
5.失敗を許す

地位の上下の区別なく、フラットに相手を尊重し、関心を寄せ、学ぼうとする姿勢が信頼関係を醸成します。リーダー自らがオープンになることで、相手にもオープンであることに責任を持たせることができるようになります。そのためには、相手の失敗を許すことだというのです。オープンにしろと言っておいて、失敗を許さないとなれば、次からは隠すようになるためです。
リーダーがすべてコントロールするのでなく、コントロールを手放すことで、1人1人の主体性やパワーを引き出し、組織が活性化するようになるのです。先に述べた、「支援」や「自律」のリーダーシップとも重なります。

そして、まさにRowingのクルーシップ、「一艇ありて一人なし」の精神にも表れるところなのだと思います。この言葉は自己犠牲や滅私奉公の賛美ではなく、自主性のかたまりであるクルーが1つの艇を動かしていくことを表す言葉になってきたのだと私個人は考えます。みんなが主役だと。
Rowingはエルゴメーターなどの個人漕力測定器が登場してから変化してきました。組織の中に個が埋没するのでなく、自律したエネルギーあふれる個人が揃い、リーダーシップを備えて1つの組織、つまり1つの艇をいかにスピードをもって進めるかの競争へと変わったのです。しかし、組織やチームの力を高める、Rowingの本質は全く変わっていないわけです。アプローチや求められるものは時代によって変わっていき、しかし見事な組織やチームが時代をリードする構図は今後も続いていくのだろうと思います。



8.ボートバカになる
少しリーダーシップから離れて、ボートにおける理想の人間像に迫ってみたいと思います。
私は、インカレをはじめ全日本選手権で優勝したり日本代表になるということは、どれだけボートのことを突き詰めて考え、行動しているか、その意識の高さを証明するものだと思っています。誤解を恐れずに言えば、全日本はボートバカ日本一決定戦です。世界選手権は、もちろんボートバカ世界一決定戦。プロ野球は野球バカの集まりですし、サッカーW杯はサッカーバカ世界一決定戦で、こういう表現は色んなスポーツに言えることです。しかし、こうしたトップを突き詰めて努力を成果に示すこと自体が、スポーツにおいて最も称賛に値し、価値があることなのです。こうした姿勢を持つ選手はまた、総じて人間性が素晴らしいのも多く共通していると思います。
スポーツで一番になることも素晴らしいですが、人間として素晴らしいトップ選手がなぜ称賛されるか。それは、スポーツを通じて理想の人間としてのあり方を体現している、または体現しようとする姿勢を持っているからです。

どんな競技でも「○○バカ」がチャンピオンになると思っていますが、この日本語は語感があまりよくないですね(苦笑)。「○○しかできないスポーツバカ」の意味で侮蔑表現を含むのはもってのほか。これは称賛の言葉であるべきだと思っています。もっといい呼称はないかと思いますが、これはこれで敬愛される語感も含んでいる気がするのですが。言葉は使い方が大事です。
「あそこまではできないよ」というようにけなす意味で敗者が負け惜しみを言うのはまったく理解できません。とことんまでのめり込んで考え抜くからこそ、トップの境地に辿り着く。「勝ちたい」願望以上の、行動原理であるところの「執念」「ハングリー精神」を身につけるのであって、私はこういう「はまり込む」「徹底的に究める」姿勢はスポーツでも芸術でも仕事でもあらゆる人間の営みに必要なことで、トップへの道に欠かせない姿勢だと考えています。あらゆる分野のトップランナー、トップの組織は、徹底的にそのことを「考え」尽くす日々を重ねています。「行動」し尽くしていく日々を重ねています。
ボートに対して謙虚で純粋で、自分とライバル、この両者との勝負に勝つからこそ称賛に値する心の姿勢を手に入れるのです。

ボートをやっている自分が好きというよりも、ボートそのものが好きで、ボートを深く知りたいと思えるかだと思います。特に大学から始める未経験者はこれが決定的に重要で、ボートバカになれるかどうかでインカレ、全日本に勝てるかが決まると思っています。
漕手はボートの動かし方を、COXはCOXワークや統率を、マネージャーはマネジメントを、コーチはコーチ技術や指導者のあり方を、いかに追究するかなのではないでしょうか。そして、ボートを楽しんで、究めようとする。



9.人間力の向上をめざす
しかし同時に、ボートだけではいけない。ボートバカが結果的に勝利するのですが、そこには人間性がともなわないと資格がないと、やはり私は考えます。人間力です。一流のボート選手は、人間力を備えてこそ一流たりうると考えます。
「勝てば何でもいい」という考え、これこそ何の価値もありません。
確かにボートバカが実際に勝つ中で、同時に学生や社会人なのですから、勉強バカ、仕事バカ、人間バカ(人間性を究める、人間を大事にする)にならねばと思うのです。もう日本語がめちゃくちゃですが。

野球に「野球人」という言葉があるのと同様、ボートにはこれに該当する言葉は「オアズマン(Oarsman)」でしょうか。英語でいえば、単に「漕ぎ手」を意味する言葉ですが、日本では「オアズマンシップ」を持つ理想の精神的資質を備えたボートマンとして古くから使われてきた言葉です。「オアズマンシップ」の言葉自体も、正々堂々、競技者精神との理想を持つ「スポーツマンシップ」のボート版として日本では使われますが、英語では単に漕法や漕ぎ手の技能を意味します。しかし、オアズマンという言い方ではやはり漕手だけになってしまうと私は思います。オールを持たずにボートを進める人たちもいます。今ではCOX、マネージャー、スタッフも含めボートに関わる人すべてがボートを通じ優れた人間性をめざすことを指した漕艇人として、私は「ボートマン」という言葉をあてたいと思っています。

「レース、戦術」の回では、競技者として結果を出すことを最重要とすべきだと述べましたが、これは競技に限ってだけの話で、社会に生きる人間としては競技の世界が周りの世界と独立し隔離するわけにはいきません。勝負の厳しさが常につきまとうのですが、人間である以上、人間としての徳やスピリットが必ず求められると思うのです。そして何度も言うようにこうしたアスリートの人間性や心の姿勢に、観客や周りは惹かれるのです。人は、社会は、純粋にすごい競技パフォーマンスだけをスポーツに求めているわけではないのです。競技者自身もそれを自覚することが大事だと考えます。

競技者のレベルはトップまで及ばないかもしれないが、ボートを通じて素晴らしい人間を多く育てるチームと、競技成績は申し分ないが自己中心的な選手が多く周囲や次の世代に何も残さず、ボートの練習だけは真面目にやるがそれ以外では遊んでいたりやりたい放題、言動も行動も乱暴でわがまま、このような選手やチームを誰が尊敬するでしょうか。ボートを「自分の力を誇示したり周りに認めさせるための道具」にしてしまったら終わりです。ボート競技、Rowingに対する冒涜だとさえ感じます。本当のプライドとは、人間としてのプライドです。
漕手としてたとえ力が及ばなくてもRowingに対して真摯でチームを大事にする素晴らしい人間ならば、COXやマネージャー、あるいは指導者、応援者としてきっと素晴らしい力が発揮できるはずです。周囲や組織に対する人間力を持っているからです。


今の時代、特にスポーツ選手のあり方が問われていると思います。倫理的、社会的な問題を起こすアスリートや引退後のOBなどは残念ながら存在しますが、初心者、トップアスリート、現役、OBに関わらずスポーツは人間性を育てる触媒であるべきだと私は考えます。競技において強くなることが、人間として強くなることとイコールになるべきだと思うのです。
勝つことは尊い。しかし、勝ったときに謙虚で礼儀を忘れず、周りの人とライバルと社会とすべてを尊重することが何より尊いと考えます。勝利に驕った瞬間に、人間として敗者なのだと思います。これはおそらく、世界中のどんな人にとっても同じで、自分が偉い、自分たちが偉いと思う人間は必ず周りを不幸にする気がします。どんな地位、財産、年齢、民族、国においても。周りや特定の人を偉いと思って尊敬するのはよいのですが、自分が偉いと思うのは違う。自分に対しては、ただ自信を持ち、認め、向上することが重要なのです。
Rowingはもっと先があることを教えてくれますし、世界は広いし、これは人間力においても終わりがないのと同様のことだと思います。

ボートのときだけ仲間を大事にするのではなくて、いつも仲間を大事に、人を大事にしたいのです。クルーの1人1人をリスペクトし、チームやすべての役割をリスペクトし、応援者やライバル、ボートに関わるすべての人たちを尊重する。感謝の中で競技に集中していく。競技の中では妥協を許さないが、人や競技には愛情を持って接する。競技力を高めたいと思うからこそ、多くの人たちのパワーをもらって、そこに感謝して、自分の人間性を磨いていくのです。
M4+、人間力へ!

このような精神性は、人から強制されるものでなく、やはり自分自身の意志によって時間をかけて涵養していくものなのだとも思います。スポーツに関わる人、1人1人の問題であるために、自分で答えを見つけるべく自分に問いかけを続ける。ここには、「相手より上だ。下だ」ということはいっさい関係がなくなります。
リーダーであること、そしてさらに人間としてあるべき姿は、きっと自分から追い求めなければ得られない資質ですし、これらは自分の意志ひとつ。今回述べたさまざまなリーダーシップ、人間性は、きっと自分自身の人間的魅力となるでしょう。Rowingにも役立ちますし、人間として自分を信じ、まわりからも強い信頼に満ちた人の和を、大きくしていけることが素晴らしいことだと思っています。


参考サイト
http://www.techno-con.co.jp/info/back9_1009c.html
http://blog.livedoor.jp/ffsyuji/archives/21573858.html
http://www.setarc.jp/columns/furukawa/020.html ボートの常識と非常識「人の馬力―おごるな人間!―」
参考書籍
『リーダーシップ3.0 ――カリスマから支援者へ (祥伝社新書 2013刊)』

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